伯爵令嬢との『絆のカケラ』
「ヨナ!」
「わぷっ!?」
草むらの上に倒れ込んでいるヨナに、マルグリットが勢いよく抱き着いた。
「すごい! すごいですわ! あの飛蝗達を、全て焼き尽くしてしまうなんて! ヨナは本当にすごい!」
「え、えへへ……」
大粒の涙を零して褒め称えるマルグリットに、ヨナは少し照れくさそうにはにかむ。
やはり彼女は、誰よりも自分のことを見てくれて、褒めてくれる。ヨナは幸せで胸が一杯になった。
マルグリットがこんなにも喜んでくれることが……彼女を救えたことが、何よりも嬉しい。
もしラングハイム公爵や家族達の前で同じように古代魔法を駆使しても、ヨナはきっとそうは思わなかっただろう。
……いや、ヨナが彼等のために古代魔法を使うことは、永遠にない。
十一年間、どれだけつらくてもそれでも前を向こうとして手に入れたこの力は、ヨナの大切な人々のためだけに使うものだから。
「ヨナ……ハーゲンベルク領を救ってくれて、本当にありがとう……」
ハーゲンベルク伯爵が膝をつき、深々と頭を下げた。
エストライア帝国の高位貴族の一人である彼が、平民に過ぎないヨナに対し最大限の誠意と謝辞を見せるなど、それこそあり得ないもの。
それでもハーゲンベルク伯爵は、心からの感謝を伝えたかったのだ。
この、奇跡を起こした小さな少年に。
そんな彼を見てヨナは、『もし自分が伯爵様の子供だったら、あんな思いをしなくてもよかったのかな』と、思わずにはいられない。
旅の始まり、初めて出逢ったハーゲンベルク家の二人。
彼等のおかげで、ヨナはこれ以上ないほどの幸せに包まれた。
もう絶対に離したくないと、強く願ってしまうほどに。
「さ、ここにもう用はありません。ツヴェルクの街に戻りましょう」
「フフ! ええ!」
気を取り直しヨナがそう告げると、マルグリットが笑顔で頷く。
「そうだな。ハーゲンベルク領が救われたとはいえ、やるべきことはたくさんある。隣を含め被害のあった地域への救済、物資の支援……おっと、何より税率を元に戻し、蓄えた分を領民に還元しなければ」
晴れ晴れとした表情で嬉しそうに語るハーゲンベルク伯爵を見て、ヨナとマルグリットは顔を見合わせ、楽しげに微笑んだ。
◇
「ハンス。買い付けた食糧はこちらではなく、被害地域へ回すようにオットマー商会にすぐに伝えてくれ」
「かしこまりました」
ツヴェルクの屋敷に戻り、ハーゲンベルク伯爵が忙しく指示を出しては精力的に動き回る。
だが、同じ忙しさでも蝗害の問題を一人で抱え込み領民に増税を課していた時とは違い、彼の表情はとても生き生きとしていた。
「お父様! わたくしにもお手伝いさせてくださいませ!」
「そうか。だが、無理をする必要はないのだぞ?」
「無理などではありませんわ! だってわたくしは、お父様のように領民のために働けて、とても幸せですもの!」
これまで尊敬する父の力になりたくて、ずっと努力を重ねてきたマルグリット。
それが今、こうして身を結んだのだ。彼女は嬉しくて仕方がない。
それに、マルグリットにはもう一人、何よりも大切な人ができた。
これからも彼と一緒に過ごしていく未来を想い、小さな胸を高鳴らせる。
「ヨナ! あなたも……って、あら?」
先程まで執務室にいたはずのヨナが、いつの間にかいなくなっている。
「お花を摘みに(お手洗い)でも行ったのかしら……」
「マルグリット、この書類を整理してくれ」
「は、はい!」
マルグリットは首を傾げるも、ハーゲンベルク伯爵の指示を受けてそちらに集中した。
「…………………………」
そのヨナは今、ハーゲンベルク領の南西の端……飛蝗の大群を焼き尽くした、あの丘の上にいた。
「マルグリット様、ハーゲンベルク伯爵様、ありがとうございました。どうかお元気で」
ツヴェルクの街がある方角へ深々とお辞儀をし、ヨナは踵を返す。
本当はあの二人の傍に……マルグリットと一緒にいたかった。
二人もきっと、ヨナがこれからもずっと一緒にいることを歓迎してくれるだろう。
だが、ヨナに残された時間は一年にも満たない。
そんな彼が二人の傍にいて迷惑をかけるなんて、どうしても耐えられなかった。
何より……マルグリットを、悲しませたくはなかった。
「……今なら僕も、耐えられる」
胸襟をぎゅ、と握りしめ、ヨナは呟く。
本当は、初めて自分のことを褒めてくれた、優しくしてくれた、微笑んでくれたマルグリットと離れたくない。
でも、もしあと少しでも一緒にいたら、きっとヨナはもう離れられない。
だから……彼は、別れを選んだ。
その時。
「あ……ぐ……っ」
ヨナの心臓が、激しく鼓動を打つ。
あまりの痛みに、苦しみに、ヨナはその場で崩れ落ち、胸を押さえてうずくまった。
「く……薬……」
旅立ちの日、ギュンターに処方してもらった二種類の薬。
一つは毎日飲むようにと渡されたもの。もう一つは、どうしても耐えられない時の緊急用として飲むためのもの。
ヨナは革の鞄を開いて薬を探すが、すぐに見つからない。
中の荷物を地面にひっくり返すと、一番端のほうに隠れていた。
「ん……んく……」
薬を口の中に放り込み、ヨナは飲み込む。
あれほど苦しかった胸の痛みが徐々に治まり、ヨナの呼吸はようやく落ち着きを取り戻した。
「はあ……」
うずくまったまま、ヨナは深く息を吐くと。
「死にたく……ない、よお……っ」
両腕で身体を抱え込み、ヨナはぽろぽろと涙を零して悲痛な声で呟く。
まだ十一歳の誕生日を迎えたばかりの小さな少年が、余命一年と宣告され、最後の時を迎えるまでずっと大人ですら裸足で逃げ出してしまいたくなるような苦しみに耐え続けなければいけないのだ。
『ほら、今からでも遅くはないよ。あの二人のところに戻ったらどうだい』
「え……?」
聞こえてきたのは、夢の中の女の声。
自分が気を失ってしまったのかと思ったヨナだが、胸の痛みはまだ残っている。つまり、これは夢じゃない。
なら、この声は幻聴なのか。
それともヨナの中の弱い心が、そうささやきかけているのか。
『お前も分かっただろう。これから先、今みたいな苦しみが……いや、もっと酷い苦しみがお前を襲うんだ。それなら優しい優しい女の子に最期を看取ってもらったほうが、幸せなんじゃないのかい?』
「…………………………」
女の言葉に、ヨナは押し黙る。
その幸せは、ヨナも思い描いていた。
でも。
「……まさか。僕は旅を続けて、もっともっとたくさんのすごい伝説をこの目で見るんだ」
ヨナは立ち上がり、精一杯の強がりを告げる。
最初の目的を果たすのだと、女の声に……いや、自分自身に言い聞かせて。
「だから、もう黙ってよ」
『…………………………』
女の声はこれ以上語りかけることはなく、ヨナはぐい、と涙を拭うと、ぎこちない足取りでハーゲンベルク領を後にした。
――お節介で、強引で、誰よりも優しくて、誰よりも認めてくれた、誰よりも大切な女の子との小さな小さな『絆のカケラ』を遺して。
お読みいただき、ありがとうございました!
少しでも面白い! 続きが読みたい! と思っていただけたら、
『ブックマーク』と広告下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしていただけると幸いです!
皆様の評価は、作者にとって作品を書き続ける原動力です!
何卒応援をよろしくお願いします!




