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    (六)

 


 その壮麗なこと、知らずローザは溜め息を漏らす。


 それは全体が白い、(ぎょく)か何かで出来ているようで、まるで天に向かって開かれた巨大な白い華だった。夕染めも仄かに、薄闇に沈まぬ清廉な輝きを放っている。


 それは巨山の頂から中腹までを覆い、二重の城郭と、その内部の建物群から成っている。

 城郭は透かし模様で出来ているらしく、遠目にレースの帯のよう。城全体をぐるりと囲む、外側に一重、内側に並んだ白い殿舎群を挟んで、また一重。


 内の城郭に囲まれて、山頂の穹窿(ドーム)状の高殿、そこから徐々に下るように、ほぼ左右対称に並んだ、いくつかの殿舎。こちらもやはり、どれも白い輝きに満ちている。

 また建物と建物との合間には、森や湖、川、それから花の咲く野などの自然も見える。


 まるで、全体が、至上の音楽を奏でているかのよう。


 ローザがすっかり見とれている内に、城はぐんぐんと近付いてゆく。

 はっとローザが気付いた時、既にローザ達は外郭を眼下に、緩やかな滑空を始めていた。

 滑空したまま外郭を越え、徐々に降下してゆく。向かう先は内郭、そこに幾つか開いた門の内の、中央の門であるようだ。

 門の手前に、青年は降り立つ。

 門をくぐり、石か玉かの通路を抜け、広大な建物を抜けて、長い回廊を行く。

 内装の美しさもまた、喩えようもない。


 ――魔王の城、って言われてこんなお城を想像出来る人って、きっといないわ。


 ここに住んでいるなんて、魔王なる人物とは一体どんなひとなのだろう、と、ローザは改めて思う。


 城内には相当な数の(ひと)の気配。途中、何名かとすれ違い、彼らは青年に頭を下げたり道を空けたりした。

 やはり地位や階級のようなものが、ここには存在するのだろうか。


 青年に抱えられたまま進みゆく通路。両脇に並ぶ巨柱を目に映しながら、ローザは次第に、ある気配を強く感じるようになっていた。

 とても強く、大きな気配。

 それは、ローザ達が進むにつれ濃さを増していくようだ。

 今にして思えば、この気配はこの城に入った時から既に感じていたような気もする。


 魔王の気だ、とローザは直感する。


 まるでひとつの世界そのものとも思える程に、深くも高く、広く大きな気配。

 紛れもない魔性の気であるそれは、だが何故か、不思議な慕わしさをローザに感じさせた。


 しばらく進み、やがてローザは通路の先に黒い大扉を目にした。

 同時に、その向こうに気配の主の存在を直感する。


 見つめる視界に扉は近付き、やがてゆっくりと、重厚な音と共に両開きに開く。

 開きゆく隙間に室内の様子が覗き、ローザは青年に抱えられたままその中へと入る。入ったそこは広間か何かのようで、数名の魔族の姿があった。


 見渡すローザの視界に、広間の奥、高座が映り、ローザは視線を上げた。


 とくん。と、ローザの奥が震える。


 そこに、そのひとはいた。


 金の瞳と目が合い、繋がる。


「ラザード、帰還しました。」


 ふいに近くで響いた、青年の声。同時にローザの視界が傾ぎ、金の瞳から目線が逸れて、ローザの意識はローザに戻る。

 自分の状況を悟る。どうやら、片膝を突いた格好の青年に、奥の高座に向かって差し出される形で、捧持されているらしい。


「幤物がね得て、御前(ごぜん)に献る。」と続ける青年の声を耳にしながら、ローザの脳は直前の青年の言葉を反芻、理解する。


 ――ラザード。このひと、ラザードっていう名前なんだ。


 理解して、ローザは青年に顔を向けた。

 今の体勢では高座の人物を見るのに首が疲れそうなので、“降ろして欲しい”と頼むつもりで、


「あの、ラザードさん」


 青年に呼び掛けた、その途端。


 さっ、とその場の空気が凍り付いた。


 ――え…なに。


 ローザは困惑する。

 明らかに先程までとは異なる、水を打ったような静寂。

 青年の紅玉眼までもが瞠目気味にローザを見ており、これにはローザも驚いて、彼を凝視する。


 凍った静寂を破ったのは、ふいに響いた笑い声。

 それは高座の方から響いたものだった。


「ラザード。降ろしてやるが良い。」


 低い声の、心地よい響きで、彼は言った。

 寺院や聖堂の巨鐘を思わせる、体に心に響く――魂を揺するような声だ。


「は」と青年の承服の声、直後、ローザの体はふわりと傾き、足が床に付く。

 立ったローザが奥の高座を向くと、高座の主は、そのゆるやかな階を下って来るところだった。


 金の瞳がローザを見ている。


 歩み来る彼の、とても長い黒髪、同じく黒のゆるやかな衣が微かに揺れる。


 傍まで来たそのひとを、ローザは見上げていた。


 ――このひとだ。


 彼らの王。


 深淵の畏怖を誘う禍々しさと、天上の畏敬に満ちた慕わしさと。

 気配も瞳も、遥かなひとつの世界のような、不思議な深みのある男性。


 その彼の瞳に、幽かな表情が映った。直後、ふいにローザの体から、纏わされていた魔の気が消える。

 消えたかと思うと、今度は強力な魔の気がローザを襲う。


 思わず呻いて、ローザは崩おれる。


 紅玉眼の青年に纏わされた気とは比べものにならない、深く強く、禍々しい魔性の気。それが獰猛な炎のように、ローザを覆い、ローザを侵食しようとする。


 祓いきれないことを、ローザは悟った。


 祓おうとする意識を脱ぎ棄て心を澄ませ、その気を受け止め――受け容れる。


 ゆるやかな呼吸の度に、魔の気がローザの中に流れ込み、ローザの気と交わり、溶け合ってゆく。その現象を、ローザは目を閉じ、内側から映し観ていた。


 やがて全て溶け合い、ひとつになったのがわかった時、ローザはゆっくり息を吐いて顔を上げる。


 金の瞳が、静かな興を湛えて見下ろしていた。

 彼が口を開く。


()が名は。」


 下ろされた問いに、「ローザ」とローザは答えたが、王の眼差しは変わらず、


「全き名を。」


 彼の言にローザは従い、自分の名を全て明かす。


「なれば」と王の瞳が、幽かな笑みめいた色を映す。

 彼は言う。


「薔薇姫。そなたを我が側室()とす。」


 ローザと目合わせたまま、


後宮(みや)へ。」


との命令だけを後ろに向けると、彼は金の瞳の微笑を残して悠然と踵を返し、歩み去って行く。


 その黒衣の後ろ姿を呆然と眺めて、やや遅れて、ローザの思考は解凍された。


「ち、ちょっとっ、待って、」


 遠ざかる彼を追おうとしたローザの進路の先に、こちらへと歩いて来る三名の男性。

 咄嗟に、彼らを回り込もうとして後退ると、背中をぐいと押される。

 振り向けば、紅玉眼の青年、冷然たる無表情。

 ローザが再び前を向くより早く、


「あっ。離してっ」


 歩いて来た男性達に捕らえられる。


「もうっ、離してってばっ、まだ話は終わってないの、」


 じたばたと暴れるが、彼らはびくともしない。魔族故の力の強さ。

 ローザは小さく呪を唱え始める。が、


「…御無礼を、薔薇姫様。」


 口を手で塞がれ阻止される。


「んーっ、むぐう―っ!」


 広間の内を引き立てられながら、ローザは、ひたすらむぐむぐと抗議の声を上げ続けた。

 王は既に玉座の上、軽い頬杖も優雅に、興ありげにローザを見下ろしている。

 彼の下を通る時、ローザは彼を、きっ、と見据えて、


 ――私をどうするつもりか知らないけど、絶対に従わないからね!


との意志を、


「んーむうーうーうーむーう、んーむーううーうう!」


 塞がれた口で宣言した。

 すると王の瞳が微笑を映す。


「その気概、閨にて乱すも愉しかろう。」


 さらりと降されたその言が、ローザの思考を停止させる。

 遅れてその意味を解した時、既にローザは玉座を過ぎ、最奥に開いた扉へと連れ込まれるところだった。

 咄嗟に玉座を振り返り、口から飛び出した言葉が、


「んーむむー!|(エロ魔王!)」


 顔だけ玉座に向けたまま、引き立てられて扉を抜けたローザの背後で、ぱたん、と、扉が閉じる。


「んう…」


 ローザは微妙な脱力感を覚えながら、鼻で軽く溜め息をひとつ。


 ――ま、何とかなるか。


 魔王に交渉が出来なかったことは残念だが、そういうことならそういうこと。道の途中の出来事だ。


「薔薇姫様、」と、横から声がして、ローザは自分の右隣の男性に目を向ける。


「お心置き下さい。決して、術をお使いになりませぬよう、そしてお逃げになりませぬよう。宜しいですね。」


 青年の言に、ローザはこくりと頷く。

 青年はローザの口から手を離し、他の二人の手もローザの体から離れる。


「では、参りましょう。」


 促され、彼らに挟まれる形で、ローザは再び歩き出す。



 



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