雨の日の
雨の日は世界が艶っぽい。
物理的な話ではなく、どちらかといえば感傷的な話だ。風もニオイも何もかも、しっくりと肌に馴染む感じがする。
べたべたして不快、という人もいるが、ボクはこの感じが案外好きだった。晴れの日とはまた違った、普段パリッと気を張っているものたちがふと見せる、優しい表情のような。
なんて言うと、少し詩人に過ぎるとクサがられるので、誰にも言ったことはない。
「やあ。今日はいい天気だな」
雫のカーテンに立つ先輩も、やはり数割増しで艶めいて見えた。
もっとも、その言動と居住まいは、雨霞でも隠しきれないほど先輩のままだったが。
「先輩も、雨の日が好きなんですか?」
「そうだな。雨は煩わしいが、雨の日は好きだ」
透明のビニル傘を差しながら、先輩は何でもないようにベンチに腰掛けている。スカートの紺色が深くなることなどお構い無しだ。
「湿った土のニオイも、傘を叩く雨音も、とても心が落ち着く。濡れると煩わしいという理由だけで、雨の日は随分損をしていると思うよ。天気が悪い、とは酷い言い草だ」
「損、ですか」
「何に、とは聞かないでくれよ。君も雨の日が好きなんだろう?」
「好きそうに見えますか」
「好きそうには見えないが、好きそうに聞こえるな」
君はポーカーフェイスだから、と先輩は笑うが、ただ表情筋が重いだけで、そんなにいいものではない。
「それに、君は無表情だが、無感動という訳ではないようだし」
「どうしてそう思うんです?」
「雨越しに私を見る目が若干怪しい」
「失敬な。このボクが雨に欲情してるとでも?」
「水萌えとはまた新しいな」
冗談のように言いながら、しかしボクは先輩から目が離せない。
名誉のために言わせてもらうが、別によくあるサービスシーンのように、濡れたシャツに肌色が透けている訳ではない。もしそうなっていたら、逆にボクは目を逸らしていたことだろう。
しかし、そんな直接的なエロスなどなくても、先輩は十分艶っぽかった。
水気を含んで首筋に貼りついた髪。重く輪郭に纏わりつく袖口。その全てが、ボクの中の何かを刺激する。
「私がカエルでなくてよかったな。そんな熱っぽい視線を向けられたら、濡れた端から乾いてしまう」
「先輩はカエルでも、きっと水も滴るいい女ですよ」
「その時は、君がキスして魔法を解いてくれるのかい?」
「ボクは主人公って柄じゃないですし、まだもう少し目は覚ましたくないですね」
ノリが悪いなあ、と先輩は肩を竦めて立ち上がった。
傾けた傘から大粒の雫が零れ落ち、黒い革靴の足元で撥ねる。水たまりにぼんやりと、二人分の影が映っていた。
「さて、それじゃあ今日は何処へ行こうか」
「何処へでもついて行きますよ、お姫様」
雨音だけの静かな世界で、ボクらの影は一つになる。