第15話
「っ・・・」
デンサスは、今自分のいる状況に息を呑む。
怯える商隊の周りをイベルが囲む。護衛の騎士たちが商隊を守るように前に出た。彼らの前では、クインが“イベルアの民”と対峙している。
――俺は・・・
自分の足が震えてくるのが分かる。
「イベルアのために、この人間達には犠牲になってもらうよ」
ラドンの言葉が聞こえてきた。 死の宣告をされた商隊の皆の顔が恐怖に染まる。
そのような中で思い浮かぶのは、ボルスと共に暮らした工房生活の日々だった。彼らと共に笑い合った日々が、自らの感情を乱していく。
――俺は・・・っ!
イベルたちが近寄ってくる。商隊の皆が一点に寄り固まる。死という“運命”が彼らに襲いかかろうとしている。
「くそっ・・・」
デンサスの声は小さく、誰にも聞こえなかった。
静かな書館の中で、ボルス達三人は小さな本を囲んで座っていた。外からは鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
エリューはゆっくりと本を開いた。開いたページには、数行の文章が中央に書かれていた。
――私は精霊である。そのため、これから私が書くことは全てではない。そして、この内容を世に知られることがないようにして頂きたい――
「…これは、俺が知るべき内容では無いのでは・・」
アシュレイが椅子から立とうとする。
「私の側近が知っておかなくてどうする」
エリューはアシュレイのベルトを引っ張って座らせる。
「まぁ、読み進んでみようじゃないか」
エリューは次のページへと本をめくった。
(精霊達には、俺たち人間には話せないことがあるのか・・・)
では、なんでクインは人に話せる限界まで教えようとするのだろうか・・。
(なにか、俺達に気づいて欲しい事があるのかな・・)
ボルスは、その疑問を頭の片隅においておきながら本の内容を読んでいく。
書館の窓から見える空には、黒い雲が垂れこんでいた。いつの間にか鳥のさえずりも聞こえなくなっている。
本の内容は、イベルとイベルアの民に対する対応策のように書かれていた。
「・・・へぇ。精霊の戦い方は洒落ているな」
エリューの感心した声を聞き、ボルスはその文面を見る。
――精霊やイベルアの民は、自らの音を大気に奏でる事によって自然と共に戦う。戦いの中で音色を耳にしたときは、イベルアの民がイベルを従えていると警戒すべきである――
「本当だ・・・どうやって戦っているのでしょうか」
「さぁ・・。私も検討がつかないな」
音を奏でて戦うなど、想像もつかない。
(なんだか、違う世界の話のようだ・・・)
このような事が、自分たちの世界にもあるのだろうか。全く現実味が感じられない。
(でも、これが本当に起こったら・・・)
身体を冷たいものが流れる。隣でアシュレイが息を呑んだ。おそらく、同じ事を考えているのだろう。
三人は本を読み進めていった。
一方で、軍事会議を終えたリオンは、国王ダウリュエスのいる執務室に向かった。険しい表情を浮かべながらさっそうと廊下を歩いて行く。
この十数年間、争いという事態は皆無だった。争いのない平和な時代で育ったリオンにとって、初めてのことである。いつ争いが起きても対処できるように兵たちを厳しく指揮してきた彼でも、実際に体験する危険な状況に頭を悩ませていた。
執務室の前にやってきて、ダウリュエスの声を待つ。
「入れ」
その言葉に従って執務室に入った。
「軍事会議の報告に参りました」
ダウリュエスは仕事をしていた手を止めて、リオンを見る。リオンは険しい顔をしていた。
「こちらに座りなさい」
リオンはそれに従って椅子に座る。
「会議に出向くことができなくて済まなかったな」
ダウリュエスは書類を机からどかす。
「いえ」
そう言いながらも、少しつかれた顔をしている息子の顔を見て、ダウリュエスは小さく息をつく。リオンはダウリュエスに淡々と軍事会議の内容を伝えた。
「そうか・・」
報告が終わり、ダウリュエスは考えこむ。
「商隊を、南の商業都市ルビに送る・・か」
「はい。しばらくは道の安全を軍の方で調べてみてからとなります」
南の商業都市ルビは、サラディアの北東にある巨大な商業都市ルーマには劣ってしまうが、大きな商業都市の一つである。そこでは、サラ王国の領土に入っていない国や民族の貿易も行なっているため、豊かな物資が結集している。サラディアの人々を多少でも養うことができるだろう。
「本当は、商隊が出なくて良いようにしたいが・・。」
そうつぶやく父ダウリュエスを見る。
このような状況になって初めて、サラディアが非常に脆い土地であったことを実感する。豊かな生活を送ることができたのは、周りの街の支えがあったからだったのだ。
(サラディアの生活を保つには、どうしたら良いのだろうか・・)
本を読み終え、ボルスは書館を出た。きれいに手入れされた庭園が広がっている。空には黒く淀んだ雲が未だ垂れこめていた。
(・・・嫌な天気だ)
あの本には、今まで全く知らなかった事ばかりが書かれてあった。博識の兄エリューでさえも驚いていた。
(俺達は、この世界のことを何も知らないのだな…)
精霊、イベル、そして中心世界と呼ばれるイベルア。皆知ってはいたが、その正体についてはほとんど知らない。しかも、あの本に書かれた事が全てではない。
(この世界って、一体何なのだろうか・・・)
冷たく、不気味な風が吹き抜けていった。
「・・・デンサス、大丈夫かな・・」
ポツリ、と黒い空に向かってつぶやいた。