表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

    (七)

 


 青年達の導のままに引かれて歩く、通路はどこまでも真っ直ぐ続く。

 脱出に備えて城内の構造を少しでも理解しておきたいローザは、周囲を観察しつつ、青年達に訊ねる。


「この通路って、“後宮”っていう所への一本道なの?」


 ローザは前方、先導役の青年の後ろ姿の向こうを、ひょいと覗いてみたが、遥かな突き当たりに、一枚の扉らしきが見えるのみ。途中に分岐らしき造りは見えない。

 質問に対して、ローザの左やや後方から「否」と応えが返る。


「この路は、女官の詰所(おんなどころ)への路です。」


 丁寧なその物腰。先程、ローザに訓諭を授けた青年だ。


「そこには、何のために行くの。」とローザは彼に質問を重ねる。


「女所より先、後宮迄は女官共がご案内申し上げます故。」

「…もしかして、男の魔族(ひと)は後宮に近付いちゃいけない?」

「いえ、そういう訳ではございません。」

「じゃあ、女官に交代するのはどうして。」

「女所より後宮へ続く路は、女官の領域だからです。」


 “女所より後宮へ続く路”という言い方からして、ひょっとして、他にも後宮への経路(ルート)があるのだろうか。

 そう思い、ローザはそれを訊ねてみる。

 すると、


「ございます。」


との返事。「但し、」と青年は続ける。


「一つは陛下のお通りになる路、故に御側室(みめ)方をはじめ、いずれの臣も通るべきにはあらず。また今一つは将の詰所(あしたどころ)を経由する路――、こちらは、薔薇姫様がお通りになるには危険です。」

「危険?」

「はい。」


と青年は頷く。「御身は人間(ひと)にてあられます故、将共から御自身を守ることは難きかと存じます。」


 その言は、ローザには意外に感じられた。


「将校達が、私を襲うの?」

「その可能性がございます。」

「…食べるために?」

「それのみならず、魔は、魔を討つ人の気、殊にその気の濃きを、排除せんとする傾向がございます故。」


 青年は言う。

 ローザは首を傾げる。確かに、魔族には討祓者である術師の気を嫌い、排除する傾向はあるが…でも。


「でも、あなた達は私を襲わないように見えるわ。」


 この青年からは――この三名からは、ローザに対する敵意も拒絶も、全く感じられないのだ。

 だからローザは今の今まで、“側室”なるものは身の安全を保証された存在なのだ、と思っていたくらい。


 ローザの言に、青年は少しの間、考える様子で沈黙してから、


「私共は他の官達とは違い、陛下御一方(おひとかた)にお仕え申し上げる官なのです。」


と答える。


「陛下の御意志(みこころ)が私共の意志。故に他心はございません。」


 静かな言の彼の目を、ローザは思わず見上げた。左右異色(オッド・アイ)の紫と黄色の瞳の奥に、ちゃんと心の宿りが見えることからして――自我を消されているとか、操られているとかといった訳ではなく、心から望んで魔王に仕えているようだ。


 「そう」とローザは頷く。

 様々な心、立場、生き方の魔族(ひと)がいるものだ、と改めて思う。そして“側室”が安全な立場である訳ではないという事実を心に留めた後、ローザは、他の、ずっと気になっていた疑問に思考を向ける。


「ところで、」とローザはその疑問を口にする。


「側室っていうのは、そもそも、具体的にはどんなものなの?」


 “側室”の意味。

 それは側室にする宣告を受けて以来、魔王に問い質しそびれたために、未だ謎のままである。


 勿論、人間の間で言う“側室”の意味とは違うだろう。

 人間の理と魔族(かれら)の理が同じとは限らないのだから。


 魔界(ここ)での側室の意味について、ローザは初めは、“食糧”のことではないかと考えていた。


 あのアンバーという青年との会話――彼曰く“彼女”とは“食糧”のことではない――はあったにせよ、広間を去る際に魔王が降した、


 “閨にて乱すも愉しかろう”


 という、あの大人発言。あれを受けてから、ローザの中では“側室イコール食糧”説が比重を増した。


 だって、魔族の食事の方法とは、“そういうもの”なのだから。


 人間の言葉で表現すれば、彼女にする、側室にする…そう喩えることもできる方法。

 つまり、男女の関係を結ぶこと。

 それが、魔族が人間の気を食べる方法だ。


 だが、この異色眼の青年との会話を経て、食糧説も揺らぐ。

 ただの食糧に対するにしては、青年の接遇は、丁寧過ぎる気がするからだ。

 崇敬する魔王に献上する食物、を大切に扱うのは分かるが――その食物を貴人のように扱う必要があるだろうか。


 側室というのは、何か、食糧以上に大切なものなのかもしれない。


 そんな考えから問い掛けたローザは、しかし、自分がある可能性を見落としていることには気付いていなかった。

 つまり、人間と魔族、互いに共通の慣習があるかもしれない、という可能性を。


 青年が答を返す。


「如何なるもの、と仰られましても…その言葉の通り、陛下の御妃(みめ)ですが。」


 “御妃”


 ローザは一瞬、その意味が理解できなかった。

 訊き返す。


「お妃……って…?」


 すると青年の異色眼が困惑を呈し、思案げにローザを見つめる。見つめることしばし、彼は再び口を開く。


「…人の間にも、男と女の契りがあるかと存じますが。」

「え…?」


 男と女の…契り?


 しばしの沈黙、思考の空白。やがて理解は、空白から浮かび上がるように閃く。


 男女の契り。

 それは――つまり。


「そんな、だって、」


 人間のと同じ意味――同じ意味の――“側室”。


「じゃ、じゃあ、それってまさか、」ローザの混乱気味の思考から、問いが飛び出す。


「魔王の赤ちゃん生むってこと?」


 口をついて出たローザの問いに、青年は「陛下、と申し上げなさるべきですが…」との訂正を挟みつつ、


「陛下との子をお生みになった姫君は多くおられます。」


 ローザは絶句した。

 口語回路は凍結されるも、思考の方は、自動で働き情報を解析してゆく。


 つまり、そういうことだ。


 魔族も人間と同じ方法で子供ができ、それは魔王の場合も同じ。

 そして、ローザは何故か、魔王のその相手の一人に選ばれた。


「な、何で」ローザは、まだ混乱の残る頭で問う。


「私、人間で、術師なのよ?」


 まさか王はそれを知らないんじゃ、と言おうとして、ふいに、ラザードなる青年の言が顕在意識上に飛び出す。


 “此の女、陛下の興趣に入るやもしれん”


「…魔王は、人間の術師が好みなの?」

「…それは臣下(われら)の存じ上げるところではありません。…薔薇姫様、陛下をお呼び申し上げなさる時は、陛下、と申し上げなさいませ。」


 青年はやんわり何度も諭すが、今のローザには勿論その部分は聞こえていない。


 ――そもそも、よく考えたら人間が側室になるって…それ、人間にとっては、食糧になるのと同じことじゃない。


 ローザは思う。


 魔族と男女の関係になるということは、つまり、人間であるローザにとっては、実質、食べられるということと同義。


 そして人間にとって、魔族に食べられるということは、人間としての心を失うということだ。


 魔族に気を食べ尽くされた人間は、人間の心を失う。姿形は人間のまま、心だけは魔性化し、魔物と呼ばれる存在になる。

 それが、一般的な例。

 それとは別に、――ローザは実際に見たことはないが――力の強い術師の場合は、魔性化せずに絶命する例もある、と、術師の間では言われている。


 だから、ローザが魔王の側室になるなら、魔性化するか絶命するか、そのどちらかの状態になる可能性は考えられる。


 ローザは訊ねる。


「側室とは言っても私の場合、人間なんだから、実質的には食糧になるってことじゃない?だって食事と同じ方法をとるんでしょ。」


 青年は、しばし考えてから答える。


「此度の勅宣は、御食事(みけ)ならで御側室としての御召し。ですからやはり、御饌と同じきとはなさらないかと存じます。」

「…ということは、食糧と違って、私はすぐには死なずに、しばらく生きて、王の傍――後宮で暮らすかもしれない?」

「はい。」

「うう…」


 ローザは思わず呻く。


 ――そんなの、いやだ。


とローザの心が拒絶する。


 食糧なら、まだいい。

 術師故に常に覚悟をしているからだろうか、食糧になることは、ローザにとって、受け入れられないことではない。


 だが、側室になることは。


 好きでもない者と結婚し子供を生む、それはローザの心が拒絶する。


 ローザはふるふると頭を振り、


 ――絶対に逃げる。


 決意する。

 すぐに逃げられないとしても、魔王とそうなることだけは回避してみせる。

 そうなるべきなら、そうなるはずだ。


 決意も新たに、流れを映し観るように心を澄ませ、歩き続けてしばらくの後、例の扉に至る。


 開かれる扉の先に数名の女官達。導役は彼女達へと代わり、路の様相も変わる。白と銀を基調とした通路の、壁は花を思わせる繊細な彫刻が流れるように続き、床は銀か水晶か、時の止まった水のよう。

 こつん、と続く足音が、水琴の音にも似て響く。


 ローザは、ローザの周りを囲んでしずしずと歩く女官達を見た。

 彼女達が持つ雰囲気は、どこか、先程の三名の青年達のそれと似ている。

 あのラザードという青年やアンバーとは違う、またそれ以外の、ローザが過去に出会った魔族達とも違う、独特の雰囲気。

 それはどこか、神官、巫女、そういった存在の持つ雰囲気に似ている――そんな風に、ローザは感じる。


「ねえ、さっき聞いたんだけど。」ローザは彼女達に話し掛ける。


「このお城には、王にだけ仕えるひとと、そうでないひとがいるのね。」

「然様です。」


 振り向いた女官達の内、前を歩く一人が答える。

 ローザは彼女に質問する。


「あなた達は、王にだけ仕える官?」

「然様です。」

「女官のひと達は、みんな王にだけ仕えてるの?」

「はい。」

「このお城の中で、王にだけ仕えるひとと、そうじゃないひと。どっちの方が多い?」

()は、存じかねます。」

「じゃあ、このお城には、全部で何人くらいのひとがいるの。」


 少し間があって、


「存じかねます。」


との答えが返る。

 

「そう…」ローザは質問の方をひと休みにし、周りを観察する方に意識を向けた。


 しばらく行くと、先の方から流れて来る、外の気配を感じた――その先は、宵闇に浮かぶ、透き廊になっていた。


 薄青の宵闇の中、柱ごとに灯りがぼんやりと、淡い紅や紫、黄色や緑、青の光に灯っている。


 ふわり、と宵風に微かな花の香り。後に残る清涼な香は森の香りだ。柱の外を見やれば、黒々とした木々の梢の闇絵が並ぶ。森の海の表面に、この透き廊は、浮かんでいるようだった。


 廊を渡りきると、対の殿舎らしきに着く。着いた所は横広のエントランスのようになっていて、やはり淡い灯りが照らしていた。

 その奥に、仄かな灯りに浮かぶ大きな扉。

 近付くと、その銀白の扉の左右に控えた女性衛士が、音のない動きで扉を開く。


 やわらかな光が零れる。


 光の向こうに、立礼姿の数人の女性達。

 彼女らは顔を上げ、真ん中の一人が言う。


「此度は、御入内、おめでとうございます。薔薇姫様。」


「さあ中へ」と、案内役の外の女官達がローザを促す。


 …祝辞と歓迎を受けて喜べないのは、ローザにとって、初めての経験だった。

 ともあれローザは少し考え、中に入ることを選ぶ。


 背後で、扉が閉じられる。


「陛下より、薔薇姫様の御部屋が賜られております。御案内申し上げます。」


 先頭の女官が言い、ローザを促す。

 ローザは、静かに呼吸をひとつ。頷いて、歩き出した。



 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ