ブラッドバイバイ〜借金のカタで私の〇〇を取られました。〜
「俺が君の借金を全て肩代わりしよう。……その代わり……君の大切なモノを頂くよ。」
平凡を愛し、平凡に愛された、ただの大学生な私の人生が、まさかこんなことになるなんて……この時まで夢にも思わなかった……。
◇◇◇◇
夏は……あんまり好きじゃない。
み〜ん、みんみんみ〜ん……
忙しない蝉の鳴き声が、窓を閉め切った大学の講堂内にまで響いてくる。
それとも空調の調子が良くないからか? 業務用エアコン止まってる?
だから、私の耳にまで外の音が届いているのかもしれない……あぁ……それにしても、暑い。
じっとりと身体中が汗ばんでくる。
気の早い浮かれた学生は、勝手に夏休みに入ったのか、いつもより空席が目立つ。
まぁ、私としては助かる。
人口密度が高いとそれだけで部屋の温度が上がるからだ。
嫌だな……これだけ暑いと……アレが出てくるんだよ。
子供の時からずっと、だ……。
鼻の中がぐずる感覚……もうダメか。限界だ。
やや上を向きながら、視線は黒板を見下げ、手だけがカバンの中を弄る。
取り出したティッシュを鼻に当て、摘みながら、右手は素早くシャーペンを動かしてノートを書き写した。
血の匂いがする。
私のキーセルバッハ部位……鼻血が出る場所は暑さにめっぽう弱い。最弱。
『小さい子はなりやすいけど大人になったら自然と鼻出血は減るよ』って小児科医に言われて……もう18歳なんですが?
まだ、お子様? 確かに身長高くないけど!
本日、外気温30℃予想。
暑いと鼻血が出やすいこの体質、もう本当に厄介!
何枚の洋服を血で染めたことか……もう、両鼻にティッシュ詰め込んでマスクで隠しておく方が楽なんじゃないかな?
トントンッ!
「ん?」
叩かれた右肩側を振り返ると、後ろの座席の青年が心配そうにそっとポケットティッシュを差し出してくれた。
しかも、ちょっとお高いヤツ、柔らかなお品物。
マジ、神! 紙だけに……。
「あ、ありがと。」
「どういたしまして。……大丈夫? 梁瀬さん、よく鼻血出すよね?」
見られていたのか、恥っ!
顔がぐあっと赤くなっていく感覚。
顔面温度急上昇! こりゃ出血量増すわい!
ちらりと見遣ると……私とは正反対、この暑さの中で汗一つかいてない涼しいお顔……あぁ、なんて羨ましい!
物静かで色白な青年、えっと確か……簾原君……だっけか?
同じ講義を取っているけど、話したのは初めてだな。
……そんな人に心配されるって、どんだけの流血回数よ、私の鼻⁉︎
「お恥ぶかしい限りでふ。」
鼻を摘んで、情けない言葉遣いで頭を下げる。
「いやいや……ヤナセさん、健康的で自然体だし、なんか……凄くいいよね。」
にこりと柔らかく微笑んでくる。
えっ⁉︎ えっ⁉︎ えっ⁉︎
うわーーっ‼︎
不意打ちすぎて、びっくり‼︎
……この人……こんな顔で笑うんだ⁉︎
「あのさ……。」
キーンコーンカーンコーンッ!
「あっ、じゃっ! ごめん、またね!」
鐘の音と共に会話をブチッとぶった切り、私は講堂を後にした。
う〜ん、彼、何か言いかけてたみたいだけど……まぁ、いっか。
用があったらまた声掛けてくるでしょう。
しかし今日は意外なもん見たわ〜。眼福、眼福。
私は、廊下を怒られない速度で駆け抜けた。
◇◇◇◇
たたたたたっ!
急ぎ女子トイレへ駆け込み、ザバザバと水道で顔を洗う。
ふぅ……鼻は今の所、落ち着いたわ。よしよし。
ひそひそ……くすくすっ……。
「うわっ、やだ! あの子ノーメーク? あり得なくない? 小学生でももっと気を遣ってるよ。」
「トイレの水道で顔洗うって……お金無いのかな? かわいそ……。」
………………
他のキラキラ女子達がトイレに入ってきて、なんか色々言ってるな……まぁ、聞こえてきたのは本当のことだし……言われちゃうのも仕方ない。
直接的な嫌がらせがない限りはガン無視することに決めている。
細かいことは気にしない、気にしない。
ハンカチでゴシゴシと顔を拭き、鼻ティッシュ詰めしようと思った瞬間、ポケット内のスマホ が震える。
「ん、なんだ? ヤッちゃん?」
自慢じゃないが、友達の少ない私……連絡を寄越してくるのは唯一の親友、ヤッちゃんか、実家の母親ぐらい。
ヤッちゃん……矢崎ちゃんは高校の同級生。
身長はほぼ同じで、体型もよく似ている。
高一で同じクラスになった時、名前順が前後だったこともあって、なんだか意気投合。
それ以来の付き合いだ。
一緒に上京して、今ルームシェアをしている。
最近、垢抜けてすごく可愛くなっちゃったし、大学も別々だから、ここのところほとんどすれ違いな生活……ちょっと寂しい。
スマホ画面のメッセージは一言。
『ごめんね。』
「⁇⁇」
なんだ? 主語が無いぞ? おいおい、説明不十分だよ?
久々のヤッちゃんからのメッセージが謎過ぎる!
「『何があったの?』っと……。」
とりあえず返信。……既読は付かず。
う〜ん……何だろ? なんかあったのかな?
………………
「考えてもしゃーない、とりあえず帰るか。」
バイトまで、まだ時間がある。
今日はこの後、講義の予定もないし、特に用事もない。
私は徐に鼻にティッシュを詰め、マスクを付けた。
……これが帰宅準備とは……我ながらちょっと情け無い。
◇◇◇◇
ドンッ!
「おいおいおい、借りたもんはきっちり返してもらわないとなぁ。」
「……。」
知らない人にマンションの部屋前で人生初の壁ドンされたよ、私。
ガラの悪い人達が五人揃って凄んで来るなんて……悪質ゴレンジャー。
マンションと言っても、古いからオートロックでは無い。
侵入しようと思えば、ドア前までなら易々と入って来れるのだ。
この廊下は響くし、目立つな……嫌だけど、渋々、中へと招き入れる。
「ひょっと、ひふへい。」
急ぎ、洗面所で鼻栓を外した。
流石に喋りにくいからね。
「あの〜私……身に覚えが無いのですが……。」
誰かと間違えてるのか?
困惑する私の言葉に、ニヤニヤと嫌な笑い顔をする五人集。
テンプレなチンピラ共め! くそっ、腹立つ顔!
……さっさとお帰り願いたい。
「借金踏み倒そうとする奴は、皆決まって同じこと言うんだよ……ほらよ!」
バサバサッと書類の束を私に突きつけてきた。
ペラペラと捲る……これ、私の名前での借用書⁉︎ ……筆跡は、ヤッちゃん⁉︎
……あっ! まさかっ‼︎
慌ててカバンを開け、財布の中を確認する!
無いっ!
個人情報、マイナンバーカード‼︎
おいおいおい!
どういうことだい、ヤッちゃん⁉︎
四文字+句点の謝罪で済む話じゃないよ、これ‼︎
……勝手に持ち出して、私のフリしてお金借りたの⁇
顔写真、全然違うじゃん! 別人にお金貸すなよ、サラ金業者‼︎
状況を理解した私の顔は青褪めた。
借金……一体いくら? 聞くのが怖い……。
カタカタと身体が小刻みに震え出した。
ぎぎぎぎぎっと軋む首を回し、声を絞り出す。
「わ、私のルームメイトが……私のフリしてお金借りたようですが……総額いくらですか?」
「人のせいにしちゃいけねぇな! ちなみに総額500万円だ!」
えーーーーっ‼︎‼︎‼︎‼︎
500万円⁉︎ 何に使ったんだよ、ヤッちゃん‼︎
足元がなんだかグラつく……し、しっかりしろ私!
「ちょ、ちょっとバイト先に電話入れさせて下さい……。」
「はいはい、どうぞ。」
プルルルルッ、ガチャ!
「あ、もしもしヤナセです。すみません、今、借金取りが家に来てて、今日はバイトお休みさせて頂きたいと……えっ、もう来なくていい? は、はぁ……分かりました。」
スマホを切り、チンピラに向き直る。
「クビになりました。」
「「「「「素直に言うからだろーー‼︎」」」」」
何故か一斉にツッコミが入る。何故?
「ま、まぁいい。別な稼げる仕事を紹介してあげるから、これから一緒に返済計画立てようか?」
あ……これ、あれだ。
臓器売ってこいって言われるやつだ。
何かテレビで見たことある……どうしよ?
貯金は銀行口座に58万円あるけど、全然足りない。
残りは……売るとしたら二つある臓器の一つかな? 腎臓と肺とあと何だろう??
「……臓器売っても、元の生活に戻れますか?」
「いきなり何の話だよぉぉっ⁉︎ 飛躍しすぎでちょっと怖ぇぇよっ‼︎ もっと手前のさぁ、風とか泡の話にしといてくれよぉぉっ‼︎」
よくわからない懇願をされる。
……言っている意味がよく分からない。
「あ、あの……。」
ひょいっ!
「うわっ、お前軽いな!」
言葉の途中で私の身体は男の小脇に抱えられた!
「えっ⁉︎ あの⁉︎ ちょっと⁉︎」
「ま、金が無いなら、身体で払ってもらおうか?」
「……。」
これは……非常にマズイ状況だ。
……でも、まだチャンスはある!
マンションから出る際に、管理人さんに助けを求めて、それから警察と消費者センターと……。
ピンポーーン!
ぐるぐる思考の途中で、聞き慣れたインターフォンが鳴る!
チンピラ同士が顔を見合わせているが、ドアフォンの中の人物に見覚えが無い様子。
「この顔の良いにぃちゃん……お前の知り合いか?」
聞かれて私も画面を覗く。
……ん⁇ 何で彼が⁇
「……同じゼミの同級生です。」
「ん? 友人じゃないのか?」
「はい……むしろ何で私の家を知っているのか疑問なくらいの……今日、初めて会話した程度の関係です。」
「えっ? ……それって、ストーカー?」
「ヤバくない?」
チンピラ達が、代わる代わる私の顔を見る。
いやいやいや、ストーカーって……それは無いでしょ?
私、自分で言うのもあれだけど、超地味な普通女子。
しかも、相手はあのスバラ君だよ?
隠れファンいるとかって噂もあるくらいだし……。
「どうする兄貴?」
「とりあえず帰ってもらいなさい。騒ぐなよ?」
そう言って私を脇からちょこんと下ろして、チンピラが通話ボタンを押す。
「はい。」
「あっ! ヤナセさん? ……ねぇ、もしかして今、すごく困ってたりしない? その……お金関係で……。」
「⁉︎⁉︎」
唐突な言葉に思わず声を失う!
チンピラと顔を見合わせるが、全員が首を横に振る。
『俺達は何も知らねぇぞ!?』と言わんばかり……。
………………
えっ⁉︎ 何⁇ 怖っ‼︎
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってね!」
ブツッと終了ボタンを押して、チンピラに相談する。
「ど、ど、どういうこと⁇」
「いや、こっちが聞きてぇよ!」
「あれ、誰だよ?」
「だから同級生だって!」
皆、混沌とした状況に陥る! カオス‼︎
コンコンコンッ!
「「「「「「ひぃぃっ‼︎」」」」」」
追い立てるように、ドアがノックされる。
なんか、怖っ‼︎
全員仲良く悲鳴を上げちゃった‼︎
「ど、どうする?」
「あ、開けてみる……か?」
「に、逃げるなよ?」
「わ、分かりました。」
そっと鍵を開けた瞬間……
バンッ‼︎
勢いよくドアが開く!
そこにはスマートな青年が、一滴の汗もかいてない爽やかな笑顔を浮かべ立っていた。
こんな真夏の暑い日に……。
………………
いや、逆に怖いから‼︎ 胡散臭さハンパない!
「こんにちは、ヤナセさん。今日は二度目だね? そして……借金取りさんも……こんにちは。」
「「「「「こんにちは。」」」」」
皆、バカ正直に挨拶を返す。
なんだかチンピラさん達が可愛く見えてきた……。
「お邪魔します。今日は商談に参りました。」
「しょ、商談?」
「えぇ。」
そう言って、するりと彼が私に近づく。
「俺が君の借金を全て肩代わりしよう。……その代わり……君の大切なモノを頂くよ。」
私に甘い声で耳打ちしてくる。
な、何でスバラ君が?
大切なモノ……えっ? 何? また臓器の話?
今度はにこりと笑顔を男達に向け、スバラ君が手に持った二つのジェラルミンケースのうち、一つを開ける。
「彼女の借金をこちらで肩代わりさせて頂きたい。」
「「「「「おおーーっ‼︎」」」」」
ケースの中には見たことのない量の札束がどっさり‼︎
えっ⁇ 凄っ‼︎ 一体いくら入ってるの⁇
……ちょっと犯罪の匂いしかしないんですけどーー⁉︎
「たしか……500万円でしたっけ?」
そう言って、ぽんぽんぽんっと五つの束を借金取りの手に積み上げた。
そんな軽い持ち方で持っていい物じゃないよ‼︎
大金だよ⁉︎
……ってか、何で借金額知ってるの⁇
「これで、もう彼女に用事はありませんよね?」
「た、確かに……金を回収したら、俺らの仕事は終わりだが……あの、その……。」
ちらりとチンピラが私に心配そうな目を向ける。
……あんたら良い人なんだな、おい!
「大丈夫、悪いようには致しませんから……では、どうぞお引き取り下さい。」
ニコニコと物腰柔らかな物言いで、だけど強引に話を一気に畳んだ。
「お、おう。分かった……お嬢ちゃん……強く生きろよ。」
「は、はい。」
よく分からないエールを送られて、彼らは部屋から出て行った。
◇◇◇◇
チンピラさん達が出て行ったドアが閉まったことを確認して、スバラ君はガチャッと鍵を掛け、振り返る。
慣れた空間で慣れない相手と二人きり……異常な緊張感に、まるでここが知らない場所みたいな感覚へと陥る。
「さて……ヤナセさんとも……商談だよ?」
「商談……臓器の数と値段ですか?」
「えっ、ぞ、臓器? 何で? いや、違うけど、でも違くないか。えーと……。」
そう言いながら、彼はまだ開けてないもう一つのケースを机の上で開いた。
ガチャッ!
中には注射器が一本入っていた。
………………
「ひぃーーっ‼︎ な、な、何かの薬物の人体実験でしょうか⁉︎」
「ううん、違うよ。」
カタカタカタと縦揺れする私の言葉を柔らかく否定する彼。
そっとマスクの上から顎をくいっと掴まれた。
これが顎クイか⁉︎ ってそんなこと言ってる場合じゃない。
「俺に、ヤナセさんの大切な……血液を売ってもらいたいんだ。」
「血液? ……って血ですか?」
「そう、血だよ。」
「⁇⁇」
頭の中がハテナマークで埋め尽くされる。
どういうこと?
大切なモノって……血液のこと⁇
……まぁ、確かに大事だ、無きゃ死んじゃう。
「あまり表では言えない商売なんだけどね、俺は血液の売買をしてるんだ。」
「売買? ……献血とは違うの?」
「献血はボランティア。金銭のやり取りが発生してはいけないものだし、用途は医療行為に限られる。でもね……血液を欲しいと言うお客様は一定数いてね……需要があるんだよ。」
淡々と話す彼の言葉、その意味にまだ私の理解が追いついていかない。
えーと……たしか……あ、そうそう!
現代の日本で売血……血液の売買は法律で禁止されているはず。
昔は血液銀行ってのがあったらしいって、何かで聞いたことがある……。
確かに表沙汰には出来ないね。
「……あ、そうだ! 何で私の借金のこと……。」
「表で言えない仕事って言ったでしょ? だから、そういう裏側の情報が手元に流れてくるんだよ。」
そっと、スバラ君が手を伸ばして私の頭を優しく撫でた。
「⁉︎」
「ヤナセさんみたいな素晴らしい血液の持ち主を他の奴になんて渡せないよ。……ずっと欲しいと思ってたんだ……君の血が……。」
チンピラさんの言葉が頭に蘇る。
……こりゃ、完全にストーカーさんかもしれません。
私の鼻血ブーをどんな恍惚な表情で隠れ見ていたのでしょうか? 想像すると背筋が寒くなる。
スバラ君は……顔の良い変態さんだ‼︎
脳内で失礼な呼び名で呼んでいる私の顔を、今度はじっと不思議そうに見つめてくる。
もう、何なんですか⁉︎
「ねぇ……ヤナセさん、ショックじゃないの? 親友に裏切られて、借金背負わされたこと……。」
ん? 心配……してくれてるの、かな?
「あ……勿論ショックだったけど……私、大好きなヤッちゃんの魔が差す行動を止められなかった……『悪いことはダメ』ってちゃんと教えてあげられなかった……親友なのに、ね。……だから、次会ったら奥歯折れるような一発をお見舞いして目を覚まさせたいと思うんだ。」
「……それ却って意識失って、駄目じゃない?」
私の決意がダメ出しをくらう。えっ、なんで?
じとっとした目で彼を見返す。
「……ってかさぁ、マンション出る時に管理人さんに助け求めてから、警察や消費者センターとか弁護士相談しようとか考えていたから……借金肩代わりなんてしてもらわなくても良かったのに……。」
「あぁ、ごめんね? 気付かなくって〜〜。」
悪びれることなくそう言うスバラ君。
………………
これ……絶対、確信犯って奴でしょう⁉︎
私の血液で商談する為に……私を逃がさない為に……。
◇◇◇◇
「ごめんね、刺した所……痛む?」
「いや、痛くは無いんだけど……あの……。」
マンションを出て、私達は並んで歩く。
だが、右手はがっちり握られている……逃走防止? ……何で恋人繋ぎなのでしょうか?
変な汗が全身から吹き出てくるよ。
あぁ……それにしても暑い……。
今、鼻栓してないから、鼻血が出たら嫌だな……早く目的地に着いて欲しい。
隣の彼は黒いシンプルな日傘を差している。
お陰で少し日は遮れているが、暑いことには変わりない。
そういえば、大学でもたまに見かけていたな……最近は暑さ対策で男子も日傘を差すから、あまり気にも止めていなかった。
出てくる前、マンションの部屋で、注射器にて10ccほど血液を抜かれたのだった。
「これは成分の検査用。オフィス着く頃には結果出てると思う。それ次第で値段が変わるからね。」
「私の血液の……価値、か。」
いくらになるんだろ?
純粋に、興味がある……なんだか不思議な気分だ。
彼はあるビルの前でピタリと足を止める。
歩いて10分くらいかな?
暑さのせいか、もっと長く感じた。
マンションからそれほど遠くない距離に、その建物はあった。
なんの変哲もないビル。
「ようこそ。」
そう言って招き入れてくれる……内装も普通のオフィスビル、か。
キョロキョロと見回す。
室内も全体的に殺風景だが、後ろの戸棚……あれ、もしかして冷蔵庫? それとも冷凍庫?
あの中に……『商品』が入っているのか?
「看板は無いの?」
私の素朴な質問に笑う彼。
「裏のお仕事だからねぇ……ここは人間やそれ以外もやってくるお店。あぁ、店内飲食と持ち帰りで消費税率違うから、気をつけて。あ、椅子どうぞ。」
……何に気をつければいいのか? ツッコミどころ満載だ。
「このビルの入り口は二つあるんだけど、ヤナセさんは裏口から出入りしてね。売り主とお客様が鉢合わせると拉致される可能性があるからさ。」
「なっ⁉︎」
物騒な言葉が飛び出したな、拉致⁉︎
「『こいつは金の為に身体を売る人間だ、金を積めばどう扱っても構わない』と歪んだ発想を持つ輩も多いからね。」
「なるほど。」
妙に納得してしまう……『者』ではなく『物』として取り扱われるのか。
ジェラルミンケースから、さっき採取した私の血液入り注射器を取り出すスバラ君。
椅子に腰掛け、手際良く作業をしながら口も動かす。
「犯罪に手を染めたくない吸血鬼や美容狂の金満マダムが若い子の血を買い占めていくから……間違いなく高値にしても、ヤナセさんの血は売れるよ。」
………………
……今、はっきり『吸血鬼』って言ったよ⁉︎
さっき『それ以外』って濁したヤツさらっと言っちゃってるよ⁇ えっ⁉︎ マジですか⁉︎
なんだか世界の縮図を垣間見た気分。
こんな裏な世界でも、貧乏人は辛酸を舐めるハメになるのか……世の中、金次第。
ふと、ヤッちゃんの顔が浮かんだ。
悲しいけど、私は彼女の笑顔しか思い出せない。
他の表情は見せてくれてなかったんだね。
悩みとか、私には話せなかったのかな?
……それは、親友を名乗る者として、とても寂しい。
それにしても……血液の価値、か。
若いか、老いてるか?
女子か、男子か?
血液型は何型か?
後は……何だろ? 差が出る要素。
「ヤナセさんは……その……お、お、お、お、乙女ですか?」
「?」
いきなり何の質問?
「生物学上の性別は女子ですが?」
「そ……そうじゃなくって……‼︎」
「⁇⁇」
彼のクールな色白顔が、真っ赤に⁉︎
凄く言いにくそうな感じだな……何?
血液の話でしょ?
ふっと、ドラキュラ映画のワンシーンを思い出した……あ、もしかして?
「私……じ……純潔だよ。」
恥ずかしいので、ぶっきらぼうに伝えた。
「そ、そっかぁ!」
嬉しそうな表情を浮かべるスバラ君。
なるほど……これも高値になる要因なんだね。
「えっと、成分は……あっ、凄くいいね! 俺の見込んだ通り、ヤナセさんは理想的な女性だ! で、18歳女子で……。」
ブツブツ言いながら電卓を叩き、パッと画面を見せてくれた。
『100,000』
「えっ、こんなに⁉︎ ……ってこれ一回何ccでの金額?」
「100ccあたりの買取金額だよ。ヤナセさん……あのさ、た、体重って聞いてもいい?」
「……42kgだよ。」
ちょいちょい照れるのね、スバラ君。
「だったら420ccだね。血液は体重の13%程度、体重の1%の血液量までを買える。頻度は二週に一度だよ。」
「献血とは条件が全然違う……って当たり前か。 じゃあ500万円返すには?」
「12回分かな? このまま素晴らしい成分だったら、ね。」
価値が落ちなければ……ってことか。
「暴飲暴食は禁止だね。」
「反対に無理なダイエットもダメだよ? あ、あと……その、いわゆる……そういう行為も、ね……健康的な乙女の血液は凄く貴重なんだよ。」
そう言って、嬉しそうに微笑む。
レアな生物を捕獲した喜びが顔から溢れているよ。
えっ? 私はツチノコですか?
……しかも、よくわからない商品価値基準なんだけど……私に拒否権はないので、まぁ仕方ない。
私は今『品物』なのだから……。
血液はどんなに技術が進歩しても、未だ作ることができないものの一つだ。
人間がどれだけ近づこうと足掻いても所詮は神の掌の上。
テーブルに頬杖を付いて、スバラ君がまたじっと私を見てくる。
対象物を観察するように凝視するのは、彼の癖なのかもしれない。
「……ヤナセさんってさぁ、何でこんな怪しい俺に付いてきてくれたの? 大体、皆、隙を見て逃げようとするよ?」
えっ? 自分で怪しいって言っちゃったよ、この人……ってか、逃げて良かったの?
………………
あれ?
そういえば私、逃げようと思ってなかったな……。
「……何でだろ? う〜ん……よく分かんないけど……スバラ君の優しい所も知っちゃったから、かな?」
首を傾げながら伝える私に、柔らかく彼は笑った。
◇◇◇◇
「はいっ! これで予定通り420cc採血したよ。お疲れ様でした。次は二週間後ね。」
「お、お疲れ様でした……えっ? 帰っていいの? 監禁とかされないの?」
「何? 俺に監禁されたいの? 四六時中、俺と一緒にいたいの?」
「……いや、そうじゃなくて。」
私、日本語間違えてます? そんなこと一言も言ってないよ?
ソファに横たわり、いつの間にか寝てたみたい……気づいたら採血は終わっていた。
外が暗くなってきている。
「あっ。」
針を抜かれた左の二の腕から、つーっと一筋血が流れた。
「あぁ、勿体ない。」
そっと私の腕を掴み、ぺろりと舐めるスバラ君。
………………
な、な、な、な、舐めたーーーーっ⁉︎⁉︎⁉︎
「ちょ、ちょっと待って……い、今……。」
「はい、止血シール貼っときますね。お風呂は入って大丈夫ですよ。」
「はい、分かりました。……じゃなくって!」
「何?」
………………
いや……この質問をして、その答えを聞いてしまったら……たぶん引き返せなくなる。
「……何でもない。」
今は何も聞かない。その方がいい。
『貴方は何者なの?』なんて……。
「か、帰る!」
「また明日、大学でね。」
「……。」
パタンッ……
返事をせず、振り返りもせず、私はドアを閉めた。
言われた通り、周りをキョロキョロと見回し、こそっとビルの裏口から出た。
誰にも見られていない……はず。
歩きながら、今日一日を思い返す。
現実と非現実とが交錯していたように思う。
私は平凡な人間だ。
化粧っ気もなく、服も地味、髪も染めていない。
自炊が好き、寝ることが好き、運動も好き。
毎日、同じような穏やかで変わり映えのしない……そんな日常が好き。
今日……大好きな私の日常は、壊れた。
「はぁっ……。」
深く深く肺の中の空気全て吐き切るように溜息を吐いた。
それに伴い、足が止まる。
ぴたっ!
………………
ん?
背後に……嫌な気配を感じる……誰かに……尾行されている⁉︎
ど、どうしよう……いや……気のせい、かも?
すたすたすた、ぴたっ!
背後に同じ歩行リズムで距離を取る人が確実にいる……やっぱり尾行されてるよ⁉︎
ど、どうしよ……は、走る‼︎
ダダダダダダダダッ!
逃げなきゃ! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ!
びたーーん‼︎
「ふぎゃっ!」
派手に前方へすっ転んだ! 恥ずかしい!
顔面からいったから、また鼻血出ちゃうよ〜。
よろよろと立ち上がろうとした瞬間……。
ぐいっ!
「おい!」
腰を抱えられ、いきなり身体を持ち上げられた‼︎
「ひっ‼︎」
ら、拉致される⁉︎ だ、誰か……助け……。
どすっ‼︎
「ぎゃあぁぁぁっ‼︎」
「……えっ⁉︎」
すぐ横で野太い悲鳴が上がる!
声の主は……私を持ち上げた男⁉︎
ひょい!
今度はくるりと私の向きが変わる!
うつ伏せに持ち上げられていた身体が反転し、仰向けになった!
「⁉︎⁉︎⁉︎」
そして目の前には……知っている顔!
「スバラ君⁉︎」
「帰り道は危ないから、送るよ。」
「えっ? あ……うはっ!」
よく見たらこれ、お姫様抱っこの型……これはこれで……めちゃめちゃ恥ずかしい!
「おい! あんた……何で彼女を追いかけた?」
「お、俺は……。」
冷たく発せられた質問に、うずくまる男が声を絞り出す。
「お嬢ちゃんがあまりに不憫だったから……。」
………………
「あっ! チンピラさん⁉︎」
「たまたま見かけたから、心配で後を尾行しちまった。驚かすつもりはなかったんだよ、ごめんな。」
「私こそ、逃げちゃってごめんなさい。」
「いや、普通は逃げるよ。」
私達のやり取りを聞き、スバラ君が溜息を吐いた。
「人騒がせですね……。」
「いや、あんたが怪しすぎるから……。」
「そうですか? でも、安心してください。大切な彼女は俺が徹底的に守りますから。」
「……やっぱりストーカーだった?」
「ははは。」
チンピラさんの耳打ちに、私はただ苦笑いしか返せなかった……。
◇◇◇◇
「あの……そろそろ下ろしてくれませんか?」
「駄目。さっき、擦りむいたでしょ? 動いて血が出ちゃったら大変……ん?」
「ど、どうしたの?」
「マスクに血が滲んでる。」
「うそ、やだ!」
また鼻血⁉︎ 恥ずかしすぎる‼︎
スバラ君がそっとその場にしゃがみ、膝の上に私を抱えた姿勢で顔を覗き込んでくる。ち、近いっ!
「失礼。」
言うのと同時に彼が私のマスクを外した! ぎゃっ!
「やだ! 見ないで!」
「あぁ……少し口の端を切りましたか?」
「口?」
ペロリと舐めると、たしかに血の味がする。
鼻血じゃなかったか。助かった。
さっき、転んだ時に切ったんだな、全然気付かなかった。
「あぁ……なんて勿体ない。」
そう言って、彼は私の口にそっと吸い付いた。
………………
は?
ちゅう、ちゅう、ちゅう……れろっ……。
「えっ⁉︎ えっ⁉︎ えっ⁉︎」
「ご馳走様でした。ヤナセさんは……本当に美味しいですね。」
そう言って、スバラ君は今日一番のキラキラした笑顔を私に向けたのだった……。
………………
「あっ、いっ、いっ、いやいやいや! し、商品に手を出しちゃ駄目でしょ……?」
混乱する頭で、辛うじて的外れな言葉を放つ。
「これは……味見ですよ。」
屁理屈‼︎
ってか、なんでこういう時は照れずに、ちょっと大胆なのさ⁉︎
そして、見てしまった……彼の形の良い口元からチラ見えする、鋭い牙を……。
………………
「えぇーーっ⁉︎⁉︎⁉︎」
夜の街に、私の情け無い叫び声が響いたのだった。
……彼は間違いなく『それ以外』の側の存在だ。
そして、この日を境に私の平凡は非凡なものへと変わってしまった……。
あぁ、さようなら……私の大好きな普通の日常よ。
「あと11回、お支払いが残っているからね? それまでヤナセさんは俺のモノだから……そこんとこ、よろしくね。……あ! 勿論、返済終わった後も大歓迎だし、俺専属も超ウェルカムだから!」
月明かりの下で、彼はそう言って怪しく微笑むのだった……。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。