医師の矜持
「ふむ……ふむ……」
エストライア帝国の首都“ヴィアン”の住宅街の一画にある、小さな古ぼけた診療所。
どこかくすぐったそうにしているヨナの胸に耳を当て、医師のギュンターは心臓の鼓動を確かめていた。
「ヨナ、もう服を着ていいよ」
「は、はい」
ようやく診察が終わり、ヨナはいそいそと服を着る。
ヨナはギュンターとの約束どおり、帝都を発ってから二か月後……より一日早く、こうして診察を受けに来ていた。
というより、彼の薬がなければ苦痛で耐えられないのだから、どうしてもここに来るしかないのだが。
「それで、どうでしたか……?」
「ん? ああ……二か月前と特に変わらないね」
ギュンターの診断結果を聞き、ヨナは胸を撫で下ろす……のだが。
「勘違いしてはいけない。病の進行具合が特に変わらないという意味だ。言い方は悪いが、順調に悪化している」
「あ……そうですか……」
二か月前に『余命一年』であると、既に宣告を受けているのだから、悪化することはヨナも最初から理解していた。
とはいえ、やはりこうしてその事実を突きつけられれば、ヨナが落ち込んでしまうのも無理はない。
「さて……ヨナの薬はこれから処方するとして」
軽く息を吐き、ギュンターは僅かに表情を緩めてヨナを見ると。
「ベネディア王国は楽しかったかい?」
「えっ!?」
含みのある笑みを浮かべるギュンターに尋ねられ、ヨナは思わず声を上げた。
ヨナはまだこの二か月間の出来事について、彼に話をしていない。
にもかかわらず、どうしてギュンターはヨナがベネディア王国を訪れていたことを知っているのだろうか。
「ははは、実は私の知り合いの医師が、君のことを心配して手紙を送ってきたんだ。それも、わざわざ伝書鳥まで使って」
「『知り合いの医師』って……まさか」
「そうだよ。ベネディア王室の専属医師を務めている“ロザリオ”は、私と一緒に医学を学んだ友人なんだ」
「うわあああ、そうだったんですね!」
そう言うと、ギュンターは口の端を持ち上げた。
まさか自分の主治医が他国の医師と繋がっていたとは思いもよらず、ヨナは少し嬉しくなる。
だが、ヨナは知らない。
この巡り合わせも、ヨナが一歩踏み出したことによって生まれた必然であることを。
「それで、私としては君の冒険譚を聞かせてほしいのだが。もちろん、蜂蜜入りのお茶を飲みながら、ね」
「あ……えへへ」
ヨナが出発の日に淹れてもらったお茶がお気に入りであることも、ギュンターにはお見通しだったようだ。
ヨナはやっぱり嬉しくなり、子供らしくはにかむ。
「さあ、私に聞かせておくれ。君の初めての冒険の数々を」
「はい!」
ギュンターに案内され、ヨナは笑顔で応接室へと移動した。
◇
「ヨナ、悪いが次の診察は一か月後にしてくれないか?」
「え!? ど、どうしてですか……?」
ヨナがこの二か月の旅について語り終えたところで、ギュンターがおもむろにそんなことを言った。
やはり先程の診断結果は思っていたより悪かったのかと、ヨナは不安そうな表情で尋ねた。
「ヨナの病の状態を踏まえて薬を処方してはいるものの、その症状などに合わせて薬の効果の強弱を調整しないといけないんだ。ベネディア王国で倒れたこともあって予断を許さない以上、面倒だとは思うが常に状態を把握して適切な投薬をしたほうがいい」
ギュンターはヨナの瞳を見つめ、諭すように説明する。
「そ、その、例えば最初から効果の高い薬を飲んじゃいけないんですか?」
「前にも言ったと思うが、薬というのはその人の身体の状態に適切に合わせなければ毒にもなる。ヨナの身体はぼろぼろなのに、強い薬によってさらに傷つけては本末転倒だ。それこそ寿命を縮めかねない」
「……はい」
そう告げられてしまっては何も言い返せない。
ヨナはうつむき、静かに頷いた。
「それにしても、まさかヨナが帝国を騒がせたあの飛蝗を駆除していたなんて驚きだったよ。帝国内でも各地で被害を受けて、穀物の相場がかなり上がったりしたからね。いやあ、ヨナ様様だ」
酷なことを告げてしまい暗くなってしまった雰囲気を変えようと、ギュンターはそんなことを言って褒め称えるが、これは決して大袈裟ではない。
事実、ヨナが飛蝗を駆除しなければ、帝国はもっと深刻な被害に晒されていた。
本来の運命では、食糧難となった帝国がその確保のために他国への侵略を始めてしまうのだから。
「しかもヨナが救ったハーゲンベルク領は、被害を受けた各地に支援物資を送ってくれて、その結果、この帝都でも少々値は張るものの普段どおりの食事ができている。今こうして私が元気でいられるのも、ヨナのおかげだと言えるんだ」
「あ……」
「ヨナ、君の旅はたくさんの人々を幸せにしてくれる、大切なものだ。だからどうか、私の診察に協力してほしい。君の最後の時を少しでも遅らせることができるように……いや、最後の時を迎えなくて済むように、私に挑戦させてほしいんだ」
ヨナの小さな肩に手を置き、ギュンターは希う。
彼はヨナの余命を知り、救う手立てがなくてもまだ諦めてはいなかった。
ヨナと出逢ってからのギュンターは、『魔力過多』に関する症例がないか日々文献を漁り、いくつもの試薬を作っては失敗してを繰り返し、改良を重ねてきた。
彼のために処方した今回の薬も、その成果もあって二か月前に渡したものよりも効果が高く、副作用も抑えられている。
そう……ギュンターもまた、抗うことのできない定められた運命に抗っていたのだ。
「その……どうしてギュンター先生は、僕のためにそこまでしてくださるのですか……?」
オニキスの瞳を潤ませ、ヨナは尋ねる。
日々強くなっている痛みや苦しみからも、終わりが近づいていることはヨナも理解していた。
それに、ギュンターはラングハイム公爵に解雇され、その息子であるヨナにここまでする義理はない。いや、むしろ願い下げだと言われてもおかしくはないのだ。
なのに、どうして彼はここまでヨナに寄り添い、一緒に戦ってくれるのか。
自分は価値がない、出来損ないだと刷り込まれてきたヨナにとって、ここまでしてくれる理由が知りたいのだ。
すると。
「決まっているじゃないか。それは、私が医者だからだ。そして私は、苦しんでいる患者を救うために医者になったのだから」
そう告げたギュンターの表情はとても温かく、強く、誇りに満ち溢れていた。
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