五話 境界を護る者たち
「土御門泰正だ。土御門衆葦原支部の支部長をしている。よろしく」
身長は悠一や命より頭一つ分大きい。
青みがかった黒髪はやや無造作で、顎には無精髭が残っている。
整った顔立ちだが、どこか気の抜けた表情のせいで鋭さより飄々とした印象が強い。
その一方で、糊のきいたスーツが妙に真面目な雰囲気を作っていた。
「このスーツかい?」
悠一の視線に気付き、ニヤッと笑う泰正。
自分の雰囲気のアンバランスさを自覚しているような笑みだった。
「まぁ、俺なりのポリシーってやつでね、せめて格好くらいは組織人っぽくしないと……って、立ち話もなんだし車乗りなよ」
「どこに行くつもりなんですか?」
「支部に来てもらうことになるけど、その前に――命ちゃんと戦って痛い思いしただろうし奢らせてよ」
◇
車中。
運転席には泰正、助手席に命、右側の席には悠一が座っていた。
やや音量を落としたラジオから流行りの曲が流れている。
悠一の隣にはハンバーガーの紙袋が置かれており、車内には既に食欲をそそる匂いが充満していた。
「まぁ、いきなり初対面の人間と一緒に飯を食うことになったら警戒ぐらいするか。俺は支部に着いてから食べるから、二人は先に食べていいよ」
悠一は奢られることに対する遠慮と、少しの警戒心からテイクアウトを選択していた。
「これ、君のだっけ?」
「うん、ありがと。……右手大丈夫? 泰正さんに治してもらってたみたいだけど、その、ごめんね」
「いや、気にしなくていいよ。元はと言えばこっちの勘違いが原因なんだし、痛みも今はほとんどないし」
命の分のハンバーガーとドリンクを手渡し、心配する命にひらひらと手を振って無事をアピールする。
車に乗る前、悠一は札を使った簡単な治療を受けていた。
「そのハンバーガーとやら、何やら美味そうな匂いがするな。余に献上せよ」
「いいけど、多分食えないんじゃないか?」
そう言って悠一はバンズの端を少しちぎり、影に近付けてみる。
だが、刀や鬼の幽魔のように吸い込まれる気配はない。
「……つまらぬ。封印される前であったらこの口で味わえたというのに」
少し拗ねたような声が脳内に響く。
食や欲に関連する存在であるが故に、現代の食文化が気になるのだろう。
「もしや――饕餮に分け与えるように言われた感じかい?」
バックミラー越しに動きを見ていた泰正が質問する。
その目には悠一と饕餮という存在への好奇心が見え隠れしていた。
「ええ、まぁ。けど、干渉できないみたいです」
「そりゃそうだろうね。封印前ならいざ知らず、今の力がない状態じゃ人のものに干渉できないだろうしね。そもそも、現代じゃ人と幽魔に境界線が出来てしまった。人間が作った物に触れるなんて、よほど力のある幽魔じゃないと無理さ」
それは悠一にとって初めて聞く話だった。
あの護境師から教わったのは、本当に初歩的な知識だけだったのだと改めて思う。
「あの男……余を見下しおって、気に食わぬ」
饕餮が忌々し気に呟く。
言いたいことがあったら自分にだけ念話で言わずに反論すればいいのに、と思いつつハンバーガーをかじる悠一。
「その、人と幽魔に出来た境界線を護るのが護境師――土御門衆なんですか?」
「そんなところ。まぁ、概念的な境界線というよりは互いの領域、決まりを侵さないようにするって感じかな」
かなり簡略化されている説明だったが、わかりやすくはある。
幽魔に人を襲わせず、人が不用意に幽魔へ近付かないようにする。
「ただ、そんな調停者みたいな役割をしているのはうちの組織だけ。他の非正規の護境師――野巫は依頼を受けて積極的に幽魔の駆除に動く輩もいる。君を救った護境師も、おそらく野巫だろうね」
「あたしもおかしいと思ったんだよね。幽魔被害に遭ったのにそのことをはっきり覚えてるなんて」
――自分を救ってくれた人が正規の存在ではない。
人によってはショックを受けるだろう内容。だけど、饕餮を影に仕込む、目の前の二人と違って素顔を晒さないなど怪しい部分が多かったから、納得はできる。
「そのことについては今ので納得しました。けど、俺を支部に連れていく理由は何ですか?」
「ちゃんとした話だし、相応しい場所――支部に着いてのお楽しみかな。まぁ、君にとっても悪い話じゃないはずだよ」
悠一は納得し、ハンバーガーを再び食べ始める。
はぐらかされているのは気になっていた。だが、何度も念押しして危害は加えないと言われたのでそのことについては信用することにした。
◇
車は市街地を抜け、やがて住宅街の外れへと入った。
――目の前に現れたのは数寄屋造りの大邸宅。
木と石材を組み合わせた落ち着いた外観。壁は灰褐色の左官仕上げで、屋根は黒瓦。
和風とモダンが溶け合ったその佇まいに、悠一は思わず息を呑んだ。
「ここが葦原支部だ。うちが買い取った民家でね、和風建築なのは偶然……というか俺の趣味かな。怪しまれない程度に雰囲気が出ていいだろう?」
そう言って門を潜る泰正と命。
悠一も敷地に踏み入ろうとするが――。
門を跨ごうとした瞬間、少しの違和感……空気が違うものになるような感覚を味わった。
「貴様も気付いたか。この拠点、周りに結界が張り巡らされている。恐らく中も普通の人間の家ではないだろうな」
内部がどうなっているのか、少しの不安と好奇心を抱きながら二人は歩を進めた。
玄関から廊下に上がった悠一の目に入ったのは紙で出来た数体の人形が段ボールを運んでいる異様な光景だった。
「泰正さんの式神だよ。支部に来て日が浅いから、荷解き兼来客対応として家中に放ってるの」
「いやぁ参ったね。来客が来る前に片付けておきたかったんだけど、荷物が多くてさぁ」
式神。特に紙でできたものについては悠一もエンタメ作品からの知識で知ってはいたが、それに片付けをさせる陰陽師というのは初めて見るものだった。
「な、なるほど」
「食べても味もなけりゃ食いでもないだろうから、饕餮には食べないように伝えといてよ」
「こんな紙切れ、余の食指が動くはずなかろう」
片付けをする式神たちの横を通り抜け、案内されたのは客間。
客間の扉を開けると目に飛び込んできたのは黒檀のフローリングと白い壁にかけられた掛け軸や古文書。客人用だと思われる低い座卓とそれを挟むソファ。
ソファに腰を下ろした悠一の向かいに泰正が座り、正面から目を見つめる。
一瞬の静寂のあと、泰正が悠一を支部に連れてきた理由を語った。
「色々と説明したいことはあるが、昨日今日で疲れているだろうし単刀直入に言おう。――悠一君、護境師にならないか?」
あまりにも簡潔な誘い。
悠一とて勧誘されることを予想していなかったわけではなかったが、こうもあっさりだと逆に返事がし辛い。
「なんで俺を誘おうと思ったんです?」
「いいね、君が気になることを聞いてくれれば説明は少なく済む。……うちの組織は人手不足でね、この支部だって当初はもう一人――鴨寺ジンって子が配属予定だったけど、別件で足止め食らってて今いる護境師は俺と命ちゃんの二人だけだ」
「おまけに命ちゃんは強いけど護境師としての活動期間は一年未満だ。そんな状態でここら一帯の幽魔被害を食い止めるのはかなり骨が折れる」
悠一の脳裏に過るのは自分の攻撃を完封し、それでもまだ余裕のあった命の姿。
あの強さでまだ一人前じゃないんだとしたら、これから鍛錬を積めばどんなに強くなるのだろう。
「……命ちゃんの可能性について考えているみたいだけど、俺は君も鍛錬を積めばしっかり強くなれると思っているよ。最も、それはしっかり教えられる存在がいればだけど」
「動きは速かったし、鍛えれば化けそうだよね。あたしが鍛えてあげるよ」
「昨日の鬼も、君は運だと思っているだろう。だが初戦で死なずに倒した。それは立派な素質だ」
突然の誉め言葉に悠一は驚いた。
昨日の戦闘はただがむしゃらに動いた結果だと思っていたが、それでも評価してくれることがありがたかった。
「……土御門衆に入れば鍛えてくれるってことですか?」
「もちろん。第一、君と饕餮が結んでいる割命契約だと幽魔相手に負けたら二人ともお陀仏だ。悠一君は護る力が欲しくて、饕餮は完全復活を目指してるんだろ」
「トネリン、あたしも仲間が増えると嬉しいな」
自身と饕餮の目的と、命からの情に訴えかけるような勧誘。
理由も納得でき、安全が保障された状態で鍛えられるメリットもある。
「……少し饕餮と相談してもいいですか?」
首を縦に振る泰正と、悠一の返事を心待ちにするような命の視線を他所に、一度意識を沈める。
「貴様が断る理由がどこにある」
「簡単に決めていい話じゃない。俺達二人の問題だ、話し合った方がいい」
「人間の組織に属すのは癪だが、効率よく幽魔を喰らえるなら余は構わんぞ? 貴様の願いにとっても悪くない話ではないか?」
「お前なぁ……」
「気難しいやつだと思ってたけど案外冷静で合理的なんだな」と饕餮に知られたらタダでは済まない感想を抱きつつ、悠一も考えを固めた。
――この選択をしたらいよいよ見て見ぬふりは出来なくなるだろうし、昨日とは比にならない危険な状況になるだろう。
けど、ここで逃げたら今までの俺と同じだ。
泰正さんと饕餮の言う通り、俺の願いに必要な道なら進むしかない。
「……決めました」
「俺、護境師になります」
喜ぶ命と、目を細める泰正。
こうして悠一は、土御門衆に加わることになった。




