子を愛する父、子を愛さない父
「ふう……マルグリットは一体どこへ行ったのだ」
祝賀会の会場であるホールの中を見回し、深く息を吐くハーゲンベルク侯爵。
これからヨナに逢えるかもしれないという緊張で花を摘みに行くと言って席を外してから、既に三十分。さすがに皇宮内で誘拐されるというようなことはないとは思うが、それでも、不安であることには変わりない。
一人娘のマルグリットは、今は亡き妻からも託された大切な宝物。
何が何でも、守り抜かなければならない。
「……もう、あれから十年になるか」
元々身体の弱かったマルグリットの母は、彼女を産んでからさらに体調を崩すようになり、十年前の冬に眠るように息を引き取った。
悲しみに暮れたハーゲンベルク侯爵だったが、それを救ってくれたのは愛娘の屈託のない笑顔。
この時、彼は誓ったのだ。
どんなことがあっても、何があってもマルグリットだけは守り抜き、必ず幸せにしてみせるのだと。
本来の運命では、蝗害により没落してしまうハーゲンベルク侯爵。
マルグリットもハーゲンベルク侯爵の反対を振り切り、ラングハイム公爵家に身売りする。
そして……ハーゲンベルク侯爵は、娘にそのようなことを強いてしまったことを悔やみ、その命を絶ってしまう。
ヨナとの出逢いによってそんな最低の運命が永遠に訪れることはない今、マルグリットには幸せな未来が約束されている。
そのことを知らないハーゲンベルク侯爵は給仕から水の入ったグラスを受け取り、一気に飲み干して乾いた喉を潤すと、引き続き必死になって愛娘を探す。
その時。
「ハーゲンベルク卿。慌てているようですが、どうなされた」
「ラングハイム閣下……」
声をかけてきたのは、以前にマルグリットに縁談を申し込んできたラングハイム公爵。
その一歩後ろには、彼の息子であり後継者であるジークバルトがいた。
「……いえ、特に」
そう言うと、ハーゲンベルク侯爵はその場から立ち去ろうとするが。
「まあ、そうつれないことを言わなくてもいいのではないか? ひょっとすれば、卿とは親戚になるかもしれないのだからな」
「…………………………」
面倒なことにラングハイム公爵に引き留められてしまい、ハーゲンベルク侯爵は露骨に眉根を寄せた。
本音として、彼はラングハイム公爵とは関わり合いになりたくない……いや、正しくは、このような自分とは絶対に相容れない男と交わす言葉など、何一つないのだと思っている。
ハーゲンベルク侯爵がこのような心境になったのには、もちろん理由がある。
英雄クィリンドラがカール皇帝にヨナの名を告げたことで知った、ラングハイム公爵家の長男、ヨナタン=ゲーアハルト=ラングハイムという少年の存在。
あの謁見の間での出来事の後、ハーゲンベルク侯爵はすぐにラングハイム家に調査の手を差し向けた。
やはり五大公爵家の一つラングハイム家だけあって調査は難航したが、それでも、分かったことがある。
ラングハイム家では、ヨナタンという少年は生まれた時からずっと寝たきりであること。
ヨナタンは家族から使用人に至るまで、いつも腫れ物のように扱われていたこと。
何より……家族の誰一人として、彼に愛情を注ぐ者がいなかったこと。
残念ながら少年ヨナタンとの接触は不可能だったが、もしこれがヨナと同一人物であったならばと思うと、ハーゲンベルク侯爵は胸が締めつけられる思いだった。
……いや、ヨナに限らず、病で苦しむ我が子をそのようにぞんざいに扱うなど、彼の矜持が許せない。
だからこそ。
「ご冗談を。先日も申し上げたとおり、我が娘には既に決まった相手がおります。それこそ、あの英雄クィリンドラ様が謁見の間でおっしゃられた、魔王軍幹部をも倒した少年ヨナにも負けない男が」
「っ!?」
ハーゲンベルク侯爵は、ラングハイム公爵を明確に拒絶する。
それに、彼はクィリンドラが告げたヨナという少年が、恩人であり愛娘の想い人だと信じて疑わない。
ハーゲンベルク侯爵もまた、ヨナの奇跡を目の当たりにしているのだから。
「……ハーゲンベルク卿も、かつての英雄の与太話を信じておられるのですな。パトリシア殿下がその少年ヨナとやらをカレリア王国から連れてきたが、クィリンドラ様が言うような人物ではないと聞き及んでいるが」
表情こそ変えないものの、ラングハイム公爵は鋭い視線をハーゲンベルク侯爵に向ける。
わざわざハーゲンベルク侯爵に縁談話を持ちかけてやったというのに、彼はそれを無下に断った。
あの時から、目の前の男を跪かせなければ気が済まない
ラングハイム公爵はずっとそう考えていた。
「そうですか。ですが、少年ヨナがそのような評価だとしても、私は一向に構いません。むしろそのほうがありがたい。私にとっても、マルグリットにとっても。ですが」
ハーゲンベルク侯爵はラングハイム公爵をゆっくりと見据えると。
「ラングハイム閣下は少年ヨナとは無関係であり、興味はない……そう受け止めてよろしいですな?」
「…………………………」
カール皇帝とクィリンドラの謁見の場で言い放たれた、『ヨナ』という名前。
あの日以来ずっと、三か月前にいなくなったヨナのことが脳裏に浮かぶ。
出来損ないの役立たずに過ぎないあのヨナに、そのような大それたことはできない。だから、クィリンドラの言う少年がヨナであるはずがない。そう考え続けていた。
だが、それと同時にその少年こそが、自分とかつて愛したマルテとの間に生まれた……父親として愛情を注ぐことを放棄したヨナなのではないか。その考えもまた、彼の心の中に染みついて離れない。
ラングハイム公爵は返事に窮 する。
ここで答えを間違えた瞬間、全てを失うような……そんな得も言われぬ恐怖に駆られて仕方ないのだ。
そんな彼をじっと見据え、答えを待つハーゲンベルク侯爵。
あの屈託のない笑顔を見せる娘の想い人ヨナと、ラングハイム公爵家の長男であるヨナが同一人物であるかどうかは、どれだけ調査しても証拠をつかむことができなかった。同一人物である可能性は、無きに等しいのかもしれない。
それでもハーゲンベルク侯爵は、ラングハイム公爵の答えを求めた。
これから皇室……パトリシアによってお披露目されるであろうヨナは、『自分の子供とは無関係だ』と、『少年ヨナに興味はない』のだと、その言質が欲しいのだ。
万に一つの障害となる可能性すら摘み取り、マルグリットとヨナが結ばれてほしいがために。
二人の間に、沈黙が続く。
傍にいたジークは割って入ることもできず、ただうつむくばかり。
父ラングハイム公爵は言った。『いずれマルグリット嬢は、お前のものになる』と。
だというのに、ハーゲンベルク侯爵は折れることも、一歩も引き下がる様子もない。
いくら侯爵とはいえ、自分達は五大公爵家の一つ、ラングハイム家だというのに。
勉学に優れ、剣術、馬術において非凡な才能を周囲に見せつけてきたことで、父親から大いに期待され、母親から溺愛されてきたジーク。
彼の周囲には、出来損ないとの評価しかなかったヨナという比較対象と、なんでも言うことを聞く使用人達しかいなかった。
僅か十歳の少年が驕り高ぶり、尊大で傲慢になるには充分な環境だ。
だからこそハーゲンベルク侯爵の父親に対する態度が余計に、ジークの苛立ちを募らせていた。
そして。
「……ハーゲンベルク卿の言うように、私はそのヨナとやらに興味はない。どのような者であろうが、知ったことではない。これで満足ですかな?」
悩んだ末に、ラングハイム公爵が出した答え。
これで……最後に残っていたか細い運命の糸が今、断ち切られた。
「そうですか」
頷き、踵を返してこの場から離れようとするハーゲンベルク侯爵。
自分が求めていた最高の答えだったはずなのに、彼は怒りのあまり拳を強く握りしめる。
当然だ。
ラングハイム公爵は、少年ヨナが自身の息子ヨナタンである可能性に気づいていながら、そんな答えを選んだのだから。
ヨナタン=ゲーアハルト=ラングハイムを、はっきりと切り捨てたのだから。
「む……どこへ行かれる」
「……悪いが、これ以上話すつもりはない」
怒りと侮蔑が込められた、明確な拒絶。
ハーゲンベルク侯爵の態度に、物言いに、ジークが怒りに任せて抗議しようとした、その時。
「あ……あれは……っ!?」
「おお……!」
扉が開け放たれ、現れたのは手を繋ぐ小さな少年と少女。
――白の礼装姿のヨナと、今日のために用意した黒と赤のドレスに身を包むマルグリットだった。
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