第3話:魔王はカレーに魅了された
日が沈み、街灯がシャッターの閉まっていく商店街を照らしだす。
人通りなど昼間とは違って数えるほどしかなく、いるのは帰宅途中の会社員や高校生ばかりだ。
その例外の様に頭から服にかけてペンキによる白い線が入っている徹司と、自称、魔王サタンのゴスロリ少女が並んで歩いていた。
見た目からすれば、目つきの悪い犯罪者が少女を誘拐して連れまわしているようにも見えなくはない。
だが、実質の被害者はどちらかと言えばその犯罪者に見える方だった。
徹司は落ち込みながら頭を垂れて歩くのに対し、サタンは物珍しげにまだ開いている店の商品をウィンドウから見て回る。
「人間社会も中々面白い所だな。お、あれはなんだ?」
ショーウィンドウに張り付くようにサタンはテレビを見ていた。
テレビの中でやっている内容はただのニュース番組だが、サタンはニュースを読み上げるキャスターから目を離さない。
ため息しか出ない徹司はその様子を見てふと思う。
今なら『666秒の奇跡』でコイツから逃げられるんじゃないか、と。
徹司はすぐさま実行してやろうと足音を小さくし、サタンに背を向ける。
そして『奇跡』をONにし、逃げる事を願いながら1歩目を踏み出そうとした時だった。
「言っておくが、私からは逃れられんぞ?」
「は、はひっ!?な、なんのことですぅ!?」
徹司の心臓が飛び跳ねる様に高鳴り、咄嗟にごまかしたものの動揺で声はやたらと高くなる。
信じられないといった顔をしながら徹司は諦めて後ろを振り向く。
すると、そこには仁王立ちして腕組をしながら偉そうに徹司を見ているサタンがいた。
その深く赤い目は細められ、呆れたような表情を浮かべている。
間違いない、こいつ、不思議な力で心を読んでやがる!
たじろぐ徹司はサタンに足で小突かれると、『奇跡』を切って渋々前へと歩き出す。
「な、なぁ?俺の心でも読んでるのか?」
「別に、読む力は持っているが今は使っていない」
「・・・今は?」
と言う事はサタンは屋上にいた時は使っていたと言っているようなものだ。
あの時はやたらと先手を打ってくるサタンに追い詰められた徹司だったが、そういうことかと合点がいった。
「そう、今は契約によりお前と私との間に見えないだろうが線があり、繋がっている。そのおかげで心の中までは出ないが今のお前の状態がすぐに分かる。とは言ってもこっちから一方的に見る事しかできないがな」
「そ、そんなずるい・・・」
「だから、私から逃げようなどと考えない事だ。地球上、人間の行ける範囲など私にすれば狭いもんだ。分かったらさっさとカレーを食べさせろ」
今の世の中に自分の逃げ場所が無いと知った徹司は諦め、楽しげにはしゃぐサタンを横に歩く。
しばらくすると商店街の端に古くから建っている老舗のカレー屋へとついた。
長年建っているだけあって建物はボロボロだが、昔から続く変わらない味は多くの者を魅了して止まない。
徹司もたまに訪れる場所だが、閉店間際でもいまだにおいしそうなカレーの匂いが漂い続けていた。
サタンはその匂いに刺激されたのか、やたらとお腹がすいているのを感じていた。
そして、サタンはもう我慢できないのか徹司を早口で捲し立てる。
「ここか?ここなのか?ここがカレーを食べられるのか?早く、早く入れ。私にカレーを食べさせろ。ほら、早く!」
まるで待ちきれない子供そのものだが、はしゃぐサタンを横に徹司の顔は青白くなっていた。
彼はズボンやシャツのポケットを叩きまわり、あるはずの厚みがどこにもなかったのだ。
そう、財布という大事な物が。
また落としたのかと人生で何度目の財布落としか忘れた徹司だったが、今回は状況がまずかった。
数日前に入った泥棒のせいで今の徹司の全財産は正にその落とした財布の中にある物が全てだったのだ。
徹司は膝をついて項垂れる。
さらに追い打ちとばかりに、地面に着いた膝にはガムが付いていた。
「・・・終わった」
「おい、何を勝手に終わらせている。忘れたのか?お前には『奇跡』があるだろ」
「い、いやだ!こんな事にちょくちょく使ってたらあっという間にカウントがなくなっちまう!俺は財布を探しに戻る!」
実際、徹司のカウントは既に595秒となっていた。
もう既に命の時間は10分を切っている。
自殺してやろうとしていた徹司ではあるが、さすがに今すぐに全てを使う気にはなれなかった。
来た道をなめる様に探しながら戻ろうとする徹司だったが、その目の前に回り込むようにサタンが現れた。
「さっさと使わんか!私が!このサタンがカレーを食べたいと言っているんだぞ!?」
サタンの右手がまた怪しく光り始めた。
徹司は考えるまでもなく体が勝手にその場で回れ右をすると、引きつった顔でカレー屋へと飛びこんだ。
直後に店内から徹司に向かって大量のクラッカーが鳴らされ、その後には幾つもの拍手が店内に響く。
一体何事かと慌てた徹司だったが、その前には恰幅のいいコック帽をかぶった男と拍手を続ける店員が並んでいる。
突然の出来事に徹司は呆気にとられて思考が止まっていた。
「おめでとうございます!貴方は当店が開店してから100万人目のお客様です!記念として1年間のカレー無料パス、そして賞金10万円を贈呈します!」
「え、はぁ?・・・あ、ありがとう」
「今後とも『パブロフカレー』をよろしくお願いいたします!」
コック帽をかぶった太ったシェフに良い笑顔でパスと賞金を受け渡され、それを受け取った徹司はすぐさま『奇跡』を切る。
徹司はパスと賞金を持ったまま、今まで味わったことのない経験に酔いしれていた。
そして感極まったのか自然と涙が目尻に浮かび、それは一筋の涙へと変わっていた。
後から付いてきたサタンは状況がよく分からないが、泣いている徹司を見て若干引いていた。
が、ここはカレーのためと奮起して徹司に声をかける。
「お、お前、何で泣いてるんだ?」
「・・・こんな」
「こんな?」
「こんな事が、起きるなんて初めてで、グスッ」
それを聞いておおよそサタンは納得していた。
確かに徹司の過去にはたまたま運が良かったと言えるような事が一切起こっていなかったのだ。
じゃんけんをすればする事自体が無駄だったかのように全て負け。
商店街の福引は当然のようにティッシュのみ。
宝くじを試してみても全てはずれな上に数字は一つも重ならなかったという。
そして、仲間内での麻雀などカモ以外の何物でもなかった。
それほど運がいいという言葉が似合わない男、それが徹司だった。
人生で初めて体験した実感できる運が良いことに徹司が感動しない訳が無かった。
「おい、とりあえずカレーだぞ」
感動をぶち壊すようにサタンは徹司へと言い放つ。
明らかに語尾が強くなっていた。
「ん?ああ、そこに座れ」
泣いたために気持ちが落ち着いたらしい徹司は涙を拭き、テーブルの椅子にサタンを座らせてその対面に徹司も座る。
そして、手にひっつくような感触のあるメニュー票を取り、サタンに見せる様に置いた。
そこにはカレーのイメージ写真が幾つも貼られ、身を乗り出すほど興味深々なサタンはその写真に釘づけになる。
「これか!これがカレーなのか!」
「サタンってのはカレーも知らないのか」
「知らんな、少なくとも魔界の食事では見たこともない。似た様な物はあるがこんなに良い匂いはしない」
「魔界、ねぇ」
どことなく冷ややかな目をする徹司にさすがにサタンもイラッとしたようだ。
メニューから目を離すと徹司を睨みつける。
「なんだ?何か言いたい事があるのか?」
「いや、お前が不思議な力を持ってるのは分かった。契約も本物っぽいのも分かった。ただ、魔界ってのが本当にあって、更にお前が、お前みたいな子供が魔王サタンなんて言われてもどうも信じがたい」
「中々、ハッキリ言う奴だな。よし、いいだろう。カレーの分として魔界を見せてやる・・・っておぃ!?」
何時の間にやら徹司は後ろを向き、普通のカレーを2つ店員に頼んでいた。
店員が下がると目を細めて怒っているサタンに徹司は気がついたが、特に悪びれる様子もなく向き直る。
「カレーを知らないんだから、とりあえず基本のカレーを頼んでおいた。それでいいだろ?」
「む・・・、いい、それで」
「そうか。で、何だっけ?」
「ぬぬっ、魔界を見せてやると言ったんだ!」
徹司のとぼけた態度にサタンは声を荒げて言う。
幸い、他の客は時間が遅い事もあり、誰もいなかったが店員達は裏でコソコソと話し出す。
何も知らなかった徹司の時の様に、頭の痛い客だ、と。
そもそもゴスロリ服を着た外国人の子供らしい子を連れ、頭から服にかけてペンキが付いてボロボロな成人男性という組み合わせは、店員の誰もが人生で初めて見た組み合わせだった。
訳の分からない組み合わせはその場にいるだけで異質だったが、そこにさっきの発言が加わると店員達の徹司とサタンを見る目はどん底へと落ちていく。
その不穏な空気を徹司は感じ取り、フリーパスで今後も通う事を考えて慌ててサタンを抑え込んだ。
「分かった分かった、分かったから落ち着け」
「ふん、お前が失礼な態度ばかり取っているからだ。魔界なら今頃、首と体が離れ離れの旅路を歩んでいたぞ。・・・まぁいいだろう、カレーの代償としてお前に魔界を見せてやる!」
サタンが腕を振りあげる。
それが今までに何度か見た魔法を使う仕草に見えた徹司は慌てて止めに入った。
「ちょっ、まさか!こんな所で魔法とか止め!」
「ほれ」
「へ?」
止めようとする徹司を余所にサタンの腕はゴスロリ服のポケットへと伸び、そこから何枚かの薄い紙を出した。
思惑と違って安心した徹司だったが、その差し出された紙を手に取ってみた。
表面はツルツルとした滑らかな感触があり、どうやら絵が描かれているらしい。
いや、絵というよりは映りの悪い写真に見えるほど正確に描写されている。
だが、問題はそんなことよりもそこに描かれている内容だった。
その内容に徹司は唖然としたまま、サタンに心の中の言葉をそのまま吐きだした。
「・・・何これ?」
「何って魔界だ」
「これが?」
「そうだ、これが魔界だ」
手渡された絵には一面に花が生える丘の上にそびえ立つ城が描かれていた。
まるでおとぎ話の舞台のような場所だった。
徹司は別の絵を見てみるが、城の内部からの湖を見る絶景や城の下に広がるように街がある光景ばかりで、どれを見ても徹司にとっておかしいと思えるような物はなかった。
木などの植物が一切なく、曇り続け光のささない空に赤く燃える大地。
それが徹司の中での魔界のイメージだった。
多少は知っている神話でのイメージとはあまりにかけ離れた魔界に、徹司は疑いの眼差しを向ける。
「嘘だろ?」
「む、何が嘘だと言うんだ?お前が何と言おうとそれが魔界だ。まぁ、人間世界のこんなゴミゴミした場所とは違う。ちなみにその城が私の住んでいる場所だ」
自慢げに話すサタンに徹司はまだ疑いの心が晴れない。
サタンに徹司は知っている神話の内容などを話してみると、サタンは途端に腹を抱えて笑いだした。
「あっはっはっは!そ、それは笑える話だな、くくっ。そんな物、ただの作り話だ。大方、大昔に人間界に来た悪魔から聞いた話が色々と捻じ曲げられたのだろう。いや、悪魔にひどい目に合わせられた腹いせもあるかもしれないな」
「あっそ、と言うかそんな昔からお前らはこっちに来てるのか?」
「そうだな、一番最初に呼ばれたのは3000年以上前の話らしい。最初は偶発的に呼ばれたらしいが、それ以降に呼びだす方法が確立したのはおよそ1000年ほど前の事だ。錬金術師だとか、魔術師と言った連中に呼ばれたと聞いている。まぁ、最近は呼びだされること自体がかなり珍しい」
「それに俺が関わったと?」
「光栄に思うが良い、サタンを呼び出す事など今まで1度しかなかったのだぞ?お前は2度目となる」
この小さい子供の話が本当だとしても徹司にはまだ信じられない。
そもそもこの小ささで魔王と言われても、近所の悪ガキを集めた中での魔王様、ようするにただのガキ大将なのではないかと。
実際、カレーが目の前に運び込まれて、徹司の目の前にいる魔王様は子供のように目をキラキラさせていた。
どうにも信憑性は薄いが、不思議な力があるだけに下手に機嫌を損ねるような事は言わないのが賢明だった。
「おい、これはどうやって食べるんだ?」
「そこのスプーンを使ってご飯とカレーを一緒にすくって食べろ、見た目は悪くなるがかき混ぜてもいい」
サタンはスプーンを手に取り、言われたとおりにカレーとご飯を一緒にすくって口の中へと入れてみた。
すると、カレーの香辛料による香りや刺激の後に煮込んだ具材のうまみが口一杯に広がり、噛んで飲み込むとサタンは小刻みに震えだした。
「うまいか?」
「う、うん。こんなの初めて食べた」
初めて体験するカレーのうまさに陶酔したサタン。
その頬は緩み、今まで鋭かった目つきも温和になると心の底から湧き出る幸せに笑顔を浮かべる。
出会ってから今まで見たこともない様なその可愛い笑顔を徹司が目にした途端、ドクンと心臓の鼓動が大きく脈打つ。
そして、おいしさに酔いしれる笑顔のサタンを徹司は茫然としながら見つめていた。
だが、不意に我に返ると徹司は自分の頭を殴りつける。
徹司、お前はロリコンか?ロリコンなのか?違うよな?違うだろ!?違うに決まってるだろ!!
頭を抱えながらさっきのはたまたまで、今まで悪魔そのものだった奴の見たこともない一面に驚いただけだと必死になって自分自身に言い聞かせる。
その横で1口、また1口とサタンはカレーを一心不乱に食べ続け、気がつけば徹司の分にまで手をつけていた。
「あ!お、俺のカレーまで食べてる・・・」
寂しげに言う徹司などまるで見えていないかのようにサタンはカレーを食べ続け、皿が空になると落ち着いた元の顔へと戻っていく。
「カレー、恐ろしい物だ。この魔王サタンが心を奪われるとはな」
遠くを見つめる様な目でどこかを見ながら大人びた雰囲気でサタンは呟く。
その口元にカレーのルーをつけながら。
サタンは満足げだが、あっという間に自分の分まで食べられた徹司は抗議の声を上げる。
「おぃぃっ!俺の分のカレーまで」
「何か、言ったか?」
細められた殺気の籠った目が徹司を捉える。
徹司の背中に冷や汗が流れ、慌てて口を紡ぐとそのまま目を合わせないように伏せながらメニュー票を手に取る。
もう戻らない以上、別のを頼むしかない。
諦めたように店員を呼び、もう一度カレーを持ってきてもらうよう伝えた。
だが、店員は申し訳なさそうな顔をしながら頭を下げる。
その時点で徹司は嫌な予感しかしなかった。
「申し訳ありません、もうラストオーダーは過ぎているんです。残念ですが、また次回お越しください」
「ま、待って!それなら持ち帰りを、ここは持ち帰りが出来たでしょ!?」
「その、残念ですが、貴方方にお出ししたカレーでちょうどカレーのルーが切れてしまったんです。申し訳ありません」
せめてもの抵抗にテイクアウトを選択してみたが、無駄だった。
申し訳なさそうな店員は下がっていき、やはりまだまだ不幸継続中の徹司は諦めたように立ち上がる。
「ん?どうした?お前もカレーを食べないのか?」
「・・・コ、コイツ」
今すぐにでも頭に拳骨をお見舞いしてやりたい徹司だが、握り締めた手を開くと伝票を持つ。
「お前が食べたので最後だ。しょうがないから俺は適当に食い物を買って帰る」
「それは残念だったな。全くカレーの奴め」
「お前じゃないんかい!?」
思わず突っ込みを入れてしまう徹司。
だが、サタンは悪びれた様子もなく軽く笑いながらそれを受け流してしまう。
彼女は間違いなく素だったようだ。
もういいから、さっさと何か食べよう。
どっと疲れの出た徹司は肩を落としながらカウンターへと向かう。
伝票を手渡してフリーパスを見せたがそれは明日からと言う事で引っ込めると、もらったお金で会計を済ませる。
奥で座ったままのサタンを引っ張るように店の外へと出ると、辺りは真っ暗で人の通りもまるでなかった。
徹司はアパートに向かって歩き出すと、サタンもそれについてくる。
「なぁ、お前はいつまでついてくるんだ?」
「ん?何を言っている?お前の契約が切れるまでだ」
「はぁ!?ちょっと待てよ!じゃ、何か?俺は死ぬまでお前と一緒なのか!?」
「そうだな」
あっさりと頷くサタンにまた徹司は頭を抱える。
死ぬまでの間にこんな奴が隣にいては気の休まる暇もないぞ!
徹司はあれこれと離れる手段を考えたが、サタンには常時、徹司の居場所が分かる以上、考えるだけ無駄な事だった。
「私もお前の側になんていたくはないが、契約した以上、しょうがないだろう。まぁ、仮に私が離れたとしても困るのはお前の方だぞ?」
「それは一体どういうことだ?」
サタンがいなくなっても困る要素など1mmたりとも思い浮かばない徹司は怪訝な顔で聞く。
嫌な予感だけはビンビンと感じていたが。
「私がお前から離れすぎるとお前は死ぬ」
「・・・何、それ」
意味の分からない話に徹司の足が止まる。
その途端、突風が吹き荒れると徹司から未使用のカレーフリーパスを奪い取るように吹き飛ばし、そのまま風に乗って空の彼方へと飛んで行った。
だが、徹司にはそれを目で追う気すら湧かず、ただ絶句してその場に立ちつくしていた。
徹司の残りカウント:570秒
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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