03
「ここです」
真後ろから聞こえた声に振り向くと、ラースが近くの幹に腰かけていた。黒装束の為、森と一体化していたラースに気付き難かったのだ。もしかしたら、いつものように気配を消していたのかもしれなかった。
「良かった。ラース、居たんだ」
安堵するアキに、ラースが冷たい笑みを浮かべる。そして前方から明るい声が聞こえてきた。
「ラース、予想通りだったわよー! って、あら」
ロネットが手を振りながらこちらに歩み寄り、アキとリゼルヴァーンを見つめてにやりと微笑んだ。
「気が付いた? 二人が仲良く抱き合ってたから、声かけ辛かったのよね~」
ロネットのからかいの言葉に思わず顔が熱くなり、アキは隣のリゼルヴァーンをそっと見上げた。すると、同じくアキを見下ろしていたリゼルヴァーンと視線がかち合ってしまい、慌てて顔を逸らした。
「やだもー、二人とも可愛すぎる!」
はしゃぐロネットを無視して、ラースが二人に近づく。小さく溜息を吐いた後、口を開いた。
「どうやら、馬が二頭とも逃げてしまったようです」
淡々と話す口調からは焦る様子は感じられない。落ち着き払った態度で、ラースは森を見渡している。
「え! じゃあ、どうするの? 馬車も壊れちゃってるし、馬もいないんじゃ……」
「この森では術は使えないので徒歩になりますね」
「術が使えないの?」
アキの問いに、ラースはゆっくりと辺りを見回しながら言葉を紡ぐ。
「この森には不可思議な力が宿っているのです。魔力を吸収したり、逆に増幅したりしてしまう、厄介な力です」
「えーと……どういうこと?」
魔力を吸収したり、増幅したり? それで何で術が使えないってことになるんだろう?
術の基本的な構造も何も知らぬアキにとって、その言葉だけで理解しろという方が無理であった。呆れたような視線を向けるラースにむっとしたが、口答えしたところで勝負は見えていたので静かに答えを待った。
「私の言い方が間違っていましたね。術の使用は可能です。ただ、使うと何が起こるか分からない……そう言った方が、分かりやすかったですか?」
「な、何それ。何が起こるか分からないって……爆発でもするの?」
冗談混じりに言った言葉にラースはくすりと笑った。
「爆発なら、まだ良いのですが」
爆発ならって……一体それ以上の何が起こるっていうのよ。
苦い笑いを浮かべるアキの耳に、「うーん」と唸り声が聞こえた。
「馬が逃げ出したのも、この森の影響かもしれないわね」
首を傾げながら呟くロネットを、ラースが鋭い瞳で見つめていた。
「しかし、一体この森はどこまで続いているんだ?」
リゼルヴァーンは深い森を見渡し、途方に暮れたように肩を落とした。落胆したくなる気持ちはアキも同じであった。何処まで続くとも知れぬこの暗闇の森を歩き続けるのは、肉体的にも精神的にも辛そうである。
そんな二人に「大丈夫です」と声を上げたのはロネットであった。
「森はもう直ぐで抜けます。さっきそこまで見てきたんです。近くに街があったので、そこまで徒歩で頑張りましょう!」
意気込むロネットに、リゼルヴァーンも励まされたように力強く頷く。
「そうだな。ここまで来れば後もう少しだ。もう一頑張りだな!」
「そうです! その意気です! 張り切って行きましょう!」
拳を振り上げる二人を余所に、ラースはじっと森を見つめ続けていた。一点を見つめるのではなく、森全体を見渡している。その動作が、まるで観察しているように見えた。鋭く冷たい瞳が、まるでどこに居るとも知れぬ森の主を射抜いている様に見えた。
「ラース?」
アキの声に目を伏せ一瞬息を吐くと、踵を返して早足で行ってしまう。振り向きもせず、すたすたと歩くラースに、アキだけでなくリゼルヴァーンやロネットまで呆然としてしまう。
「何をしているのですか? 置いていきますよ」
僅かに振り向き口を開いた後、やはり後ろを気にせず、早い足どりのまま森を突き進んで行く。
「……私達も、行きましょうか」
ロネットの呟きに、アキとリゼルヴァーンも小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
街に着くと、既に空には夜の月が真上に傾いていた。
意外と出口は直ぐで、歩いて数十分もしないうちに森を抜けていた。そこから街の明かりを頼りに、アキ達はエルドを目指した。近くにあるように見えていたが、実際の距離は長く、ここまでくるのに結構な時間を要していた。出発してその日の内に街に辿り着けたのは、ある意味幸運であった。
「今日はもう遅いから、エルドで一泊していきましょう」
ロネットの提案には誰もが賛成であった。唯一心配であったのが、宿の部屋が取れるかどうかということだった。
街の賑わいは夜も続いているらしく、辺りを歩く人の数は多い。街の一部であるかのように溶け込み商売をしている住人の傍ら、旅人や観光で訪れているであろう人々も多数存在している。そんな中で簡単に部屋が見つかるとは思えなかった。
「宿屋が見つかったとしても、部屋が足りなかったらどうしましょ。せめて二部屋は欲しいわよね」
困り顔のロネットに、アキは申し出た。
「あの、部屋が一部屋しか取れなかったとしても、私は大丈夫ですよ」
本当は、出来れば部屋は別がいい。一ヶ月近く屋敷で共に暮らしてはきたが、部屋は個別に用意されてあったし、そもそも男性と同じ部屋で寝るなど、アキにとっては羞恥以外の何物でもない。
しかし、そんな我が儘を言っていられる状態でないことは分かる。資金だって限られているのだ。自分一人の為だけに、無駄な浪費をすることも、勝手を言うことも許されないのだ。それに、少しは男性に耐性も付いてきたような気がする。リゼルヴァーンやラース、ロネットとなら、同じ部屋でも大丈夫であるような気がしたのだ。
しかしそんなアキに、ロネットは眉間に皺を寄せた。ねめつける様な視線が刺さる。
「私達を信頼してくれてるのは分かるけど、軽々しくそんな事言っちゃ駄目」
「私、軽々しくは……!」
そんなつもりで言った訳ではない。考えて、理解をした上での発言であった。
「アキちゃん、そんな我慢は必要ないのよ。貴女は女の子なんだから。ね?」
優しく言い聞かせるように話すロネットは、先程の眉間の皺を消して、柔らかい表情を宿す。
もしかしたら、気付いていたのかもしれない。本当は強がっていたことを。つらつらと考えていたのは自分自身への言い訳だ。そんなことをしてみたって、結局本心には抗えない。
穏やかなロネットの瞳に見つめられることに耐え切れず、アキは俯いた。弁解がましい自分が、何だか情けなかった。
「……なあに? そんなに一緒の部屋が良いのかしら~?」
「え!?」
びっくりして顔を上げると、ロネットがにっこりと微笑んでいた。
「アキちゃんがそこまで言うなら仕方ないわね~!」
楽しそうに声を上げるロネットに、アキは慌てた。
「え、あの!」
「何だ? ロネット、またアキにちょっかいを出しているのか?」
気付いたらリゼルヴァーンが機嫌悪く隣で見つめていた。じっと見つめる視線が怖い。
「アキちゃんが、どーしても一緒に寝たいって言うんですよ」
その発言に、一瞬にしてリゼルヴァーンの表情が驚きに変わった。
「な、何!? 本当なのか!?」
肩を掴み、目を瞠って必死の顔つきを見せるリゼルヴァーンに、思わずアキはたじろいでしまう。
「ち、違うの! これは、えっと……」
懸命に言葉を探すアキは、リゼルヴァーンのあまりの必死さにうろたえ慌ててしまい、上手く説明することが出来ない。リゼルヴァーンは気にしていないのかもしれなかったが、アキにとってはこの距離も緊張に値するものであった。
狼狽するアキの隣から、堪えきれず噴き出すような笑い声が聞こえた。振り向かなくとも、声の主は予想出来た。




