僕を選んでくれた君
「ふう……」
熱気のこもる会場を抜け、ヨナは外に出て大きく息を吐いた。
ラングハイム家でもパーティーは行われたりするが、出来損ないの扱いを受け続けてきたヨナには無縁のもの。こうして正式に参加するのは初めてのことであり、知らず知らずのうちに緊張していたようだ。
でも。
「えへへ、楽しかったなあ……」
最初はラングハイム公爵や家族に会いたくなくて逃げ出したヨナだったが、今はマルグリットやティタンシア、ハーゲンベルク侯爵にクィリンドラと、大切な人達に囲まれて至福の時を過ごせた。
祝賀会が始まってからはパトリシアが主役として応対しているため傍にいないのは残念だが、それでも目が合えば笑顔で手を振ってくれる。
これまでの十一年間、独りぼっちだったヨナには夢のような世界。嬉しくなって口元を緩めた。
すると。
「ヨナ、ここにいたのね」
「マリー」
現れたのは、マルグリット。
その小さな手には、葡萄の果実水が注がれたグラスを二つ持っている。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
マルグリットからグラスを受け取り、ヨナは果実水を口に含んだ。
酸味と甘みが口の中に広がり、美味しくてヨナは顔を綻ばせた。
「ねえマリー、僕……やっぱり祝賀会に参加してよかったよ」
「それは何よりですわね。わたくしとしては、たくさんの女性のお知り合いがいてこの二か月間、ヨナが一体何をしていたのか気になりますけど」
「げほっ!?」
マルグリットからじと、とした視線を向けられ、ヨナは思わずむせる。
どうやら彼女は、かなり独占欲と嫉妬が強いようだ。
「まあいいですわ。……それより知っているかしら。パーティーでは、そ、その……ダンスを踊ったりしますのよ……?」
頬を赤らめ、うつむいてそう告げるマルグリット。
つまりこれは、『ダンスに誘え』と促しているのだ。
「へえー、ダンスかあ……」
「そ、そうですわ……」
星空を見上げ、ヨナは少し寂しそうに呟く。
古代魔法で自分の身体を操ることによって、人並みのことができるようになったヨナ。
だが、今の彼の技術ではダンスを踊ったりするような、そんな器用なことは望めない。
それはラングハイム家での剣術や馬の稽古でもはっきり証明されている。
だから。
「ごめんマリー……僕、ダンスは踊れないんだ……」
ダンスを知らないから。ダンスを踊ったことがないから。そんな単純な理由で断ったのではない。
そのことを、マリーはヨナの様子や声色から理解した。
「そう……でも、いつかきっと、一緒に踊れる日が来ますわ」
「う、うん……」
ほんの少し寂しそうではあるけれど、それ以上にマリーから感じられるのはヨナへの心遣いと思いやり。
それが分かるからこそ、彼女の言葉に頷くことがとてもつらかった。
だって……ヨナが踊れるようになる日は、永遠にやってこないのだから。
そうなる前に、ヨナはこの世界からいなくなるのだから。
「だったらマルグリット嬢、この俺とダンスを踊ってほしい」
「「っ!?」」
暗闇の中から現れた、一人の少年。
父譲りの燃えるような赤い髪と母譲りのヘーゼルの瞳を持つ、ヨナの弟のジークだった。
「あなた……」
「お願いだマルグリット嬢。どうかこの俺を君に知ってもらう機会を与えてほしい」
マルグリットの前に跪き、左手を胸に当て右手を差し出すジーク。
どこか芝居めいているがその瞳は真剣そのものであり、少なくともヨナは弟のこんな真面目な姿を見たことがない。
いつも才能にかまけ、ジークは何事にもあまり真面目に取り組んだことがない。
そんな彼が、自分の大切な女性に向ける真剣なまなざし。
余命一年の出来損ないに過ぎない自分なんかより、欲しいものを全て持っているジークを選ぶのではないか。
ヨナはまた奪われてしまうのではないかと、胸襟をぎゅ、と握りしめた。
一方のジークも、ヨナの考えているとおりマルグリットを奪うつもりでここにいる。
皇室主催のパーティーで彼女を一目見てから、心を奪われたジーク。
縁談こそ断られてしまったが、彼女の想い人がヨナだというのなら大したことはない。
何せラングハイム家では、全てにおいて自分よりも数段劣る出来損ないなのだから。
初対面ではお互いのことをよく知らなかったからこそ、マルグリットは勘違いしてヨナを選んでしまっただけ。
そう……万に一つも、ヨナに負ける要素はない。ジークは本気でそう思っていた。
だが。
「ご冗談を。どうしてこのわたくしが、あなたごときとダンスを踊らなければいけないのかしら」
「っ!?」
マルグリットが示したのは、明確な拒絶。
その表情はどこか嘲笑すら窺え、真紅の瞳は侮蔑の色を湛えている。
「だ、だが、俺はラングハイム家の正統な後継者で、出来損ないの兄上とは違う……」
「ええ、違いますわね。誇れるものが家柄しかなく、人を貶すことでしか自分を優位に見せることができない矮小なあなたと、いつだって真っ直ぐで誰よりも優しいわたくしのヨナとは」
おかしい。間違っている。
誰もが兄のことを出来損ないと蔑み、父も母も、使用人達も、皆が自分のことを優れた人間だと褒め称えてきた。
だというのに、目の前の少女はそんな自分を蔑み、出来損ないの兄を褒め称えている。
その事実にジークは怒りと困惑が入り混じり、とても十歳の少年とは思えないほど醜悪な表情を見せた。
「まあ、あなたの父君がヨナのことを『自分の息子ではない』と否定したわ。ならあなたは、ここにいるヨナを一体誰と比べているのかしら?」
マルグリットは見下すような視線を向け、くすくすと嗤う。
これ以上縋っても状況が好転することはないと感じ、ジークは立ち上がると。
「……調子に乗るなよ、兄上。そしてマルグリット嬢、俺を選ばなかったことを後悔させてやる」
出来損ないの分際で、何ができるというのか。
たかが侯爵家のくせに、五大公爵家に敵うとでも思っているのか。
二人とも絶対に地面に這いつくばらせ、今日のことを一生後悔させてやる。
ジークは吐き捨てるようにそう告げると、踵を返してその場を後にした。
「フフ、愚か者のせいで興がそがれてしまいましたわ」
「あ……マ、マリー……って!?」
「ヨナも馬鹿ですわね。このわたくしがあのような自意識過剰の残念な男に、なびくわけがありませんわよ?」
おずおずと声をかけたヨナの顔を両手で挟み、マルグリットは悪戯っぽく微笑む。
マルグリットは理解していた。きっとヨナのことだからあの男に対して劣等感を抱き、自分が奪われてしまうのではないかと考えていることを。
「そういうことですから、そろそろ中に入りましょう。いつまでもここにいては、風邪を引いてしまいますわ」
「わっ!?」
おどけるマルグリットに強引に手を引かれ、よろめくヨナ。
でも、笑顔の彼女を見て、どうしても口元が緩んでしまう。
「……わたくしの隣にいていいのは、あなただけですのよ」
「え? マ、マリー……?」
「何でもありませんわ! さあ、行きますわよ!」
「わわわわわ!?」
何と言ったのかは聞こえなかったが、大切な女性はジークではなく自分の傍にいる。いてくれる。
ヨナはマルグリットの小さな手を握りしめ、この上ない喜びを噛みしめた。
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