気高い少女
「あの……ハンスさん、よろしいですか……?」
ハーゲンベルク家の屋敷に戻るなり、ヨナはハンスに声をかけた。
マルグリットは早々に自分の部屋へ行ってしまい、二人の傍にはいない。
「何でしょうか?」
「その、先程の街でのことなんですけど……」
ハンスもヨナの話が何であるか承知しているはずなのに、それをおくびにも出さずにこやかに応対する。
それだけで、彼が優秀な従者なのだということが見て取れた。
「……簡単に申し上げますと、旦那様の領地運営に不満を持っている者が少なからずおります。これは、ここに限らず多かれ少なかれどの領地でも起こっていることです」
「…………………………」
余所者であるヨナに内情を教えられないということか、あるいは、子供である彼を巻き込まないために気遣ってのものか。
いずれにせよ、ハンスは答えるつもりがないようだ。
「よろしいでしょうか。では、私は別の用務がありますのでこれで」
恭しく一礼し、ハンスがこの場から去っていく。
ヨナは手を伸ばしかけるがすぐに引っ込め、自分の部屋へと戻ろうとして。
「あ……」
部屋に戻っていたはずのマルグリットが、神妙な顔で待ち構えていた。
「ヨナ、ちょっといいかしら」
「え、ええ……」
マルグリットに誘われ、ヨナは彼女の部屋へと入る。
中は女の子らしく鮮やかな色のカーテンや、ぬいぐるみなどが置かれており、その陰に隠れるように、領地経営に関する本などもあった。
きっとマルグリットは、普段からハーゲンベルク家の令嬢として人知れず勉学に励んでいたのだろう。
そういった努力をあえて見せない彼女に、ヨナはますます好感を覚えた。
「先程ハンスに尋ねた質問に、わたくしが答えてあげますわ」
どうやら先程の会話を聞いていたらしい。
バツの悪そうな顔をするヨナとは対照的に、マルグリットはくすり、と微笑む。
「街の住民達が敵意を向ける理由……それはお父様が、三か月前から税を引き上げたからよ」
マルグリットはうつむき、訥々と話し始めた。
これまでのハーゲンベルク領では他領と比べても税が安く、加えて農地を開墾した者には新しい開墾部分の税を十年間免除しており、領民達は大いに喜び他領からの移住者も多かった。
だが、三か月前になってハーゲンベルク伯爵はいきなり方針を転換する。
税をこれまでより五十パーセント引き上げ、新規開墾に伴う税の免除も取りやめてしまったのだ。
ただでさえハーゲンベルク領は農業を生業としており、今回の増税は領民の大半を占める農民達の生活を苦しめる結果となってしまう。
領民達はハーゲンベルク伯爵に抗議したが、聞き入れることはなかった。
「……それだけではありませんわ。お父様のもとに多くの商人が訪れるようになり、何か取引をされているようですの」
「商人、ですか……」
その話を聞く限り、ハーゲンベルク伯爵は何か別の事業でも立ち上げるつもりなのだろうか。それとも、何かいかがわしいことをしているのか。
そう考えたヨナだったが、その前にマルグリットに聞くことがある。
それは。
「その……マルグリット様は、そのような伯爵様をどう思われているのですか?」
「っ! 決まっていますわ! あのお父様が、意味もなく領民を苦しめるようなことはいたしません! きっと理由があるはずですわ!」
ヨナの質問の仕方が気に入らなかったのだろう。
マルグリットは、険しい表情でヨナに詰め寄る。
「マルグリット様は、伯爵様のことを信じておられるのですね」
「あ……と、当然ですわ。お父様が領民のために全力を尽くされる優しい領主であることはわたくしもこの目で見てきましたし、そんなお父様を幼い頃からずっと尊敬しておりますもの……」
にこり、と微笑んでそう告げたヨナに、気恥ずかしくなったマルグリットがぷい、と顔を背けて答えた。
「でも……それはあくまでも娘であるわたくしの思いでしかありませんわ。ヨナも本当は、今の話を聞いてお父様のこと、幻滅したのではなくて?」
「いいえ」
顔を伏せるマルグリットの問いかけを、ヨナはきっぱりと否定する。
「その……どうして、ですの……?」
「正直に申し上げて、僕は伯爵様に昨夜ほんの少しお会いしただけですから、どのような御方なのかはよく分かりません。でも……他ならぬマルグリット様が伯爵様を尊敬し、信じておられるのですから」
彼女とはまだ出逢ってたったの一日しかないものの、マルグリットがおせっかいで、強引で、優しくて、素晴らしい女の子であることをヨナはちゃんと理解している。
何より彼女は、ヨナの瞳を……いや、ヨナを褒めてくれた、初めての女性。
だから。
「僕はあなたの言葉なら、何だって信じます。きっと伯爵様には、何か事情がおありなのだと……って!?」
「うう……うわああああああ……っ」
マルグリットはヨナの胸に飛びつき、頬をすり寄せて堰を切ったように泣いた。
きっと彼女は、これまでも領民達から非難の的に晒されてきたのだろう。
それでもマルグリットはそんなことをおくびにも出さずに気丈に振る舞い、一人でずっとハーゲンベルク伯爵を信じ続けてきたのだ。
ヨナは肩を震わせてむせび泣くマルグリットをそっと抱きしめ、優しく背中を撫でた。
少しでもこの気高く美しい少女の心が救われるようにと、ありったけの願いを込めて。
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