十一話 あだ名
模擬戦は何度も行われた。
悠一は一戦目のように冷静さを欠くことはなくなったが、それでもまだ届かない。
ある時はフェイントに騙されて体勢を崩され、またある時は背後を取られた。
焦る気持ちを「一朝一夕で簡単に強くなれたら苦労しない」と抑え込んでひたすら勝負し続けた。
「今日のところはこれで終わりにしようか。焦る気持ちはわかるけど、悠一君はまだ護境師になって数日しか経ってないんだ。あまり無理すべきじゃない」
五戦目が終わった後、泰正はそう言い残して支部長室へと戻っていった。
支部長の仕事は多い。
本部との連絡、式神による索敵、書類処理。
例の幽魔の件もあり、模擬戦の審判は合間を縫ってのものだった。
「おつかれ、あたしちょっと水取ってくるね。トネリンは休んでて!」
「助かる」
命も訓練場から去り、残されたのは悠一と饕餮だけ。
悠一の荒い呼吸だけが木霊する訓練場で、ぺたぺたと饕餮の足音が近付いてくる。
疲れて床に座り込んでいた悠一を饕餮は見下ろす。
人型になって以来、悠一が自分より低い位置にいる時を見計らって話しかけることが増えていた。
「あの小娘、強いな」
「ああ……まだ本気を出してないみたいだし、本当に強い」
「貴様よりあの小娘の方が契約相手としては当たりだったかもしれんな」
「やっぱり弱いか、俺は」
悠一は自身の未熟さをよく分かっていた。
一戦目の後に饕餮から感じた蔑視の念が消えていないことも。
饕餮の比較に傷付いたこともあり、弱音の一つくらい吐いてもいいだろう、と開き直りかけてもいた。
「履き違えているぞ。確かに貴様は弱いが、余が言いたいのはそこではない。……貴様は護るために戦うと言ったな」
「そうだよ。お前にとっちゃ退屈な願いかもしれないが」
「……護るということはただ黙って蹂躙されるのではなく、相手に抗うことなのだろう? だが、貴様からはどうも相手に勝ちたいという気持ちが見えてこない。その点、あの小娘は相手に勝つことを意識して動いているように見えた」
饕餮は悠一の足元の刀を手に取り、刀身をゆっくりと指でなぞった。
命を奪う道具であり饕餮の牙でもあるそれが、照明を浴びて鈍く光る。
「この刀は飾りか? 刀を振るうのは相手に勝ち、護りたいものとやらを護るためではないのか?」
「違う。俺はだって勝ちたいと思ってる。ただ、それが簡単に出来るならこうも苦労しない」
「強くなりたいから戦うのではない、戦っていくうちに強くなるのだ。今回は本当の殺し合いではなかったから命拾いしたが、本来弱者も強者も一度負けたらそこで終わりだ。だからこそ、たとえ訓練でも勝利に飢えろ」
悠一にとっては耳が痛い話だった。
学校での戦闘やこれまでの任務で命との力量差を感じていたからこそ、勝てるわけがないと無意識に自分に言い聞かせてしまっていた。
「飢えて喰らってこそ得られるものがあると知れ。……ただ、強者になろうとするその気概だけは買ってやろう」
饕餮が言い終わると同時に再び命が現れた。
手には二人分の水が入ったペットボトル。
「そうだよね。あたしも最初に大事なのは気持ちだと思う」
命が悠一にペットボトルを手渡す。
水の冷たさが模擬戦と饕餮との問答で熱くなっていた悠一の頭を冷やした。
「聞いていたのか」
そう言って饕餮は命をジロリと睨んで距離を取る。
子供扱いされて以来、命に苦手意識を持っているようだった。
――俺とは契約者だから仕方なしに話してるっぽいけど、人間に封印されたんだし根はやっぱり人間嫌いなんだろうか。
「聞こえちゃっただけなんだよね。あたし耳いいからさ。トネリンに厳しいこと言ってたのはともかく、あたしのことも評価してくれてたのは嬉しいかも」
「前言撤回だ。こやつとは貴様以上に気が合いそうにない。そもそも、幽魔と契約が可能なのは力のない人間だけなのだろう」
そう言って二人から離れていく饕餮を他所に、悠一は勧誘直後に泰正から聞いた話を思い出していた。
曰く、幽魔と契約した護境師はこれまでにもいたが、悠一のように血統による能力を持たない者たちだったという。
「そういえばさ」
水を飲み終えた悠一を命がジッと見つめる。
好奇心に満ちた視線が琥珀色の瞳から放たれた。
「トネリンってこはるちゃんや饕餮のことは名前で呼ぶのに、あたしのことは君君って言って名前で呼んでくれないよね。なんで?」
――思い返したら確かに名前で呼んでなかったな。
なんかこう、初対面でグイグイ来られて却ってこっちから名前呼びするのが恥ずかしくなってたんだよな。
「なんて言えばいいか……」
「もしかして恥ずかしい感じ? じゃあ――」
何がじゃあなのかわからない悠一を置いて、命は模擬戦で乱れていた三つ編みをいつもの位置に戻し始めた。
位置を整えると満足げに頷く。
「よし! あたしがあだ名で呼んでるみたいにあだ名で呼んでもいいよ。三つ編みだからみっちゃんって言われてたんだ、あたし」
「あだ名の方が難易度高くないかそれ!?」
「いいから、一回呼んでみてよ。案外気に入るかもよ?」
「み、みっちゃん……やっぱり名前呼びでいいか?」
あまり人をあだ名で呼ばない悠一にとっては難しい行為だったようで、少しつっかえてしまった。
「いいよ。早速呼んで欲しいな」
「……命」
「よし! じゃあ、改めてよろしくね、トネリン。これからもビシバシ鍛えてあげるよ」
「ああ、こちらこそよろしく」
饕餮はそんな二人を遠巻きに眺めていた。
饕餮にとって悠一は完全復活までの仮宿。互いを利用するだけの契約関係。
それ以上でも以下でもないはずだったが――。
「くだらぬ馴れ合いだ。群れるなぞ弱者の生存方法に過ぎぬ」
そう零して視線を逸らす横顔は、どこか面白くなさそうだった。




