九話 暗躍し、増殖する幽魔
今回は厚意に甘えることにした悠一は、泰正の車で自宅まで送ってもらっていた。
「初任務の結果は上々、疲れたとはいえ大きな負傷はなかったんだから自信持ちなよ」
「……! はい!」
泰正は悠一の自己肯定感の低さを見抜いているのか、ただ単に褒めて伸ばす方針なのか、悠一を評価していた。
悠一本人としても悪い気はしない、むしろ嬉しい。だが一つだけ言いそびれていたことがあった。
「そういえば、いきなり任務になって言いそびれてたことがあるんですけど……昨日支部で勧誘を受けた帰り、変な幽魔に会ったんです」
泰正はラジオの音を消した。
車内が静まり返り、泰正の表情が強張る。
「……続けて」
「見た目はほぼ人間みたいな幽魔だったんですけど、着ている服が現代服なのに饕餮の友人だって名乗ってて」
「君はその幽魔に何かされたのかい?」
「いえ、それどころか別の幽魔に襲われかけたのを救ってもらったんですけど、何というか、俺個人よりも饕餮にだいぶ執着しているみたいでした」
「トネリン。その謎の幽魔のこと、饕餮は知ってるの?」
「知らん。全く身に覚えがない。友人などという対等な存在はおらぬ」
いつも悠一越しで伝えられていた声が突然聞こえ驚く二人。
いつの間にか、後部座席の左側に誰かが座っていた。
墨紫の長髪に深紅の瞳――饕餮だ。
「こりゃ驚いた。まさか饕餮が人型……いや、その姿になったのは人間との契約の影響かな? それにしてもかの饕餮が女の子だったのは初耳だけどね」
「小っちゃくてかわいい。もしかして子供?」
「いや、この姿はまだ力が足りないからこうなっているだけで――」
悠一が慌ててフォローを入れるも時すでに遅し。謎の幽魔の話で既にうっすらと機嫌の悪かった饕餮が眉を寄せる。
「そこの男の洞察力は褒めてやるが、この小娘の不躾な言い様はなんだ! 余は幼子などではない!」
「ゴメンゴメン……もう子供扱いしないから機嫌治してよ」
「その態度が気に食わぬ」
――命って、本当に誰に対してもあんな感じなんだな。
悠一が命のブレなさにある種の尊敬を抱きかけていたところで、泰正が話の軌道修正を試みる。
「まぁまぁ。二人ともステイステイ、結局饕餮も知らないし、俺も今の情報だけじゃどの幽魔か判断は出来ない。ただ、仮に饕餮と同格なら、とんでもない大幽魔だ。式神を使って調査しつつ資料も漁るから、もしまた会ったら報告してよ」
「次に会ったら喰らってやる。報告の必要などない」
◇
文明の光を通さない、夜の森の中で蠢く影が五つ。
四つは葦原市周辺に生息している猿の幽魔であり、眼前の脅威に対して臨戦態勢を取っていた。
「いかんなぁ、近頃の幽魔は貧弱惰弱薄弱すぎる。本当に吾輩や麗しの君と同じ種族なのか?」
嘆くような声色で衣服に飛び散った血や臓物を払い除ける。
支部からの帰り道で悠一が出会った幽魔だった。
右手には臨戦態勢を取る猿の幽魔のうち一体の腕が握られており、断面は弾け飛んだような痕跡が残っていた。
「加減を覚えるのにもう五体も失ってしまった。勿体ない……だが、ようやく上手く出来そうだ」
猿の幽魔が吠える。
それは仲間を殺されたことの怒りか、それともこれ以上近付かせないための威嚇か。
だが、大声を浴びせかけられても平然としていた。
獲物の感情を認識していないのか、|端から理解しようとしていないのか、饕餮に語りかけた時のような昂ぶりは鳴りを潜めていた。
「ギィーッ!」
片腕を奪われた仲間を庇うように立ち塞がり、仇に向かって飛びかかる。
英雄的で親愛に溢れた美徳的行為。
だが、天と地ほどの差がある相手に行うのは蛮勇に他ならない。
「キイキイと、耳障りな音だ。吾輩の耳に入れてよい音ではない」
背中から伸びる四本の青白い腕。
飛びかかってきた猿を含む四体を摘まむようにその指で触れた瞬間、それぞれの身体の一部が弾ける。
「生け捕りにするために神経を使わせるなど、鬱陶しいことこの上ない」
地面に倒れ伏す猿の幽魔の前にしゃがみ込み、その目を見下ろす。
辺り一帯が血の海になっていることで、夜より深い悪夢の森が出来上がっていた。
「生け捕りにして何をするか気になるかね」
猿は口を利かない。
人以外の動物の思念から生まれた幽魔は基本的に人語を介さない。
ただ、その目だけが忌々しげに相手を見つめていた。
「君たちにはこれから吾輩になってもらう。元は畜生、分体とはいえ吾輩のような格の高い幽魔に生まれ変わるのだ。光栄だろう?」
浮かんだのは恐怖。
淡々とした語り口からは想像も出来ない邪悪な笑みに、獲物たちは自身の末路を悟り、逃れられぬ結末を受け入れるしかなかった。
「いやしかし、熟れるのを待つつもりだが、あまりにも器が貧弱だというのならいっそ奪ってしまおうか……端役はいつまでも舞台に上げておくものではない、頃合いを見て消えてもらうとするか」
興味は既に少年の影に潜んでいる饕餮へと移っていた。
悠一は饕餮が力を取り戻すまでの器でしかなく、彼の想像する最高潮の場面には不要な端役に過ぎないと考えていた。
器である人間が脆ければ中身は跡形もなく零れ、完成することはないだろう。
そうならないように契約を書き変えることも選択肢として悪くない。と彼は考える。
「嗚呼、我が愛しの唯一にして絶対なる君よ。もう一度吾輩の肉体を砕き、臓物を食み、血を飲み干さんとする圧倒的な力をこの身に味わわせて欲しいものだ。こちらも今度こそ、死力をもって迎え撃とう。あの美しい肉体を汚し、思考を惑わし、無垢なる願いを屈服させた時に見せる表情もきっと吾輩の生を潤す刺激になるだろう」
自らの心臓を握り込むような動きとともに、歓喜の吐息が漏れる。
恍惚とした表情を浮かべる男の背後には、四体の新しい分体が控えていた。
背は子供のように低いが、纏う存在感と威圧感は同種のもの。
「命令だ。日に数体、生け捕りにした幽魔を吾輩の元に持ってこい」
そう言って男は地面に溶けるように消え、分体たちは主人のために行動を開始した。
視線の先には、葦原市の灯りが広がっていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しずつですが物語の裏側も動き始めました。
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