3.目覚め
「ん~!久々に早起きしたなぁ~」
もう彼者誰時も過ぎ、空の色も薄い青が殆どを占めている。軽く見渡すかぎりでは雲は見当たらない。今日は良い天気になりそうだ。そんな空模様と似た心境のリカが大きく伸びをした。
青々とした草の匂いが胸いっぱいに広がる。これほど爽やかな朝を迎えられることはそうない。それを考えると、偶然にも今日にリカが早く目覚めたことは幸運だっただろう。折角の朝だ。一日の始まりは快いものの方がいいに違いない。
メイはこの黎明の景色が好きだ。この暁光を浴びると快活に一日を過ごすことができる。だから毎朝の修練のあと、特に何かに行き詰まったときにはこうして気持ちを切り替えている。
今日もそんな上手くいっていない朝だった。どうにも自分の技の冴えに納得がいかずに早くも気分が落ち込み始めていた。そんな時にたまたまリカが現れた。同部屋で確認できる限り四六時中勉学に励んでいた勉強家と呼ぶに相応しい学生だったが、近頃は彼女も思うような結果が出ていないのか長所でもある溌剌とした様子があまりない。ふとそれを思い出したメイはこの景色を彼女に見せようと決め、少し道を外れてここに来た。少しでも気が晴れるといいな、という期待を込めて。
そしてその目論見は上手くいったらしい。日の出に魅入ったリカの眼にはいつもの輝きが少しではあるが戻っている様に思える。余計なお世話だったかもしれないが、自分は愁眉を開くことができそうだ。
「どう?久々の早朝は」
少し安心したような柔らかい表情でメイは感想を訊ねてみる。早起きもなかなかいいものだろう、とリカに改めて確認するように。
「んん~。気持ちいい、けど…やっぱり眠いかなぁ…」
こちらの顔を覗き込むメイに、リカは軽い欠伸とともに苦笑して答えた。
爽快感があるとはいえ流石に慣れない時間では身体がついてきていない。けれど、こう気分良く一日を始めることができるのはやはりいいもので、それにはなんの不満も感じなかった。…たまにはこういうのもいいかもしれない。
「リカ、いっつも夜遅くまで勉強してたし、気分転換にどうかなって」
目を瞬かせるリカとは対照的に、冴えた顔でメイがこちらを覘き込む。
メイの言う通り、確かにここでの生活になってから早いうちに床についた記憶はないかもしれない。いつも自分が就寝するのは寮の部屋では一番最後だった気がする。
「うん。――というか、ただ寝付けなかっただけなんだけどね」
しかしそれは、ただこちらの生活に慣れないためになかなか安眠ができなかった。そして寝入るまでの時間の潰し方を模索しているうちに、”だったらせめて有益になるようにしよう”と思って机に向かったのがきっかけだった。リカは勉学に励むことでしか時間の使い方がわからない。ただそれだけが原因だった。
「なぁんだ。そうなの?」
「そ。それだけ」
友人のちょっとした告白。お互いに取るに足らないことだと笑い合う。そして一頻り笑った後に、そろそろ行こうかと陽を背にして来た道を引き返した。その二人の足取りは心なしか軽く感じる。さて、今日はどんな日になるだろうか…。
二人にとって、学院に来てからの日常というのは全くの未経験なもので、毎日が新鮮で真新しいことばかりであった。他のことなど一切気にせず、己の向上に精力を注ぐことのできる環境。ここまで専念させてくれることは以前ではできなかっただろう。だからこそ最初のうちは日々の時間の使い方が解らず戸惑っていた。
だがそんな生活を続けていれば流石に慣れるというのが人というもので、常に勉学について考えることが当然となっている。それを続けて早一年。長かったようで短かったような…。
――と、
「あ、着いたよ。ほら」
徐にメイが指差したその先に、淡い木漏れ日に所々照らされた古びた小屋が確認できた。あそこが取り敢えずの目的地だと思うと同時に、ふと頭に過った疑問をつい口に出す。確か倉庫には鍵がかけられていて、自由には使えなかったはずだが…。
「……そういえば、倉庫の備品ってこんな時間にも使えるの?」
「ううん、特別に許可もらってるよ。……流石にこんな朝早くからはね」
するとメイは懐から鍵を取り出し、見せびらかすように顔の前で振りながらはにかみ笑顔をみせる。そして手慣れたようにそれを使って倉庫の扉を開き、手に持った模造剣を所定の位置に戻す。一挙一足に迷いが見られないあたり、最早倉庫の備品を使うことは当たり前のようだ。
「へぇ、特待生は信頼が厚いねぇ」
ただの学生では許されないような特権が認められている彼女に、揶揄うようにそう言うリカ。確かにメイは特待生としてこの学院に在籍していて、更にその講義中の態度などからも講師側からも好印象だ。──だが、
「それはリカもそうでしょ?図書貸出に制限がない特待生なくせに」
そう。リカも立場はほぼ同じであり、彼女の場合は学院の蔵書のほぼ全てを自由に閲覧することが許されている。彼女もまた、学問に真摯に向き合う姿勢からある程度の自由が認められた特待生の一人だ。
故に特別待遇は彼女自身もよく解っている筈だが…まったくこの優等生は…。
「ふふん、まぁね」
リカは意気揚々と鼻を鳴らして胸を張っている。…確実に偉ぶっているのだろうが、慣れていないであろうぎこちなさと彼女の体格の不釣り合いさが見事な不協和感を醸し出して何だか滑稽に思える。だからなのか、メイは僅かな間の後に小さく噴き出す。
「っもう、笑わないでよ」
リカが膨れっ面で抗議をする。彼女自身も似合わないことは自覚していたらしく、それを改めて認知させられてその顔にも火照りが伺える。
「ごめんごめん。つい、ね」
リカを宥めるように謝罪を述べるが過剰にも思えるような彼女の必死な反応が余計に可笑しいらしくメイは肩を更に揺らし、その様子にリカはますます剥れてメイへの文句を続ける。
他愛もない同年代の友人とのやり取り。お互い学院に来なければ、こんな経験はできなかったかもしれないだろう。こうした交流でさえ二人にとって楽しい時の一つとなっていた。
「――あっ、そういえば…」
――と、彼女はある事を想起する。それは些細で、しかし重要なことだった。




