2.始まりの朝
さて、彼女達が模造剣を返そうと向かう武具倉庫はここから少し離れたところにある。といっても隣の丘にある他の訓練場との中間地点になる位置にいくつか併設されてはいるのだが、森林の地形に合わせて向かう道が続いているために正味の距離が長く感じる。日も昇っていない今は只でさえ薄暗い林道も更に足元も視認し辛く、リカにとっては普段のように歩くことすら難しい。
対してメイは木の根に足を取られる様子もなく、平地と大差なくすたすたと歩いていく。それは毎朝往復していることによる慣れなのか、元々彼女自身にそういった才が備わっていたのか。どちらにせよ、やはり彼女は自分には到底辿り着くことのできない遠い存在なのか…。
仄かに見えるメイの背中、それが霞んでいく様と重なってどこか物哀しさを感じる。
しかしふとその影が立ち止まる。…どうしたんだろうか?何か動物でもいたのだろうか?
怪訝に思ったリカは追いつくと同時に訊ねようと彼女の顔を覗き込む。すると彼女もこちらに振り向いてこちらの様子を伺っていた。どうやら段々と遠ざかっていく足音に気付いたらしい。
そう言えばそうだった。只でさえ不慣れなリカと、毎日こうしてここを通る自分。普通に歩いてしまえば差が開いてしまうことも当然か。
「ごめん、速かった?」
リカの肩が若干上下に動いていることを確認したメイは、小さく首を傾げて表情を綻ばせる。彼女がよく見せる癖だ。
大丈夫、何も問題はない。…そう答えようと思ったのだが、息を整えることにも手間取り正直に言うとそこまで平気ではない。ここは下手に誤魔化す方がかえって彼女に気を使わせてしまうだろう…。
「…まぁ、うん。やっぱりすごいね、メイは」
考えあぐねた結果リカは恥ずかしそうに苦笑し、彼女への純粋な敬仰の態度を示す。だがメイはリカに首を振って見せて、
「慣れてるだけだって。繰り返していればそのうちに意外と出来る様になるよ?」
まるで大したことではないと主張するようにあっけらかんと言うメイ。しかし自分がいくらこの道を往復したところで、こんな暗闇の中をすいすいと歩けるようになることは想像しがたいな…。
「う~ん…、そうは思えないなぁ…」
リカの思考がそのまま口をついて出たような呟きが思わず漏れる。ただでさえ体力的にも追いつけないのに、足元も取られる森中の道を石の舗装路のように歩くメイを眺めながら、改めて己と彼女の違いを認識する。
ふとリカの顔に一瞬白い光が照り付けた。その眩しさに一瞬目を細めて腕で遮る。薄暗い足元にばかり気を取られていたが、気付けば隣の訓練場に辿り着いていた。いつの間にか周囲も開け、色の薄い穏やかな丘が広がっている。まるで知らない場所のようだ――。
先の森道といい、いつも野外での講義で訪れている筈の場所なのに時間帯が違うだけでこうも雰囲気が違うのか…。
左見右見しているリカは、なんだか自分だけが取り残された疎外感のようなものを感じていた。するとメイが、ぼうっと薄色の景色を眺めているリカに呼びかけて、とある方向を指さす。
「見て、リカ。日が昇ってくるよ」
リカの視線は彼女が示す先へと無理なく促され、そこでは灰色の空が橙に色づき始めていた。
その光は次第に強くなり、遠くの稜線をはっきりと浮き彫りにしながら漏れ出ていく。そして辺りを照らし、着色された場所から活気が溢れていく。
目覚め、新たな日の始まり、太陽が生まれ変わる瞬間。
日の出を表現するものには明るく前向きなものが多いが、そう例えられる理由がよく解る。その徐々に露出する、目も眩む光には何処か惹かれるものを感じる…。
「本当だ…」
そう呟くのがやっとだった。段々と燦然さを増す橙光にすっかり心を奪われ、放心したままその場に立ち止まる。
その隣ではメイも同じように並び立っていた。彼女はこの光景を何度も見ている。しかし、何度でもこうして見る度に感慨に浸ってしまう。やはりこの瞬間は好きだ。自分も周囲と同じように、活力が湧いて出てくるように思えるのだから。
もう太陽も殆ど山を超えた。遼遠の山頂から顔を覗かせた暁光が、彼女達を含めた大地を少しずつ照らして光の領土を拡げていく。
二人は両方共に目に飛び込んでくる鋭い光線を腕で遮り、眉を顰めて細い視界で未だ影に包まれる世界に視線を落とす。
その内一人は初めて目に映る、無色と橙色の領域がはっきり隔てられているその神秘的な光景に眼を輝かせ、もう一方は見飽きることのない、領域の境界線が徐々に移動して薄暗い無色の世界が段々と着色されていくさまに釘付けになっている。
その彼女達の眺望する世界の中にある領域から、徐々に顕在し始める大きな石造りの建物。町中に一段と荘厳な影を見せ、段々と赤みを帯びた有色の世界へと析出するその雄大で悠然たる姿のそれこそ、彼女達の住むこの世界の最高学府。彼女達のような選ばれた優秀な者の、更なる向上のためにある唯一の魔法を扱う学院。
――”魔術学院マリエントラ”である。




