僕は、家族を捨てることにした
「うん……これで、大丈夫だよね」
大人が持つような大きな四角い革の鞄にぎっしりと詰まった衣服や日用品、路銀、それに古代魔法の本と世界中の伝説がまとめられた本を見つめ、ヨナは満足げに頷く。
ジークの誕生パーティーが明日に迫り、ようやく準備を整えることができた。
あとは、この家を去るだけ。
すると。
「ヨナタン様、食事の用意が整いました」
「今行くよ」
呼びに来た使用人に、ヨナは笑顔で答える。
本当は顔を合わせてもつらいだけだが、今日は家族で過ごす最後の晩餐だからと、ヨナはあらかじめ使用人に夕食に顔を出すことを伝えていたのだ。
「すみません、お待たせしました」
「遅いぞ」
ヨナが食堂に到着すると、三人は既に食事を始めていた。
どうやら彼等に、ヨナを待つという選択肢はないようだ。
「明日は大事なパーティーだ。今日のように時間に遅れるな」
「……はい」
ラングハイム公爵の小言に、ヨナはうつむいて返事をする。
そう言われたところで、彼はその前にこの家を出て行くのだ。そんなものはもう一切関係ない。
「ハア……ヨナもラングハイム家の長男なのだから、しっかりなさい。お願いだからジークの足を引っ張るようなことだけはやめてちょうだい」
溜息を吐いてヘルタはそんなことを宣った。
今まで足を引っ張るほど、ジークと関わり合いを持ったことなどないというのに。
「フン」
そんなヨナの叱られる様子を見て、ジークが得意げな表情で鼻を鳴らす。
きっと彼の中では、ヨナは情けない出来損ないの兄に過ぎないのだろう。
だが、最後の晩餐がただ辱めを受けるだけの惨めなものに過ぎないのであれば、何のためにここにいるのか。
ヨナはそう考えると、これまで溜まっていた鬱憤が爆発しそうになった。
「……ところで、僕の誕生日は四日後なんですが」
うつむくヨナが、ポツリ、と呟く。
「ん? ……ああ、そういえばそうだったかもしれんな」
「ヨナ、あなたは兄なのだから、それくらい我慢なさい」
今思い出したかのような表情を見せるラングハイム公爵と、なおも小言を言って頭ごなしに押さえつけるヘルタ。
(ああ……やっぱり僕の存在なんて、その程度のものでしかなかったんだ)
改めてそう認識したヨナが顔を上げると。
「ええ、誕生パーティーなんて結構です。これまでの十年間、一度だって祝っていただいたことなどないのですから」
「ヨナタン?」
ヨナの言葉に、ラングハイム公爵が訝しげな表情を見せた。
「父上と母上が僕に何一つ期待していないことは理解しています。出来損ないの僕は、この家にとって邪魔な存在でしかないことも」
「……ヨナタン、いい加減にしろ」
「そうですね。これ以上申し上げて、せっかくの誕生パーティーの前日に不快にさせてはいけません。僕はこれで失礼します」
そう言い放つと、ヨナは立ち上がって食堂の扉へと歩を進める。
そして。
「ラングハイム公爵閣下、ヘルタ夫人、ジークハルト子息……それでは、さようなら」
「っ! ヨナタン!」
恭しく一礼して他人行儀に名を呼ぶヨナに、ラングハイム公爵が声を上げる。
だがヨナはそれを無視し、食堂を出て行った。
零れ落ちそうになる涙を、必死に堪えて。
◇
――コン、コン。
深夜、ヨナは少し朽ちた扉をノックする。
たくさんの荷物を詰め込んだ、革の鞄を手に。
「こんな時間に急患か? ……って、ヨナタン様!?」
「夜分すみません」
顔をしかめて姿を見せたギュンターに、ヨナは深々とお辞儀をした。
「心配したんですよ! 先日はそのまま出て行ってしまって、薬も持っていかなかったではないですか!」
「あ、あはは……」
ギュンターに真剣な表情で詰め寄られ、ヨナは頭を掻いて苦笑する。
だが、家族ですら誰一人として心配どころか興味すら持ってくれない自分に対し、こんなにも気にかけてくれていた彼に、ヨナは嬉しくなった。
「とにかく、中へ入ってください」
「は、はい、お邪魔します」
先日と同じように応接室へと通され、ヨナは席に着く。
するとギュンターは、温かいお茶を淹れてくれた。もちろん、たっぷりの蜂蜜入りのものを。
「それで……こんな夜更けにどうしたんですか?」
「は、はい。実はこれから旅に出ようと思いまして、もうここに来ることができそうにないので、一年分のお薬をいただこうと……」
「旅に!?」
ヨナの言葉にギュンターは口に含んだお茶を噴き出し、驚きの声を上げた。
「な、何を考えているのですか! そのような身体でそんなことをするなんて、それこそ自殺行為ですよ!」
「あ、あはは……」
ギュンターに詰め寄られ、ヨナはまたも愛想笑いを浮かべる。
やはり旅に出るというのは、彼の身体に大きな負担をかけることになるようだ。
「も、もちろん無理はしませんし、僕だって死にに行くつもりはありません。でも……残り一年くらい、したいことをしようって思ったんです。悔いが残らないように」
「う……」
そう言われてしまっては、これ以上は何も言えない。
ギュンターは声を詰まらせ、どすん、と勢いよく腰を下ろした。
「……このことは、ラングハイム公爵閣下もご存知なのですか?」
「いいえ。ですが、あの人は僕に興味がありませんから、きっと気にしないでしょう。……いえ、むしろいなくなって清々するかもしれません」
「…………………………」
ギュンターが公爵家に仕えていた時、寝たきりのヨナのもとにラングハイム公爵が訪れたことも、ヨナの様子を尋ねられたこともないことを覚えている。
自嘲気味に笑うヨナを見て、彼はますます言葉を失ってしまった。
「ですので何も心配いりません。僕は大手を振って旅をすることができます」
そう言うと、ヨナはニコリ、と微笑んだ。
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