03
ど、どうしよう。顔の火照りが治まらない。顔が上げられない……!
目の前のリゼルヴァーンを見ることも、声をかけることも出来ず、アキは固まったまま動けずにいた。
「アキ、どうした? 腹でも痛むか?」
何の動きも見せないアキに、不審に思ったのだろうリゼルヴァーンが近寄ってきた気配を感じ取り、アキはますます固くなるばかりだった。
ああ、心配している。いい加減顔を上げないと。でも、絶対顔が赤いのがばれてしまう。
頭の中でどうしたものかと思案に暮れるアキにとって、それはいきなりだった。
「きゃあっ!」
突然の衝撃に、アキはまた悲鳴を上げた。今日は驚かされてばかりだ。
背後から体当たりされたのかと思ったが、抱きつかれているのだと、しばらくしてから気がついた。甘く魅惑的な香りが後ろから漂ってくる。蜂蜜色の金の髪がさらりと流れ落ちたのが、アキの視界の端に映る。
「つーかーまーえーた!」
聞き覚えの無い声に、アキは思わず振り仰いだ。そこには女性にしては長身の、金髪の美女がにこりと微笑んでアキを見つめていた。
思わず見惚れてしまうくらい、色気のある人物である。それにしても、この人は一体誰なんだろう。
いきなりのことに、アキの頭はついていけず混乱する。
「きゃあ、だって! 可愛いー!」
抱きしめる力が強くなり、アキは更に困惑した。女同士といえども、こんなに美人の女性に抱きつかれるのは、いささかながら気恥ずかしい。
「ロネット!? 何でここに……というか、いい加減アキを放せっ!」
驚いていたリゼルヴァーンだったが、我に返るとアキを抱くロネットの腕を力ずくで引っ剥がす。
「これくらい、いいじゃないですかリゼル様」
「何を言う! いつまでも抱きつくな!」
彼女には悪いと思ったが、気恥ずかしかったアキにとっては有難い助け舟であった。
「少しは自重するということを覚えなさい、ロネット」
声がしたと思ったら、彼女の後ろから音も無くラースが姿を現した。眉間に皺が寄っている。
「ラースには言われたくないんだけど」
「どういう意味なのか、まったく理解出来ませんね」
睨み合う二人に、完全に置いてけぼりにされている。隣のリゼルヴァーンは呆れたように頭を掻いていた。
ラースの知り合いだろうか。それにさっき名前を呼んでいたということは、リゼルヴァーンとも知り合いだということだろう。
「ねえ、リゼル。この人は一体……」
「ん? ああ、アキは知らなかったよな。こいつは――」
言いかけるリゼルヴァーンの言葉を遮るように、彼女が名乗りを上げていた。
「ロネットです。貴女の名前は……」
「アキです。どうも」
「私、ラースの親友なの。よろしくね」
にこりと微笑む表情が魅力的で、自分には到底まね出来そうにないなと、アキは羨ましく思った。これ程の美人ならさぞかしモテるに違いない。
「ただの知人です」
隣から口を出すラースは、いつもの冷たい笑顔を湛えていた。
「何を恥ずかしがってるのよ。親友じゃない私達」
「それは貴方の妄想なんじゃないですか?」
「ホント、素直じゃないんだからー」
この感じは、どうやら知人レベルではなさそうだ。少なくとも気心は知れた仲のような気がする。ラースの口調や態度から、微量なりとも親しげなものを感じ取れる。彼女の言う通り、もしかしたら恥ずかしがっているのかもしれない。それが何だか物珍しくて、アキはまじまじとラースを見つめていた。
「ところで、どうしたんだ? ロネット。この間城には行ったばかりだと思ったが」
尋ねるリゼルヴァーンに、ロネットは微笑む。
「ラースに、屋敷に新しい住人が加わったと聞いたものですから。どんな子かと思って見に来たんです」
ロネットはアキを見つめる。目が合うとにこりと微笑んだ。
彼女は城の使いなのだろうか。以前、ガルフが言っていたことを思い出した。魔界中から嫌悪され、非難されていたリゼルヴァーン。そしてその彼を追い出そうとしていた城の家臣達。しかし彼女からリゼルヴァーンに対して忌嫌うような、冷たいものは感じられない。そしてそれはリゼルヴァーンがロネットに対しての態度にも言えることであった。
「それにしても、こんな可愛い子だったなんてね。私驚いちゃったわ」
「か、可愛いだなんて、そんな……っ!」
言われ慣れない言葉に慌てて否定する。しかしそんなアキに、ロネットは笑って答えた。
「何よ、謙遜しなくてもいいじゃない! 可愛いんだから自信持ちなよ。ね、リゼル様もそう思うでしょ?」
「え、あ……」
突然の振りに言葉を探すリゼルヴァーンは、ちらりとアキを横目見る。窺うようにリゼルヴァーンを見上げるアキと目が合うと、一気に頬を染めた。
「そ、そうだな、うん」
慌てて短く返事をすると同時に、素早くアキから視線を逸らした。
「いや~ん、可愛い~! 照れちゃってる!」
「茶化すな、ロネット! とにかく、城からの任では無いのだな?」
頬を染めたまま問うリゼルヴァーンに、ロネットはこくりと頷く。
「ええ。私個人の理由で、この屋敷にやって来ました。任務ではありません」
「そうか。それでは、茶でも飲んでいくか?」
「いくいく! この屋敷でゆっくりするなんて久しぶりだわ」
嬉しそうに弾む彼女は、リゼルヴァーンと共に廊下を進んでいった。
アキも後に続こうとして、ラースが見つめていることに気が付き足を止めた。
「ラース? どうしたの?」
アキの問いに何も答えずじっと見つめ続けていたラースだったが、しばらくしてまたいつもの笑みを浮かべた。
「いえ、先程貴女がずっと私を見つめていたものですから。私も見つめてみようかと」
「……は?」
「仕返し、というやつです」
言って踵を返すと、アキを置いてすたすたと廊下を進んでいく。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
思わず声をかけるアキに、ラースはぴたりと足を止めた。もしかして待ってくれるのかと思った矢先、ラースは振り向くと冷たい視線を投げつけた。
「貴女は掃除をしていたのではないですか? 埃が散乱しています。終わっている様には、まったく見えないのですが」
それもその筈、リゼルヴァーンのことを考えていたアキは集中力が散漫になっており、掃除など一つも進んでいなかったのだ。
「屋敷の手伝いをすると言い出したのは貴女でしたよね。言い出した貴女が、仕事を途中で放棄するとは私も思っていませんが……最近の貴女の様子をみると、どうも怪しいですね」
窺うようにアキを見て、そしてからかうように小さく笑う。
「それまでの覚悟なのでしたら、どうぞ広間へお越し下さい。歓迎しますよ」
最後はアキの言葉を聞かずに、ラースは廊下の奥へと消えていく。
確かに、手伝うと言ったにも関わらず、今までそれをちゃんと実行出来ていなかったのは事実だ。しかし、甘い考えで手伝うなどと言っていないのもまた事実なのだ。
握り締める箒に力を込めると、アキはそれまでのもやもやを払拭するかのように素早い動きで掃除に取り掛かった。
直ぐに終わらせてやるんだから! しかも、ぴっかぴかに!
家政婦の如く、アキの意識は掃除に集中した。長い廊下をひたすら掃くという行為に迷いなど無かった。
達成出来なければ自分の言った言葉が嘘になってしまうのが嫌だった。リゼルヴァーンに言った言葉が嘘になるのが嫌だった。
リゼルヴァーンの役に立ちたい、力になりたいと思う気持ちは本物だ。そんなアキに、項垂れている暇など無いのだ。




