七話 饕餮と人間の食べ物
「本当に饕餮なんだよな?」
「……貴様は一度言われたことを理解出来ぬほど阿呆なのか?」
ようやく現実を飲み込めた悠一は、自身の前に仁王立ちし見下ろしている少女の姿を観察する。
背は低い。
百三十センチほどの、子供にしか見えない体格。
墨紫色の太腿まで伸びた長髪。
そして深紅の瞳の奥で揺れる、猫のような縦長の瞳孔。
その二つが、体格に不相応な存在感を放っていた。
着ている服も現代のものではない。
袖の長い上着を羽織り、その裾から赤い裏地が覗く。
下にはチーパオのような服を着ているらしく、黒を基調とした生地の所々に金色の刺繍が走っていた。
上半身に重心が寄ったシルエット。
可憐さを感じさせつつ、下半身のスリットが動きやすさも兼ね備えた出で立ちだった。
――今まで声だけ聞いていただけに、どうしても頭が混乱してしまう。
これまで散々上から目線であれこれ言ってきた相手がこんな見た目で、しかも女の子だなんて、正直、どう接すればいいかわからない。
「なんでこんな姿になってるんだ。さっきの物言いだと、封印前はこんな子供みたいな姿じゃなかったんだろ?」
「こんなことは言いたくないが、人と契約したからだろうな。封印前に身体のほとんどを失ったが故、再構成する際に契約者である貴様の影響があったのだろう。……それと、まだ力が足りぬからこんな窮屈で幼い姿になっているだけだ、余は子供ではない」
「わかったか」と念押しされた悠一は認識を改めざるを得なかった。
連続で子供呼ばわりされたことが余程不満なのか、表情は硬いままだ。
「貴様、立ち上がってみろ」
「いいけど、どうした?」
命令されるがまま立ち上がる。
両者の身長差は歴然だった。百七十四センチの悠一の胸あたりに丁度饕餮の頭がある。
ますます饕餮が表情を曇らせる。
「……見下されるのは気に障る。貴様は床に座っていろ、余が上だ」
「ここ、俺の部屋なんだが!?」
――こいつ、出てきていきなり俺の部屋を乗っ取るつもりか。
「誰のお陰で今日まで生きてこれたと思っている」
「そりゃあ、まぁ……饕餮のお陰だな」
結局、接し方に迷っていた悠一と違い、いつも通りの調子の饕餮によってこれまで通りに会話をする二人。
一瞬で場の支配権を手に入れた饕餮により、悠一は床に胡坐をかくことになった。
「ふむ、当世の人間の寝具はここまで座り心地がよいのか。悪くない」
初めて触れるベッドをぽんぽんと叩く。
そのしぐさが妙に微笑ましく感じてしまう悠一だった。
「柔らかいな」
「そりゃベッドだからな」
「貴様の影より寝心地がよさそうだ……決めたぞ、ここは余の寝所とする」
「は? いやいや、そこは俺の寝る場所なんだが」
「問題あるまい。場所に余裕があるなら二人でも……いや、やはり貴様は床で寝るといい」
「大アリだ。床で寝るなんて絶対に嫌だ」
そんな風にベッドの所有権を巡り口論が起きかけるが、悠一は饕餮に聞かなければならないことを思い出した。
支部からの帰り道に出会った饕餮の友人と名乗る幽魔のことだ。
「支部からの帰り道にお前の友人だって言ってる幽魔と会ったんだけど」
ベッドを撫でていた饕餮の手が止まり、眉間に皺を寄せて考え込む。
「同じ親から生まれた竜生九子――余の兄弟たち。あやつらなら分かるが、友人と呼ぶべき対等な存在はおらぬ。誰だそやつは」
「その兄弟のうちの一人とかじゃないのか?」
「あり得んな。奴らは既に余が喰らった者と」
「えっ」
「余の強さに恐れ慄いてどこかに消えたものばかりだ」
さらっと明かされた兄弟同士の骨肉の争いも気になる悠一だが、過去を詮索されることの痛みはよく分かっていたので、ひとまず意識の外に置く。
友人を騙る謎の幽魔の見た目や雰囲気、言葉をなんとか形容して伝えるが、反応は芳しくない。
「人の形をして当世の意匠に身を包んでおるのなら、昔と姿が変わっていて判別出来ん。なんとも粘ついて気持ちの悪い執着を余に向けているようだが……会いたがっているのなら」
「次に会った時に喰らってやろう」
悠一が幽魔から感じた不安には目もくれず、新たな獲物を見つけた饕餮は口からギザギザとした歯を覗かせて笑う。
外側は少女だが、やはり中身は全てを喰らい尽くす狂暴な幽魔だということを悠一は今一度胸に刻んだ。
「ところで、だ」
謎の幽魔の話はもう終わりだとばかりに饕餮は悠一に命令する。
その目には、影の中からはっきりと見えていなかった外界への好奇心が浮かんでいた。
「ここは貴様の家なのだろう。なら、余の家でもあるということだ。疾く案内せよ」
「確かにここは俺の家だけど、勝手に自分のものにはしないでくれ」
◇
自室、リビング、風呂場と案内していく悠一。
その合間に饕餮が時折質問を挟んでくる。
饕餮の動きはどこかぎこちなく、人間の体に手間取っているようだった。
「邪魔だ」
「何が? まさか俺か?」
「髪の毛だ。こうも長いと鬱陶しい」
確かに饕餮の髪は長く、動き回るには少々不便に見える。
手先を器用に動かすことにもまだ不慣れなようで、実体化できたとはいえ戦闘時に何かするのはまだ難しいだろうと零す。
「契約者なんだし、饕餮が慣れるまで俺が頑張るしかないか」
「随分と威勢のいい物言いをするようになったな。なら、精々励むといい」
時刻は既に二十時を回っており、流石に腹が減った悠一は冷蔵庫の扉を開けてみるが、あまり量は入っていない上に一から作るには遅い。
「この飽食の時代にこのような貧相な備蓄しかないとは、貴様、もう少し食を楽しむ気はないのか?」
「俺は同じものを数日続けて食うのも苦じゃないし、昨日今日って色々あったから買いに行く時間もなかったんだよ」
そう言って悠一は脳内で簡単に作れる料理を考え、同時に饕餮の言葉についても思案していた。
――食を楽しむ。かぁ。
あんまり意識した事なかったけど、これから訓練とかして体力使うんだろうし、栄養とか食う楽しみとかも意識した方がいいのかな。
いずれ饕餮とも食卓を囲むことにもなるんだろうか。
結局、今回は時短のためのインスタントラーメンだった。
質素な食生活への些細な抵抗で卵を落とし、ネギを散らしてみる。
「湯を入れてしばらく待つだけで出来上がるとはなんと面妖な」
「俺からしたら急に人型になって出てくる饕餮の方が面妖って言葉に相応しいと思うけどな……安藤百福さんに感謝だな」
「アンドウ? 誰だその男は」
「インスタントラーメンを作った人」
数分の待ち時間を終え、ラーメンを啜る悠一。
質素な食事ではあるが、晩飯時の家に誰かが居るのは久しぶりのことだった。
「いつか余も、人と同じものを食べてみたいものだ……」
小声で、自身の新たな望みを口にする。
暴食の怪物らしくない、小さくて無垢な願い。
「なら、もしお前が人の物に触れられるくらいに力を取り戻したら俺が何か奢ってやるよ」
「貴様、聞いていたのか」
「悪いな。でもその望みを叶えるなら、もっと強くならなきゃな」
「当然だ」
護る力と、完全な復活。
交わっていなかった両者の願いが、小さな結びつきを得た瞬間だった。




