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青嵐 (一)

 



 遥かな風が、澄んだ空を吹き渡る。山並の稜線は光り、ふもとの緑はやわらかに、遠く並んだ赤煉瓦の屋根達は、注ぐ陽射しをいっぱいに歌う。

 輝く世界を両の瞳の碧に映して、蜂蜜色の髪の娘が、山頂にひとり、佇んでいる。


 しばらく眺め、娘――ローザは、その景色に背を向けた。


 見渡される、反対側の風景。大気に霞む都会の街並み、まばらな緑、低い山々が囲んで畳み、合い間の山道、可愛いらしい色の鉄道も見える。

 足下に目を移す。萌え草の斜面と白い岩肌、広がる森には山道が、うねるようにしてふもとの山々へと繋がっている。


 視線を戻し、都会の街へと据える。あてなき旅の、次なる目的地。ローザは、軽く肩掛けの荷を背負い直すと、若草の斜面へと歩き出す。


 風は、濃くて力強い緑の匂い。草と木々のささめき、お日様の歌。見上げれば、胸の内とつながるような、遥かな空の青。

 弾む足取り、心にも歌が溢れて、ローザの唇から零れ出す。


 山道目指して歩きながら、ふと、途中で進路をかえて、森深き方へと向かう。

 基本はあてなき一人旅、それも修行の旅の空、ローザはそんな風に流れてゆくことがあった。

 途中何があろうとも、時に迂回となろうとも、その方が一番良いからそうなるのだと、ローザは心で知っていた。


 やがて森の始まりに差し掛かり、ローザは足を止めた。登山向け範囲の外の、深く静謐な世界。木に手を添え、湧きかえる息吹きを感じ、それから挨拶をして、ローザは足を踏み入れた。その時、


 ざわり。突然、不穏な気配が立つ。


 ぴたり、とローザは停止する。一拍、澄んだ意識が気配を探る。


 気配の在処。――そう遠くない、森の奥。

 悟るや否や、ローザはそこへと駆け出していた。






 木々の合間を縫い駆けながら、ローザは幾つかの(しゅ)を唱えて行く。

 自分を規定する呪。自分の気配を抑える呪。次に、加護を賜る既成の呪。そして、討祓の呪。


 全て唱え終えて間もなく、樹間の向こうに見えた色。気配の主だ。ローザは樹影に身を滑り込ませて窺い、その姿を視認する。


 僅かに開けた場所で、陽射しに照らされて――緋色の竜翼、緋色の竜尾、同じ色の衣を纏った、人ならざる男の後ろ姿。

 その大きな手、鉤爪の下には――


 鉤爪の下に囚われているもの。それを視認し、ローザは樹影を飛び出した。


 男が振り向くより先に、ローザは、呪による術を発現させる。迅る無数の光の条が、宙に逃げる緋翼を捕らえ、光炎となって呑み込んだ。

 咆哮。大気が震える。

 それを聞きつつ、ローザは駆けて、魔に囚われていた者――地に転がる、女性のもとへと辿り着く。女性は意識を失っており、ローザは彼女を抱き起こし、そしてひとまず安堵した。


 良かった、食べられてはいない。


 どさり、と後ろで音がして、ローザは振り向き身構える。

 緋色の魔が、滾る瞳でローザを憎悪していた。

 魔は満身創痍の姿で、体も翼もあちこちが深く抉られている。長い髪の片側も、半ばからぷっつり切れている。

 それがローザには疑問に思えた。


「ねえ、あなた、もしかして…」


 問いかけた途端、魔が憎悪を噴出させ、ローザに向かって襲い掛かる。仕方なく、ローザは疑問を飲み込んで、応戦に切り換えた。


 しばらくの交戦の末に、魔は地に倒れ伏す。

 ローザは再び、男に問いかけた。


「あなた、もしかして、魔族同士で戦っていたの。」


 ”魔族同士で争う”。そうした事例は聞かないが――男の負っている傷の、その形状から考えて――彼を損傷させた相手が人間だとは思い難い。

 彼の傷は、明らかに何かしらの武器によるものだが、魔族の体は人間とは比較にならない強堅を誇り、人間の武器では傷付かない。

 例え術でも、彼らを消滅させるだけで、体表に傷を生じさせることはない。


 ローザの問いに対して、男は動かず、答えない。その気配から、意識はあると感じられるのだが…。

 ローザがなおも問おうとすると、ふいに男の体が動く。

 備えるローザの目の前で、男の姿は、ふつ、と消えた。


 一瞬の間。はっと振り向き、ローザは走る。


 魔は、女性の傍へと転移していた。

 赤い目の憎悪。鉤爪が女性の体を掴む。駆けて飛び込み、ローザは手を伸ばす。

 伸ばした手が体を掠り、掴んだと覚えたその瞬間、


 ぐらり、と世界が軋んだ。


 なにか、と考える間も持たず、黒闇の内に叩きつけられ、ぐらぐらと目眩に揉まれ――


 気付くと、朱い闇があった。



 



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