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   (四)

 


 力の差は明らかだった。


 草間の薄闇、潰れた草の匂い。地面に突いた手でどうにか体を起こすローザの視界に、近付いて来た二本の足が見えた。目の前で止まったそれが屈んで、


「続ける?」


 ローザの頭上から声が降る。

 ローザは乱れた呼吸をすう、と鎮め、そして首を横に振った。

 ゆっくりと抱き起こされる。


「オレの勝ち。」


 夕照を弾いて明るい琥珀の瞳。


「そうみたいね。」


 ローザは溜め息に微かな笑みを吐く。

 勝負にならない、とはこういうことをいうのだろう。

 彼は終始”正確な”手加減をしていて、ローザに与えた損傷も、戦闘続行の無意味をローザに悟らせるための、最低限度のもの――重すぎず軽すぎず、体を動かせないことはないが、動かすには非常に難儀する程度のもの――だった。


「今、回復させるからな。」


 そう言い、彼はローザを、そっと腕に囲い寄せる。

 直後、ローザは内から波のような感覚が拡がるのを覚えた。

 清らかで、心地よい波の拡がり。ローザの体から痛みが消えて、力が蘇ってゆく。

 ローザは彼を見上げて問う。


「人間を回復させる術が使えるの?」


「うん」とアンバーは頷き、


「だから安心しろ。万が一の時も大丈夫だから。」


と謎の言葉を続けた。どういう意味、と訊ねようとして、ローザは止めた。


 今は、何より先にするべきことがある。


 ローザは琥珀の瞳を真っ直ぐに見た。

 どこまでも澄んで明るく、深い、その瞳の奥を真っ直ぐ映して、ローザは心を決める。

 彼の名を紡ぎ、応える彼に、「お願いがあるの。」と明かす。


「実は、私の他にもう一人、あの緋い魔族に連れて来られた人がいるんだけど――その人を、無事に、人間界に還してあげて欲しいの。」


 ローザの請願を、琥珀の目はじっと受け止め、そして、


「良いよ。」


 笑顔で、彼は頷いた。

 ローザはほっとして、「ありがとう。」と笑みを咲かせる。


「因みに、」と彼が親指の先を草原へと向け、くいくいと指し示す。


「そいつってのは、あっちの、結界か何かん中にいるんだよな?」


 その問いにローザは軽く瞠目する。


「…結界、気付いてたの?」


 あの術は特殊な術で、魔族に感知されない術のはずだった。


「うん。うっすらとな。でも、中に何があるかまでは()えないけど。」


 アンバーは答える。

 ローザはまたひとつ、魔族に関する新たな知識を得る。


「じゃ、そいつを人界に送りゃいいんだな。了解。」言ってアンバーが口の両端を上げたちょうどその時、


「アンバー。」との声が降る。


「隊長。」と振り向くアンバーの白銀の髪の向こうに、こちらへと歩いて来る青衣の青年。視線を上げたローザの目に、こちらを見下ろす紅玉眼が映る。

 青年が口を開く。


「其の女、渡せ。陛下に献上(たてまつ)る。」


 ローザは目を見開く。


「奉る、って、何でまた。」困惑気味のアンバーの声。


「というか。そもそもこの子はもう、オレの彼女になったんだ。だから無理。」


 主張するアンバーに、見下ろす紅玉眼は微動だにせず、


「先頃、魔物による報告にあった。人界の魔共を単身討ち滅ぼして廻る程の、稀なる強さの不浄がいる、と。其の者、金髪碧眼の若き女、加えて――」


 紅玉の視線がローザに移る。


「太古に魔の王が一を討ちし者の血脈であると言う。」


「なんだそりゃ」とアンバーが呆れ気味に言を放つ。


「…前半はいいとして、後半は。太古とか王を討ったとかって、どう聞いても与太話じゃねーか。」


 紅玉眼がアンバーに視線を戻して言う。


「真偽の程は問題では無い。同じき不浄の間に(こと)に上れる事実にこそ、意味がある――」


 再びローザに眼を向けて、


「此の女――陛下の興趣に()るやもしれん。」

「その前に、オレの好みのど真ん中に入ってるんだけど。」


 言いつつ、アンバーはローザを抱える腕に力を込めた。


「渡さねーぞ、絶対。第一、そういう約束だっただろ。」


「約束?」紅玉眼は冷たく見下ろす。


「如何なる約定が成ったと言うのだ。」

「は、オレとこの子が戦って、オレが勝ったら……」


 言い掛けて、アンバーははっとしたように止まる。

 沈黙。

 あ、とローザも内心気付いた。


 ――そう言えば、このひとの許可って、なかったような。


 先程、アンバーが件の条件を得ることを宣言した時。確か、紅玉眼の青年からの許可は返されていない。

 返されぬまま、アンバーの宣言に対してローザがつっこみを入れ、そのままローザとアンバーとでの会話が始まり…。


「…駄目、とは言ってないよな。」アンバーが呟く。


「あれだろ。駄目って言ってないんだから、許可したともとれるっていう、」

「アンバー――」


 紅玉眼が、すう、と刃を思わせる細さを帯びる。


「――渡せ。」


 凍った空が丸ごと落ちて来るような。有無すら言わせぬ威圧感。

 何となく、最終兵器の発動パネルに手を掛けた冷酷非情な総帥の画を、ローザは想像した。


 いや、ぼんやり観察している場合ではない。ローザは我に返る。


「待って。」と制止の声を上げつつ体を起こし、紅玉眼を見据えた。


 魔王に献上など、断固拒否だ。


 交渉の(くち)を開こうとしたローザは、しかし、ふいにふわりと体を持ち上げられる。アンバーが、ローザを抱えたまま立ち上がったのだ。


「考えてみたら、さ。陛下に直接交渉すりゃいい話だよな。」


 そう呟き、「オレが連れてく。」とアンバーが主張すると、紅玉眼の殺気が瞬時に増した。


「貴様。一度ならず二度までも、己が任を放り出すつもりか。」

「いや…交渉ついたら、すぐ任務に戻るから…」

「――アンバー――」


 ぞくり。と、観ているローザさえ凍て付かせる程の気迫。


「――渡せ。そして直ちに、任に戻れ。

成せぬならば――分かるな?」


 沈黙。そしてアンバーは無言でローザを献上した。


「ちょ、ちょっとアンバー、」

「ローザ、陛下と会ったら伝言を頼む。オレの好みのど真ん中だから絶対召さ(くわ)ねーでくれ――っていうか、オレにくれ、って。陛下なら多分、聞いてくれる。」


 もがくローザの体は青衣の青年の手に移る。

 途端、強い魔の気を体に纏わされ、ローザは軽く呻いた。すぐに祓うも、更に強い気を纏わされたので、ローザはひとまず祓うのを止めた。


 抱えられた青衣の肩越しに、白い翼が大きく開くのが見え、ローザは素早くアンバーを振り返り、呼び掛ける。


「さっきのこと、お願い。」


 だがアンバーの反応を見る間もなく、ローザは青衣の胸に頭を押し付けられるように抱え籠められ、視界と身動きを封じられる。

 風、羽ばたきの音。

 直後、風鳴りの中に「任せとけ」とのアンバーの声を聞き取った時には既に、ローザは青年に抱えられたまま空へと舞い上がっていた。


 青年は上昇を続け、やがてかなりの高度に達した頃、水平方向の飛翔へと移る。感覚でそれを悟ったローザは、同時に腕の戒めが僅かに緩められたことにも気付き、身動ぎ顔を上げた。


 視界に映ったのは、淡い金紅のさす薄青の空と、夕照を受けた青年の横顔。

 神話に出て来る神の青年を思わせる横顔の、金の光を真っ直ぐに受けた紅玉眼。その見据える先へとローザも目を向け、途端、射すような眩しさに目を瞑る。


 ゆっくり開いて馴れた視界、地平の空で、黄金の夕陽が輝いていた。



 



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