三話 謎の転校生、巫木野命
「おはよ。こんなところでボーっとしてどうしたん? 課題のせいで寝不足とか?」
昨日、何度も寝ようとしたが結局睡眠時間が足りず寝不足な悠一にこはるが声をかける。
二年生の教室は二階にあり、HR前ということもあり廊下は賑わっていた。
「まぁ、そんなところかな。それより……昨日、変なこと起きなかったか?」
「なんにもなかったよ? てか、寝不足なら早めに席座って休んでたほうがいいんじゃないかな、転校生も来るんだし」
いつもと変わらない様子で答えるこはるに、悠一は内心でホッと胸をなでおろした。
昨日の鬼が群れで暮らしていたんじゃないかと不安だったが、どうやら杞憂だったらしい。
それだけで、昨日死にかけたことが報われたような気さえする。
「そうだな。転校生の横で居眠りなんてかましたら、初日から悪印象持たれそう」
そう言ってこはるは一組、悠一は三組の教室へと歩を進める。
三組の教室に入ると、クラスメイト達がそれぞれグループに分かれて集まり、廊下の面々と同じように各々話し合っていた。
大半の話題は転校生についてだった。
黒板にはチョークで書かれた担任の挨拶と座席表が貼られており、万が一春休み中にあったクラス発表の内容を忘れていても問題ないようになっている。
席は窓側二列目の最後尾で転校生は隣の席だ。
こはるの忠告を思い出し、着席しHRまで寝不足を解消しようと考える。
その時だった。
ドタドタと重い足取りが廊下から響き、教室の扉が引かれると同時に少し太めの男子が息を切らせて席に滑り込む。
「ふぃ~~っ。チャリのチェーンが途中で外れかけてさぁ。進級初日から遅刻しかけるとか、ツイてねぇ~~」
悠一の斜め前の席で、寝癖混じりの黒髪を櫛で整える彼――矢代耕太は、悠一の二人目の友人で、こはるの幼馴染でもある。
「お前、昨日なにしてた? こはるに廃トンネル行こうって誘われてたはずだろ?」
「課題ぶっ通しでやった後に燃え尽きて寝てて気づかんかったわ。後回しにしちゃいかんね」
「それ、長期休み終わるたびに言ってないか?」
「そうだったっけ?」
とぼけるように笑う彼のリュックにはアニメやゲームのキーホルダーやら缶バッジやらがいくつか付いている。
こういうものの持ち込みを禁止している高校も少なくはない。だが、葦原高校は比較的校則が緩いのだ。
「そういえば転校生ちゃんの噂って知ってるか舎人?」
「いや、そもそも苗字もあやふやでさ」
「マジかよ、流石にそれくらいチェックしとけよな。隣の席なのに名前覚える気がないとか嫌われても知らねーぞ?」
――昨日の事があって疲れてるとはいえ、確かに名前覚えてないのは失礼すぎるよな。えーっとなんて読むんだっけ?
悠一は目を凝らして確認する。巫木野命という字はわかるが、フリガナまではこの席からは見えなかった。
「ふぎのみことって読むんだってよ」
「巫木野って珍しい苗字だよな、読み方初見だと難しいだろ」
「いやお前が言うなよ。舎人って苗字も十分――。じゃなくて、その転校生、奈良からこっちに来たらしいぞ。そんな遠くからはるばる来るとか、こりゃギャルゲなら美少女ヒロイン確定だね」
「噂って、結局お前の願望じゃないか」
「期待するだけタダなんだし別によくね?」
そんな風に会話をする二人だったが、HRの開始を告げる予鈴と共に担任が入室してくる。
先ほどまでの賑やかなムードから一瞬で静かな雰囲気へ切り替わった。
担任は軽く挨拶をした後、転校生に入室を促す。
教室内の生徒全員の視線がドアに注がれる。
誰かが息を呑む音が聞こえたような、それほどの期待感と緊張感が漂っていた。
だが、当の本人はそんな空気をものともせずに現れた。
第一に皆の目を引いたのはその背の高さだった。悠一よりもほんの少し低いが、間違いなくこのクラスの女子の中では一番高いだろう。
黒に近い焦げ茶の髪は、胸の少し上あたりまでをゆるく三つ編みにまとめられている。きっちりしすぎていない編み目が、黒板の前へと歩くたびに軽く揺れた。
前髪は左右で分けられ、額が真っすぐに出ている。
「今日からこのクラスに入る、巫木野命さんだ」
「奈良から来ました。まだ引っ越してきて時間が経ってなくて……色々分からないことも多いので、教えてくれると助かります。よろしくお願いします」
声はよく通り、大げさな抑揚はない。
悠一は自分の中学生の時の最初の自己紹介と比べてしまい、そのあまりの完璧さに打ちのめされかけていた。
黒板に書かれる字も綺麗で、どこか育ちの良さを感じさせる。
こちらに向き直る彼女の顔は堂々としていて、転校生としての異物感なんてこれっぽちも感じさせない。
今までの少ない所作でも、これまでの人生で培われた自己肯定感の高さが伝わってきてそれが少し眩しかった。
顔も整っている。だが、作りこんだ印象はなく、どこまでも自然体。
――まさか耕太の言ってたことが当たるとは、隣の席の奴とか、他の男子どもにかなり嫉妬されそうだ……って、俺じゃん。
「席は――舎人の隣だな」
担任が指し示すと同時に命が近付いてきた。
歩幅が大きく、リノリウムの床に軽快な足音が響く。
耕太が振り向き、なにやらアイコンタクトを送るが彼には理解できなかった。
「よろしく。名前なんて言うんだっけ?」
「舎人悠一。こちらこそよろしく」
名前を聞いた彼女は、何かを考えるように三つ編みを指でいじり始めた。
三つ編みの先が、くるくると円を描く。
琥珀色の瞳が何度かこちらの様子を窺っているのがわかったが、気にしないふりは慣れていた。
「舎人、舎人ねぇ」
何かを確かめるように頷く。
確かにあまり聞かない苗字だが、それは向こうも同じなはず。
一瞬、彼女の視線が悠一の足元へと注がれた。
反射的に影を見る。だが饕餮は眠ったままで、反応はない。
どうして警戒してしまったのか、答えが見つからなかった。
「……じゃあ、トネリンってあだ名はどう?」
「は?」
突然告げられたあだ名に困惑するのと、クラス中で二人の関係について話し合う声が聞こえ始めるのはほぼ同時だった。
◇
「いきなりあだ名で呼んでもらえる上に隣の席とか、羨ましいったらないね。モテ期かぁ? トネリン」
「俺も驚いたけど、別に誰とでも距離近いタイプだろ。お前らだって仲よさそうに話してたじゃないか。後そのあだ名で呼ぶのやめてくれ」
始業式、クラス内での軽い自己紹介や係決めなどの初日の行事があらかた終わり、短縮授業ということもあり下校時間に差し掛かった頃。
悠一は耕太含む知り合いの男子数人に詰められていた。
「それはそうだけどよぉ。皆に対して距離近めな分、唯一あだ名付けられてるお前が目立つんだよ」
これはまた長くなりそうだなと思う悠一の視界の隅で、教室のドアが開けられた。
現れたのは話題の巫木野命その人。
一度教室を出たものの、帰ったわけではないようだ。
「トネリ~ン! あたし迎え来るまで暇だし、話し相手になってよ」
泣きっ面に蜂、とはこのことだろう。
悠一を取り囲んでいた耕太をはじめとする数人にざわめきが広がる。
「これ、放課後デートか?」
「羨ましすぎる……!」
ますます抜け出すのが困難になったと内心で頭を抱える悠一だが、命に引っ張り出される形で包囲をすり抜ける。
流石に女子に対して騒ぎ立てるほど、男たちは肝が据わってはいなかった。
「俺たちの負けだ。上手くやれよ、舎人」
「だから勝ちとか負けとかじゃないだろ!」
勝手に負けを認め、妙に爽やかな励ましを送る耕太に反論しながら命に連れられて階段を下る。
「あたしのお陰で助かったでしょ? あのままあそこにいたらしばらく帰れなかったんじゃない?」
「元はと言えば君に付けられたあだ名が原因なんだけどな」
「え~~、もしかしてこのあだ名嫌い? 可愛いじゃん、トネリンって」
悠一としてはあだ名に不満があったが、呼び方を変えるつもりはないらしい。
昨日今日と、起きる出来事の多さにすっかり置いてけぼりで、今さらあだ名を変えさせる気力も湧かなかった。
「で、迎えが来るまで何を話すんだ?」
靴を履き替え昇降口を出た二人の前には、不自然なほど人が少ない。
昼頃ということもあり、下校中に寄る場所や昼食について話し合う生徒が少しは居てもいいはずだ。
悠一のスニーカーの足音がはっきりと聞こえるくらい閑散としている。
「なにって、例えば――昨日の事とか?」
そう答える命の姿が揺らぐ。
制服の上に、一瞬巫女服のような幻影が重なる。
「まさか、正体不明の戦闘反応を残した人が転校先のクラスメイトだったなんて、運がいいのか悪いのかわからなくなるよね」
命の妙な気配と言動を察知したのか、影が警戒するかのように蠢き始める。
饕餮が静かに目を開けようとしていた。




