意外な取引
「ひ、酷いですよ、もう……」
商人の男がいる宿屋へと向かう馬車の中、ヨナは口を尖らせる。
身体を古代魔法により操作している彼にとって、想定していない突発的なことは大の苦手……というより、咄嗟に身体を操ることができないのだ。
そのおかげでハンスから逃げ出した時に、ヨナは思わず転んでしまった。
「わ、悪かったですわ。でも、あれはヨナが悪いんですのよ」
「え、ええー……」
ヨナからすれば、マルグリットの言い分は理不尽である。
彼女のハンスへの言い訳に相槌を打ち、全面的に協力したというのに。
「と、とにかく、着きましたわよ」
馬車が目的の宿屋の前に停まり、先にヨナが降りる。
「マルグリット様、どうぞ」
「フフ……ヨナにエスコートしていただけるなんて思いませんでしたわ。一体どこで覚えたのかしら」
微笑むマルグリットが差し出されたヨナの手を取り、ゆっくりと馬車から降りた。
皮肉を言いつつも、彼女の頬は正直でほんのりと赤くなっている。
二人は手を繋いだまま、宿屋の中へと入ると。
「あのー……ここに泊まっている、ええと……」
「オットマーというお客はいるかしら? 彼に用がありますの」
商人の男の名前が分からずヨナが困っていると、マルグリットが代わりに宿屋の主人に告げた。
だが、どうして彼女が商人の名前を知っているのだろうか?
「あら、ここに書いてあるじゃない」
マルグリットが指差したのは、木札にある『オットマー商会』との文字。
なるほど、屋号がそのまま商人の名前だったわけだ。
「しょ、少々お待ちください」
宿屋の主人は慌てた様子で階段を上がっていく。
これは、突然領主の娘が尋ねてきたことによるものなのか、それともオットマーが意外にも名の知れた商人だからなのか。
「どうぞ。オットマー様は部屋でお会いになるそうです」
「ありがとうございますわ」
部屋の場所を聞き、二人は彼の部屋へと向かう。
さすがに階段が狭いのでヨナが手を離そうとするが、マルグリットが強く握るために離すことができない。
(ひょっとして、まだ僕のことを年下の子供扱いしているのかな……)
ヨナはそんなことを考えるが、頬を染めて口元を緩めるマルグリットを見れば、別の意味であることは一目瞭然である。
彼もまだ十一歳になったばかり。そういった女性の機微に気づけないのは、仕方のないことかもしれない。
階段を上がり、オットマーの部屋の前に来ると、ヨナは扉をノックした。
「どうぞ」
「し、失礼します」
中にいるオットーの了承を受け、扉を開けてヨナ達は部屋の中へと入る。
「よお! よく来たな、坊主!」
「は、はい。お言葉に甘えて来ちゃいました」
ヨナの姿を見るなり笑顔で出迎えたオットマーが、彼の小さな背中をバシッ、と叩いた。
少し痛いと思いながらも、オットマーなりの歓迎の証なのだと思い、ヨナは我慢する。
「それでどうした? 俺でよければ力になるぞ」
元々オットマーは、ヨナが『何か困ったことがあれば尋ねてくるように』と木札を渡したのだから、何かしらの困った問題があったのだと考えていた。
だが。
「その……ここには、領主様と商談をするために来たんですよね?」
「……そうだが、どうしてお前が知ってる?」
予想外なヨナの言葉を受け、オットマーは訝しげな視線を向ける。
「はじめまして。わたくしはハーゲンベルク伯爵家の長女、マルグリットと申しますわ。どうぞお見知りおきを」
マルグリットがスカートの裾をつまみ、優雅にカーテシーをした。
つい忘れそうになってしまうが、彼女もれっきとした貴族令嬢であり淑女。その洗練された所作は、ヨナやオットマーを惹きつける。
「お、おお……ハーゲンベルク閣下のご令嬢でしたか。私はオットマー商会を率いております、オットマーと申します」
オットマーは一瞬戸惑うもすぐに平静を装い、にこやかな表情を浮かべ胸に手を当ててお辞儀をする。
その対応を見たヨナは、やはり彼も一廉の商人なのだと感心した。
「それでマルグリット様がお越しになられたのは、ヨナの話から察するに私とハーゲンベルク閣下との商談のことについてのようですが、何か問題でも……?」
「実はお父様とどのような取引をなさっているのか、教えていただきたいんですわ」
「はあ……」
マルグリットの駆け引きのない真っ直ぐな質問に、オットマーは思わず気の抜けた返事をする。
たとえ取引先相手の娘とはいえ信用にも関わるので、さすがに取引の内容をおいそれとするわけにはいかない。かといってヨナには木札を渡し、困ったら尋ねてくるようにとも言った。
これはどうしたものかと、オットマーは首を捻っていると。
「オットマーさん、お願いします! マルグリット様のために、どうか教えてください!」
深々とお辞儀をするヨナと、彼に向けて真紅の瞳を潤ませて隣から熱い視線を送るマルグリット。
そんな二人を見て、オットマーはニヤリ、と口の端を持ち上げた。
「ほほう……なるほどなるほど、そういうことか。なら、坊主に協力してやらないとなあ」
「! ほ、本当ですか!」
「おう! それにまあ、そんな大した話でもないしな」
そう言うと、生温かい視線を送るオットマーが頷く。
とはいえ、本当なら取引先への裏切り行為とも取られかねない。それでも教えることにしたのは、純粋に二人のことが気に入ったからだ。
「教えてくださいまし! お父様は、あなたとどんな取引をしておられますの?」
「へえ。ハーゲンベルク閣下は、私に小麦や穀物を売ってほしいとおっしゃったんですよ」
「小麦!? 穀物!?」
オットマーの意外な言葉に、マルグリットが驚きの声を上げた。
お読みいただき、ありがとうございました!
少しでも面白い! 続きが読みたい! と思っていただけたら、
『ブックマーク』と広告下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしていただけると幸いです!
皆様の評価は、作者にとって作品を書き続ける原動力です!
何卒応援をよろしくお願いします!




