三つの試練、三つの夢
「今のは、夢……?」
泣き崩れたヨナは、気づけばラングハイム家の屋敷にある、自分の部屋のベッドの上で膝を抱えていた。
ただ、いつもとは明らかに違っていた。
「え……? ど、どうして!?」
あれほど苦しめていたはずの、魔力過多による痛みや苦しみがない。
もちろん。
「動ける……歩ける……!」
【マリオネッテ】による操作を必要とせず、ヨナはベッドから降りるなり普通に立ち、歩いてみせたのだ。
「あ……あああああ……っ」
ヨナの瞳から涙が溢れ、彼は自分の身体を抱きしめ歓喜に震える。
生まれてからの十一年、ずっと苦しめてきたものが、目を覚ましたら全て消え去っていて、普通でいられるのだから。
その時。
「ヨナ!」
勢いよく扉が開き、飛び込んで来たのは母のマルテ。その後ろには、ラングハイム公爵がいた。
これまで一度も見たことがない、心の底から心配そうな表情を浮かべて。
「あ、あの……」
「ああ、ヨナ。きっと恐い夢を見たのね……」
困惑するヨナを、マルテが優しく抱きしめる。
彼女の長い黒髪が鼻に触れ、ヨナは少しくすぐったさを覚えた。
「ふう……まったく、何もないならよかった」
そう言ってラングハイム公爵は二人の隣に腰かけると、ヨナの頭を優しく撫でる。そこにはヨナがずっと焦がれていた、理想の父の姿があった。
「父上、その、どうして僕のことを心配してくれるんですか……?」
ヨナは少しうつむき、ラングハイム公爵に尋ねる。
これまでの人生、一度も見てくれることはなく、役立たずの烙印を押されていたヨナ。だからこそ、目の前の父の姿を信じることができないでいた。
ラングハイム公爵はマルテと顔を見合わせたかと思うと。
「ヨナ。お前はラングハイム家の跡取り……いや、私達二人の大事な息子なんだ。心配するのは当然だろう」
柔らかい笑みを浮かべ、再びヨナの頭を撫でる。
その大きな手はとても温かく、見つめる瞳にはヨナへの愛情が込められていた。
「そうですか……え、えへへ……っ」
嬉しさのあまり、ヨナは顔をくしゃくしゃにする。
長年求めていた温もりが、家族の幸せがここにあった。
すると。
『おやおや、よかったねえ。あれだけ欲しかったものが、ようやく手に入ったみたいで』
ヨナの耳に……いや、頭の中に聞こえてきた、女の皮肉交じりの声。
ラングハイム家を飛び出してからの旅路で、幾度となくヨナを揶揄い続けてきた、鬱陶しい声だ。
『どうだい? ここなら、残り僅かな人生を終えるのに相応しいと……』
「うるさい!」
「「っ!?」」
ラングハイム公爵とマルテを押し退け、ヨナは拳を握りしめて叫んだ。
その幼い顔に、悲しさと悔しさ、口惜しさを滲ませて。
「ヨナ、突然どうしたの?」
「そうだぞ。やはりどこか具合が……」
困惑した表情で、二人がヨナの傍に寄ろうとするが。
「本当に……酷いよ……っ」
黒い瞳からぽろぽろと大粒の涙が溢れ出し、ヨナは怨嗟の言葉を漏らす。
そう……これが夢であることなど……決してあり得ないことであることなど、ヨナには最初から分かっていた。
ただ、ほんの少しだけでいいから、そのあり得ない夢に縋っていたかっただけ。
『……そうかい。だったらいいさね』
女はどこか安心したような、それでいて今にも泣き出しそうな、そんな声を残し、これ以上聞こえることはなかった。
それと同時に、まるで示し合わせていたかのように、ヨナの前からラングハイム公爵とマルテが消え失せ、景色が一変する。
それは。
(え……? これ、僕……?)
小さなベッドに横たわる、ヨナの姿。
顔は青白く、身体はやつれ、まともに呼吸をすることもままならない。
それを取り囲むように、マルグリットやハーゲンベルク伯爵、ギュンター、カルロ、アウロラ、プリシラ、ティタンシア、クィリンドラ、妖精王オベロン、ヘンリク、クウ、パトリシア、ファーヴニル、ランベルク公爵、それにトンマーゾがいた。
それ以外にも、ヨナが出会ったことのない、たくさんの人達が。
「ここまでの旅は、楽しかったかい?」
ヨナを囲む人々の中から現れた黒のローブを纏った美しい女性が、黒髪をそっと撫でて優しく尋ねる。
その声に、ヨナは聞き覚えがあった。
「え、えへへ……うん」
「そうかい。なら、よかったね」
息を荒げつつも、ヨナは懸命に笑顔を見せる。
それに応えるように、女性は微笑み返した。
「うう……こんなの、あんまりですわ……っ」
「……悔しい」
マルグリットが嗚咽を漏らし、周囲の人々も嘆き悲しむ。
その光景はまるで、最後のお別れをしているようだった。
(ああ……そうか……)
ヨナは悟る。
これが、やがて訪れる最後の時だということを。
『ひょっとして、怖気づいたのかい? そうさね、これがお前の最後さ』
それまで沈黙していた女の声が、再び聞こえる。
その言葉は、ヨナを煽るようで、励ますようで、覚悟を問うているかのようだった。
『怖いだろう? つらいだろう? 悲しいだろう?』
女はそっとささやく。
この女の意図が何なのか、これまでの旅でのやり取りを含めてもヨナには分からない。
だけど。
「……ううん」
ヨナはただ、静かにかぶりを振った。
『どうしてだい? あと九か月で、こんな目に遭うっていうのに』
「だって、僕は一人じゃないことが分かったから」
旅立つ前の人生では、役立たずのヨナは誰からも必要とされず、ただ息をしているだけだった。
それがどうだろう。
死にゆくヨナの周りには、マルグリットやカルロ達がいる。
旅の中で出逢った、心を通わせた人達が。
ここにいる今のヨナが知らない他の者達も、きっとこれからの旅の中で出逢い、心を通わせることになるのだろう。
「だから僕は怖くない。つらくない。悲しくなんてない」
ヨナは虚空を見据え、はっきりと告げる。
本来この光景は見る者の死への恐怖を誘うためのものなのだろうが、ヨナにとっては結果として救いとなった。
「もう大丈夫。僕はこの旅を、最後までやり遂げてみせるよ」
『……はいはい。本当にそうなるといいねえ』
半ば呆れるように……だが少しだけ嬉しそうに告げると、女の声は再び聞こえなくなった。
すると。
「っ!? ここは……」
いきなり現れた、魔塔の地下深くへと通じる螺旋階段と、行く手を遮る古代文字が刻まれた壁に、ヨナは思わず目をこすった。
「元の場所に戻ってきたってことは、さっきまでの出来事が『三つの試練』で、僕はそれを乗り越えることができたということで、いいんだよね……?」
壁に触れる前と一つだけ違うのは、ヨナの位置が壁の下。つまり、遮る壁を越えたということ。
なら、無事『三つの試練』に合格したと考えて間違いない。
「そ、そうだ! トンマーゾさんとフェリペさんは!?」
二人のことを思い出し慌てて周囲を見回すも、残念ながら二人はこの場所にはいない。
あるのは、フェリペが魔法で発動させた光の球体が浮遊しているだけ。
「ということは、二人はまだ『三つの試練』を受けている最中ってことだよね……」
ヨナは階段に腰かけ、思案する。
壁に刻まれた古代文字に記されていた、『三つの試練』。
先程までの一連の不思議な出来事を考えた場合、おそらくは『過去』、『現在』、そして『未来』を指しているのかもしれない。
試練を受ける者に、現実と、現実では起こり得なかった夢と理想、さらには迫り来る死の恐怖、ひょっとしたら起こり得た、あるいは起こり得る運命を見せるために。
「……あの女の人に感謝、かな」
本音を言えば『三つの試練』で見た夢の中で、生きていてくれた母と、自分のことを家族と認めてくれた父に、このままずっと甘えてしまっても構わない。そんなことを考えてしまったヨナ。
それを、悲しみで胸が引き裂かれそうな思いをしながら現実に引き戻してくれたのは、皮肉にもあの女の声だったのだから。
「二人共、無事だといいな……」
ヨナはそびえる壁を見つめ、ぽつり、と呟いた。
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