技術者夫婦による異世界サンドウィッチ問題
あくまでも個人意見です。
賛否両論あるかと思いますが、そこは人ぞれぞれ。
こんな考え方をする人もいるんだ、ぐらいのつもりで読んで下さると嬉しいです。
“異世界にサンドウィッチ伯爵はいないから、『サンドウィッチ』って名前の料理はないよ。”
……そんな言葉を聞いたことはありませんか?
多分ファンタジー書きなら一度は直面して悩みこむ問題かなと思います。
私自身も、一作目を書き終わった後に創作論的なものを目にして、「うわっ!? そういえばそうだよ!!」と、ムンクのごとく叫びました。
似たような話で “異世界にジャガイモなんてないでしょ” 問題もありますね。
読み返してみたら、いや、確認するまでもなく作中で思いっきり『サンドウィッチ』って書いています。『ジャガイモ』も作中の料理で使ってます。
『サンドウィッチ』『ジャガイモ』以外にも、パンの名前やら野菜や果物品種名やら。逆に作中でしっかり物を設定して独自の名称を出したものは片手の指で足りる。
当時の私は悩みました。
ちょうどこれから1章(約7万字)に対して1ヶ月ずつ時間を割り当てて見直しと改稿をするし、そこで全部その辺の言葉を書き換える?
結論から話すと、書き換えませんでした。
大変だからというのも勿論あるけれど、自分の中で異世界でも『サンドウィッチ』でいいよ、と納得できたから。
その理由を少し語ってみようかと思います。
あ、語る前にちょっとだけ自己紹介をしますね。
趣味作家のあきみらいと申します。
現在は子育て中の主婦です。娘にいつか読ませたくてファンタジー小説を書いています。
元は情報工学専攻の技術屋くずれ。画面が白黒だった頃のシステムをフルカラーの窓に載せ替える時代に最前線でSE仕事していました。割とガチで論理思考型です。
そんな私の相談相手は、現役技術屋の旦那です。
電気工学から物性物理を専攻した割に、今はネットワーク系のジェネラリスト。
ないと全国のみんなが生活出来なくなるようなシステムの根幹を支えてる人です。
そんなわけで旦那もガチ理系の論理型。
つまりどっちも合理主義です。(苦笑)
さて、理系学生のレポートのごとく問題提起もしたし前提条件も話したので、本題に入りましょう。
私は上記問題を考えた時、最終的に二つの理由から、『サンドウィッチ』って書いて良し!という結論に至りました。
一つ目。
“人が存在しているなら、その世界の組成は現実世界に近いものになるはず。多少の差異はあっても、似たような動物がいてもおかしくないし、植物や鉱物その他だって同じ”
これは旦那からもらった視点です。物性物理で論文書いてた人だからこその意見、ですよね。
言われてみると、確かにそうかも、と、納得。
人が存在するということは、水素やら炭素やらといったいわゆる六角形のあれが成り立たなきゃいけないわけです。(有機化学は専門外なのでそこの説明は省略します)
ファンタジーにありがちな戦闘シーンなどの描写で、人の血が赤だと書いているのであれば、鉄がその世界には存在しています。緑とか書いてたら、逆にきっとなんで緑色なのかの説明をしていますよね。
呼吸していると書いているなら、そこには大気が存在しているし、そうすると酸素とかもきっとありますよね。
……そうやって考えていくと、芋づる式にその世界は現実世界と似たようなものになってしまうのです。
異世界にありがちなエルフとかドワーフなどのように、現実世界にはいない種族がいたとしても、血が同じ赤であれば、体を形作る組成的には現実世界とあまり変わらず、遺伝子で言ったらそれこそ白人と黒人の違いとかそういうレベルに収まってしまいそうです。
そう、問題の『ジャガイモ』や他の野菜や果物も、食用に適した形まで品種改良されているかはともかく、あっておかしくないんですね。
だって人が生活できる環境なのですから、芋の祖先がその世界にあっても何ら不思議がないわけです。
じゃあ、サンドウィッチ伯爵がいない世界の『サンドウィッチ』はどうなるの?
ちょっと想像してみてください。
仕事などでとても忙しくて時間が上手く取れない時の食事って、どうしますか?
中には「食べない、我慢する!」って人もいるかもですが、仕事しながら食べている人も結構な割合でいると思うのです。そういう時どんなものを食べるかって言えば、片手で持てるような物、手軽に済ませられる物。それでいてちゃんと食べた意味のある物だったりしませんか?
人は、何か困った時には便利なものを思いついたり、既存の便利なものを利用したりする生き物です。
そんなわけで、パンだけじゃ味気ないから具を挟んでやろう!と思いつく人は、サンドウィッチ伯爵以外にも絶対います。異世界にだってきっと居ます。
だって、私も無かったらきっとやるもの。食いしん坊ですからパンのみじゃ満足できません。(苦笑)
……なので、『サンドウィッチ』という名になってるかはともかく、サンドウィッチの類似品はきっとあります。間違いありません。それを『サンドウィッチ』と呼んでいいかについては、二つ目の理由に続きます。
二つ目。
“人は、理解するために知ってる言葉に置き換える”
唐突ですが、『どんぐり』って言われてすぐに想像できますか?
日本全国、秋になるとあちこちで見かけますよね。公園などで子どもたちが(たまに大人も)喜んで拾う、あの丸くて、帽子がついていたりする、あの木の実です。
では、『マテバシイの実』って言われた時、どんなものかすぐに思い描ける人はどれぐらいいるでしょう?
残念ながらあまり多くはないはず。私もすぐにこれ!と想像できるようになったのはここ数年です。
漢字で書くと、馬刀葉椎。『どんぐり』と呼ばれる木の実の一種で、木の枝に鈴なりになる種類です。日本では公園などによく植えられている種類で、よく見かける『どんぐり』の何割かはこれです。ちなみに食べられます。
例えば、作中で子どもが木の実を拾っているシーンを書くとします。
その時、「『どんぐり』を拾った」と書くのと、「『マテバシイの実』を拾った」と書くの、どっちの方が多くの読者にそのイメージを早く伝えることが出来るでしょう。
おそらく、前者ですよね。
書いているお話の内容にもよりますが、たいていの場合は『どんぐり』で事足りてしまうと思います。
ここまで書いたら、続きはなんとなく分かりますよね。
そう、『パンに具を挟んだ料理』と書くより『サンドウィッチ』って書いた方が、読者にそのイメージを伝えやすいのです。なぜなら、少なくともこの日本において『サンドウィッチ』は生活に馴染んだもので、知らない人の方が少ないから。
サンドウィッチ伯爵とか関係ありません。だって伯爵のことを知らない子どもでも、『サンドウィッチ』は知っているんですもの。
時々見る小説の創作論に、“設定を書くな、物語を書け” なんてものがあります。
この『サンドウィッチ』の問題もまさにそれで、主人公が食事をするたびに、食べるものについての細かな設定を一々書いていたら物語は進みません。
子どもが木の実を拾ってお母さんに渡すハートフルなシーンで、木の実の説明なんぞ書き連ねていたら話がぼやけます。「一番大きなどんぐりは大好きなママにあげる!」この一文だけで済ませた方が、きっと読み手にはその情景が素直に伝わります。
そう考えると、異世界の料理シーンもたとえ詳細は違っていてもジャガイモっぽい芋なら『ジャガイモ』って書いてしまった方がシンプルだし読み手は想像しやすいでしょう。
パンにレタスとハムとチーズを挟んだものなら、『サンドウィッチ』って素直に書いた方が、話の腰を折らずに済みます。
また、海外の作家さんの作品を読む時、日本語訳されたものを読みますよね。
そういう時、例えば現地の訓話なども、日本の諺に置き換えて訳してあることは結構あります。
ファンタジー世界の話もある意味それと同じで、受け取り手にわかりやすい言葉に置き換えて出す、は、ありなのではないでしょうか。
伝えたいのはお話の本筋です。設定じゃないよ、説明を書きたくて小説書いてるわけじゃない……ってことですね。
以上の二つの理由から、私は『サンドウィッチ』って書いて良い、って結論に至りました。
つらつらと書きましたが、これらは全部(旦那とは共通ですが)私の個人意見です。
「いや、ファンタジー世界で『サンドウィッチ』なんて書かれたら興醒めだよ! やめてよ!」って人も中にはいるでしょう。
そういう考え方もありだと思います。その辺は人ぞれぞれで良いのかな、と。
紹介したのは、ある意味、理系畑で育った論理思考型だからこそ至ったような意見かもしれません。
こんな考え方をする人もいるんだ、と、参考になれば嬉しいです。
……単に、パンツァー型執筆で何も考えてないまま『サンドウィッチ』って書いちゃったから、後で理由をでっち上げただけでしょ? って思った方!
正解だけど、内緒でお願いします(笑)
しょうもない創作論を、ここまでお読みいただきありがとうございました。
普段は旧来テイストのファンタジーを書いております。
もしよかったらそちらもご覧いただけたら嬉しいです。
余談ですが、旦那的にはサンドウィッチやジャガイモよりも鉛筆の方があって良いか悩むそうです。
あれは技術の塊で、普通の炭はぼろぼろして鉛筆の形に出来ないとのこと。
世の中の当たり前は、意外と高度な技術で成り立っているのかもですね。




