待ち受ける、白い竜
「うわあああ……! すごい! すごいや!」
山頂からあっという間に大空へと浮上し、ヨナはファーヴニルの飛行速度と小さくなった地上の景色に、感嘆の声を漏らした。
一方で。
「ううう、うむ。そ、そうかもしれんな……」
パトリシアが顔を真っ青にし、ファーヴニルの鱗にしがみついている。
「あのー……」
「っ!? もも、もちろん大丈夫だ! どれだけ高い場所にいようが、私は怖くなどない!」
聞いてもいないのに言い放つ今の彼女の台詞で、ヨナは色々と察した。
つまりパトリシアは、高いところが苦手なのだ、と。
だけど、それはヘンリクとクウも同じようで。
「クク、クウ! おおお、おいら達死んでもずっと一緒だからな!」
「キュウウン……ッ」
こちらもこちらで、お互いに抱き合って身体を震わせている。
ヨナからすれば、むしろこれだけの速度で空を飛んでいるにもかかわらず、吹き飛ばされたりもせずに座っていられるこの状況のほうに驚くばかりだった。
『グハハハハハハ! 我等竜は、空を飛ぶ際は身体の周囲に空気の膜を張る。その中にいるお主達が影響を受けることはないのだ』
「な、なるほど!」
ファーヴニルがヨナの疑問に気づいたらしく、笑いながら答えてくれた。
竜のすごさを知り、ヨナはオニキスの瞳をますます輝かせる。その姿は、とてもこれからリンドヴルムと対峙するとは思えないほど緊張感がなかった。
『ヨナ、パトリシア、それと……』
「ファーヴニルさん、彼の名前はヘンリクです」
『おお、そうか。ヘンリクに狼の王の末裔よ。下を見るがいい』
ヨナは二人と一匹を見ると、彼等は顔を真っ青にして激しく首を左右に振った。どうやらとても下を見られる状況じゃないらしい。
仕方なくヨナは、苦笑しながらファーヴニルに言われたとおり下を見ると。
「これ、は……」
目の前にあるのは、リンドヴルムによって滅茶苦茶になった、首都ヘルシングの無残な光景だった。
『……これが、竜が人間の味を覚えてしまったことによる末路だ』
ファーヴニルが重苦しい口調で告げる。
人間の味に酔いしれ、ただひたすらに人間を求め捕食し続けてしまう竜の性が残した傷痕をまざまざと見せつけられ、ヨナは絶句した。
『だからこそ我等竜は、人間を捕食することを禁忌とした。我等は竜。決して理性のない獣などではない』
「…………………………」
きっと竜は、太古の昔にこの過ちを犯してしまったのだろう。
最初に人間の味を知った竜がどうなったのか、それは分からない。
だが、リンドヴルムが禁断の果実を知るまでこのようなことが起こらなかったのは、またそのような伝説も歴史も存在しないのは、偏に竜達が最初の竜を戒めとし、抗えないほどの誘惑と好奇心に耐え続けてきたおかげだろう。
そしてヨナは気づく。
人間は、竜達の理性によって生かされてきたのだと。
「……竜とは、とても強い存在なのですね」
『どうであろうな。だが、我等は最後まで竜でありたいと思う』
茜色に染まる空を見つめ、ヨナとファーヴニルは静かに言葉を交わした。
◇
『……やはり気づかれたか』
陽が落ち、星が瞬く夜空の中で、ファーヴニルが呟いた。
ファーヴニルの話では竜は互いに共鳴し合っているとのことなので、こちらがリンドヴルムの位置や行動を把握しているように、こちらのことも向こうには筒抜けということだろう。
「大丈夫なんですか?」
『うむ。我が向かっていることを知っている上で、動く気配を見せぬ。つまり、我を迎え撃つつもりなのだろう。一度、我に勝利しておるからな。だが』
「だが……?」
『こちらには、ヨナ達がいることを知らぬ』
どうやら二週間前の勝利が、リンドヴルムに自信と驕りを覚えさせてしまったようだ。
とはいえ竜が人間と交流することは滅多にない。だからリンドヴルムがその可能性に気づかないのは仕方ないともいえる。
『いずれにせよ、ヨナが頼りだ。どうか我とリンドヴルムが最後まで闘えるようにしてくれ』
「え……?」
ファーヴニルの言葉に違和感を覚えたヨナは、呆けた声で聞き返した。
『ヨナが頼りだ』と言いつつも、それではまるで、ファーヴニルのみでリンドヴルムに挑むということではないか、と。
『我は刺し違えてでも、リンドヴルムを屠ってみせる。だが彼奴はきっと最後まで闘わずに逃げ出すだろう。たとえ勝利し、我を屠ったとしてもだ』
「それは……」
『我と闘うということは、彼奴もただでは済まぬということだ』
力の拮抗する竜同士の戦いである以上、ファーヴニルの胸の傷が示すようにリンドヴルムも無傷では済まない。
なら、あえてファーヴニルを避けるという選択肢を取ることもあり得るだろう。
「……どうなんでしょうね」
夜空を見上げ、ヨナはぽつり、と呟く。
ファーヴニルの言うとおり、リンドヴルムが最後まで闘おうとしないのは自分が深手を負いたくないからだろうか。
ヨナの考えは別だった。
きっとリンドヴルムの本音は、番だったファーヴニルと闘いたくないのだろう、と。
だがそうすると、今度はどうしてファーヴニルが近づいていることを分かっているにもかかわらず、あえて迎え撃つつもりをしているのか。
ファーヴニルとリンドヴルム。互いに矛盾だらけの行動を取る二匹に、ヨナはどうしても首を傾げてしまう。
『いずれにせよ、お主は我とリンドヴルムが闘うための場を用意してくれればよい。そして我が倒れた時は、ヨナ……お主がリンドヴルムにとどめを刺せ』
「僕に押し付けないでくださいよ」
勝手なことを言うファーヴニルに、ヨナは吐き捨てるように告げる。
確かに生き残ったリンドヴルムは人間の脅威となるため、ヨナも見逃すことはできない。
だからといってファーヴニルの頼みは、まるで全てを諦め、命すらも投げ捨てているように感じた。
たった十か月足らずしか命が残されていないヨナからすれば、ファーヴニルの言葉はあまりにも無責任で、身勝手で、我儘で、命を……精一杯生きる自分を冒涜されている気分だった。
『……いずれにせよ、我がリンドヴルムに全力で挑む。まずは任せたぞ』
漆黒の夜空に浮遊する、一体の美しく白い竜。
――『二匹の竜の番』の片翼、リンドヴルムが待ち構えていた。
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