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1.夜明け


 新学期が始まり一ヶ月が経った。新入生達は新しい生活に慣れはじめ、上級生も休学期間の弛みが消えかけた頃だろう。

そんな時期からも、少女は日も昇らぬ朝から模造剣を振っていた。肩まである赤茶色の髪を邪魔にならないように後ろで束ね、明るい茶色の瞳で切っ先を見据えて、呼吸を整えながら十年近く修練した型を鮮明に思い出し、何度も繰り返して入念に動作の確認をする。

――正眼の構え。そう彼女の父が呼んでいたように、剣を正面で真っ直ぐに構えた。

瞬間、彼女の周囲からの音は消え、刹那の時が止まるような感覚に陥る。周囲の木の葉を揺らす風が、丘の上にある訓練場に流れる空気が、途端にその動きを鈍重なものに変える。彼女は薄暗い目の前の景色の中に存在する筈のない相手を切っ先に捉え、幻影との間合いを慎重に見定める。――そしてふとして訪れたこの隙を見逃さずに…。

深い呼吸が途切れる間際、この空間を支配していた静寂を彼女が切り裂いた。

瞬く間に彼女の目前の空を切る模造剣。その太刀筋は見惚れる程美しく、一見すれば無駄の無い洗練されたもののようだ。

だが彼女自身にはまだ納得がいかないのか表情は険しいもので、その後にも繰り返す度に不満そうに首を傾げている。

“…まだ無駄な力が入ってる。父さんや長老達はどうしていたんだろう…。まだ基礎を洗い直したほうがいいのかな…?”

目を閉じてもう一度深く呼吸をし、外界と自らを遮断する。意識を研ぎ澄ませ、自分が描く太刀筋の軌跡を鮮明に想像する。重心を落とし、踏み込もうと軸足に力を入れる。


――そんな熱心な彼女を、黒い長髪を襟足で結わえた翡翠の瞳の少女、リカは寝ぼけ眼で眺めていた。

「ふぁぁ…。朝から熱心だなぁ…」

大きな欠伸とともにそんな独り言がふと、彼女の口から漏れる。思わず感嘆の言葉を発するほどにあの少女は集中していた。…流石、学院に認められているだけのことはある、か。

するとこちらの呟きが届いたのか、それとも何かの気配を察したのか、リカには何故かの判断はつかないが徐にメイは構えを解いて辺りを伺い始める。

…あ、今、確実に目が合った。

「あれ…?おはよ、リカ」

「うん。おはよ、メイ…」

修行をしていた彼女、メイは少女に歩み寄りながら微笑む。リカと呼ばれた微睡んでいる少女はとろんとした眼を擦りながら、かろうじて聞き取れる程度の声で応えたかと思えば更にもう一発大きな欠伸をかました。

”…やっぱりリカはまだ眠いみたいだ。けれど、それにしてもまだ暗いというのに…”

「珍しいね、こんなに早いなんて」

瞼も重そうなリカはこの彼女の状況から明白なように、それほど朝は早い方ではない。いや、むしろ周囲と比べても、うつらうつらとした半覚醒の状態のままで朝の身支度を済ませる程度には活動が始まるまでにいつも時間がかかっている。

そんなリカが未だ眠そうにしているとはいえ、こうしてここに立っていることはメイが問いかけた通り稀有な事だった。

「うん…」

…しかし当のリカの頭はあまり回っていないらしく、メイに返ってくるのは間抜けな空返事だけ。それから少しの時間差を置いてからやっと思考が追いついたようで、

「んと、なんか目が覚めちゃって、寝付けなくてね、ちょっと暇潰しに」

いつもならば眠いまま用意をこなす間に学院へと向かう時間になってしまうのだが、今現在は空が白み始めているとは言えまだ日も昇っていない朝。こんな時分では周囲も寝ているために何も出来ない、というよりもすることがない。とはいってもこの合間を何もせずに過ごすには聊か余裕があり過ぎる。散歩ならば気休め程度にはなるかと思ったがどうにも自分は行く当てもなく彷徨うというのは苦手らしい。何か目的がないと歩くにもろくに足を踏み出せず、その目的自体をつくることにも苦労する。ただただ暇を痛感しただけだった。

そんなときにふと同室の彼女の事を思い出す。

”そういえば、メイは普段から鍛錬の為に早朝から起きてると言ってたっけ…。じゃあ、声をかけるだけでもしてみようかな…”

それでリカはようやく足を踏み出す目的を見出し、メイが剣を振るう訓練場へと辿り着いた。日夜鍛錬に励んでいることは彼女から聞いていて訓練場(ここ)で修行していることを知ってはいたのだが、こうして修練を実際に見るのは初めてだ。その洗練された剣捌きから彼女が入学当初から武術で高成績を保っていることにも頷ける。

そんな様子から思わず感嘆の声を漏らしたところで彼女がこちらに気付いた。

「散歩?」

「そ、散歩。…でも流石に暇で…」

隙間を見つけては何かしら勉学に励んでいたリカ。真面目に取り組む優秀な学生であることは間違いないのだが、それは裏を返せば”勉強以外の時間の潰し方を知らない”ということでもある。更に加えて今は早朝だ。普段通りに机に向かうにしてもまだ寝入っている同室の邪魔にもなるだろうし、そもそも参考書を開く気にすらなれない。

……まぁ、あいつならば迷わず二度寝を選ぶだろうが。

リカは余程退屈らしい。メイへの返答の最中にも再三の欠伸を繰り返し、目覚ましの為か何度も大きく伸びをする。

「なら付き合おうか?わたしも気分転換したかったところだし」

丁度よく、メイも息抜きが必要だと考えていた頃合いだった。巧く感覚が掴めず鍛錬に行き詰まりを感じ、悔しいが今これ以上続けても逆に求む結果から遠のいていくだけだろう。

メイは微笑みながらリカの返答を待つ。

邪魔をしてしまったかな…?でも正直、これは渡りに船、というやつだ。ここは素直に厚意を受け取っておこうか。リカは少々目を泳がせたがすぐにそう結論を出す。そして、

「え~と…、じゃあいい?」

区切りがいいからと提案したメイに、リカは若干の申し訳なさを感じながらも折角ならばその方が嬉しい、と遠慮がちに頷く。

よかった。リカも受け入れてくれたようだ。安心したように頬を綻ばせたメイは、(うなじ)で髪を束ねていた布の紐を解き、

「よし。んじゃ、行こっか」

後ろ髪をふわりと踊らせた。

「うん!……でも、どうする?」

…しかし、快諾してくれたはいいが、やはり行き先がなければ足を踏み出すのにも躊躇いが生じる。何かいい都合でもあればいいのだが…、とリカは委ねるように訊ねる。

成る程。確かに何処に向かうかを決めた方がいいか…。メイは少しの間軽く唸りながら宙を仰ぎ見た後、あ、と小さく声を漏らし、

「取り敢えずはこれを返さなきゃね」

と右手に握っていた模造剣をきょとんとしたリカの目の前に掲げてはにかんだ。

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