02
今日はついていない。いつもの三倍は叱られたような気がする。
暗い螺旋階段を下る男は、落胆した様子で溜息を吐いた。
全身黒という身なりのおかげで、辺りの闇と一体化していたが、目に痛いくらいの白髪だけは暗闇に浮いて見えていることだろう。
明り取り一つない地下は埃っぽく、空気を淀ませていたが、毎日この場所に通う白髪の男にとっては慣れたものだ。石の階段は踵の音のみを響かせていたが、最下層に到着した瞬間、薄い笑い声が辺りに木霊した。
「また落ち込んでいるのですか。情けない」
最下層で待ち構えていた男は、微笑みを湛えていた。フードまで被り、完璧なまでに黒の装束に身を包んでいる。唯一顔だけを表に出していたが、その笑顔が偽物であることを白髪の男は見抜いていた。
「仕方ないだろう。あの人にとったら、俺なんて出来損ないも同然なんだ」
大きな背中を丸くして俯く様は子供のように見えるかもしれない。長身の所為でその姿は更に滑稽に映っているかもしれないが、落胆は隠し切れなかった。
「そうですね。出来損ないも同然ですね」
黒装束の男は悪びれる風もなく、すっぱりと言い放った。さも当たり前だと言わんばかりだ。
「うう。お前、もう少し言葉を選んでくれないか?」
白髪の男は傷ついた胸を押さえながら抗議したが、黒装束の男はにこりと笑った。
「無理ですね」
その笑顔は清々しくさえ見え、白髪の男は更にがっくりと肩を落とした。
コイツには何を言っても無駄だった。
そのことを改めて思い出し、白髪の男は気分を切り替えるため頬を叩く。
「痛いっ! う、強く叩きすぎた」
「馬鹿やっていないで、今日の訓練を始めますよ」
黒装束の男は、石畳に大きく円を描いて広がる方陣の傍まで歩み寄ると、中心を指差した。
「早くそこに立って下さい」
冷ややかな口調で、なおも頬を摩る彼を急ぎ立てる。白髪の男は渋々方陣の中心まで来ると、装束の男に振り返った。
「今日はどうするんだ?」
「そうですね……召喚してみましょうか」
顎に手を添え考える姿勢を取ったあと、軽く言い放つ黒装束の男に、白髪の男は驚きのあまり大声を上げた。
「何っ!? 召喚だと!? お前、本気で言っているのか?」
恐る恐る問う白髪の男は信じられない思いで問いかけたが、黒装束の男は笑顔を返しただけだった。
「うっ。俺は知らないからな」
「安心して下さい。召喚するのは同じ魔界のもので結構ですから」
「お前、覚えていないのか? 俺が以前召喚したのは天界の動物だったじゃないか」
「また同じ間違いを起こすような方では無いと、私は信じていますから」
黒装束の男は、そしてまたにこりと微笑む。その笑顔の裏に潜むものを感じ取り、白髪の男は引き攣った笑顔を返すと方陣に向き直った。そして、精神を集中させる。
「いま、あなたが望むものを召喚して下さい」
黒装束の男の声が静かに響く。
白髪の男は目を閉じ、力を内に集中させると小さく術を唱え始めた。次第に、光と風が白髪の男を纏い始める。闇の中、どこからともなく光が集い、風が駆ける。
目を瞑っていても感じることが出来る。闇を貫くほどの光、自身を切り裂かんばかりの風。力が、外から内へ流れ込んでくるのを感じると同時に、内から外へ吐き出すような力を放出する。力と力がぶつかる大きな勢いを、身体中で痺れるくらいに感じる。
眩い程の光の中、白髪の男は一気に力を込めた。
◇ ◇ ◇
暗い。まるで闇の中に居るみたい。
さっきまでの光が嘘のように消え去り、次には漆黒が目の前に広がった。
身体は大丈夫みたい。透けてもいないわね。
まだ闇に慣れぬ目を凝らして、亜季は自分の全身を見渡し確認する。何も変わらぬ姿にほっと胸を撫で下ろしたが、「カツン」と響いた靴の音に気付き肩を震わせた。
――誰か居る。
恐怖も不安もあったが、亜季は意を決して勢いよく後ろを振り返った。