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第二話 友人との合併と白人たちのクーデター

第二話です。

何やら白人たちが怪しい動きを見せています、、、

1886年、カラカウアはポリネシアのサモアを訪れていた。

カラカウアは欧米列強などに対抗するために、ポリネシア帝国を建設する構想を抱いており、ポリネシア連合形成のために3万ドルの予算を確保し、さらにはサモアを訪れ、国王であるマリエトアと会合。ポリネシア連合成立の合意に至っている。


その後、1888年サモアとの同盟が完了。

当時のサモアはドイツやイギリス、アメリカなどが勢力争いを激化させていたタイミングだったこともあり、まさに渡りに船であった。とは言えアメリカやドイツ、イギリスからの反感を買うのを恐れたハワイとサモアは、どの国でも港の使用を条件に3カ国を宥めることに成功し、植民地になることを阻止している。

ちなみにだが連合ではなく同盟としたのは、まさしく列強の反感を買わないためである。



またカラカウアは、アメリカとの米布互恵条約締結後ごろから急激に体調を気にするようにしていたそうで、重度のアルコール中毒だったのだが、


「俺、健康のために禁酒するぞ!」

と言い放ったと言われており、その後ほとんど飲酒しないようになったらしいのだが、カラカウアの妹にあたるリリウオカラニいわく、


「前よりはあまり飲まなくなったけど、それでもこっそり飲んでいたのよ。」

と言い残しているため、実際のところは分かっていない。


とは言え健康のことは本当に気を使っていたようで、特に当時は神聖な儀式であったフラダンスを健康のために行い、それが欧米人の手によって、間違われた解釈により世界に広まったことは、現在でも有名な逸話となっている。

ちなみにフラダンスには体力向上や基礎代謝向上などのメリットなどがあり、さらにはストレス解消、自律神経のバランスを整える効果があるとされているため、現代でもハワイ発祥のおすすめのダンスとなっている。


また、現代史を詳しく知るものは、これらの健康的行動によりカラカウア国王は歴代の国王の中でもかなり長い在位歴を誇るようになったのは、知っている者も多くいることだろう。

そしてカラカウアが国王に在籍中に起きた一番衝撃的な事件はやはり、白人たちによる、ハワイ王国転覆未遂であろう、、、


1893年1月15日、サーストンらの呼びかけで前日の14日に結成された、自称“公安委員会”を名乗る組織が一般大衆に対し、


「我々は!明日ホノルルライフルズ部隊本部にて市民集会を開く!」

旨の呼びかけを行った。目的は、1852年に作られたハワイ憲法の打破と、新憲法の公布であった。

事実、白人系地主などのプランテーション経営者からは、憲法に書かれている奴隷制禁止条項が目障りだったのである。

これに対し王権派の閣僚は、反逆罪の適用を検討したものの衝突を避けるよう主張するアメリカ系閣僚の声もあり、対抗する集会をイオラニ宮殿で行うことが決定された。目的はこの集会にてカラカウア国王による「新憲法を公布しない」という声明を発表するものとする予定であり、これ以上の混乱を阻止しようという考えであった。


翌日の16日、ホノルルライフルズで開始された集会でサーストンはカラカウア国王を糾弾し、自由の獲得を市民に訴え、この動きに呼応して”丁度(たまたま)“付近を航行していたアメリカ海軍の軍艦ボストンの艦長であったギルバート・ウィルツは


「ホノルルの非常事態に鑑み、アメリカ人の生命および財産の安全確保のため海兵隊の上陸が必要である!」

として、同日午後に将校を含む武装した海兵隊164名がホノルル港へ上陸した。


1月17日、ハワイ王国最高裁判所の判事であったサンフォード・ドールは、新政府樹立の準備のため判事を辞任。

同日午後に、政府庁舎付近にヘンリー・E・クーパー率いるに公安委員会一同が集結、展開していた元カラカウアの私兵集団であるハワイ王国軍と正面から衝突し、戦闘が開始された。

さらに後からは本島各地でアメリカの海兵隊やホノルルライフルズが王国軍と交戦。

国内は地獄絵図と化した。


戦闘はおよそ数日かかったものの、公安委員会とホノルルライフルズ、そしてアメリカの海兵隊は数で勝る王国軍に敗退し、多くは戦死するか捕虜になったが、一部はホノルル湾に停泊していたアメリカ海軍の軍艦ボストンに逃げ込み、逃走に成功している。


そして、アメリカ海軍の海兵が捕虜になったことによりアメリカ政府は激怒。

捕虜並びに負傷者の解放。そして戦死者が出たことへの賠償と謝罪をハワイ王国、カラカウア国王に要求した。

当然ハワイ王国に非は全くなく、賠償や謝罪を行う気はなく、むしろ謝罪と被害者への賠償を要求しようとした。少なからず民間人にも大きな被害や死者を出していたのである。

しかし、当時アメリカとハワイの国力差は絶大であったため、賠償と謝罪をハワイ王国はアメリカに求めなかったのである。ただし賠償金も謝罪もしなかったが、、、

そして、捕虜たちは直ちにハワイ国内の裁判にかけられ、ほとんど全員の有罪が確定。

アメリカへ捕虜は渡されなかったため、アメリカでは反布運動が激化したため、今後のアメリカとハワイとの関係に、大きな亀裂が生じた。

余談だが、裁判にかけられた海兵たちの内、負傷者については当時のハワイの医療では限界があったため、重症者などに限ってはアメリカに移送されたという逸話が残されている。


また、表向きのクーデター要因が憲法の改正であったことにより、憲法改正の動きが活発になったことも関係して、欧米の憲法を真似して、近代憲法作成が検討されるようになった。

とは言え、新憲法を発布しようにも人材を欧米に派遣するのや、作成などの時間が掛かるため、それまでは今までの時代の憲法を使い続けることとなる、、、



もしカラカウアがクーデター時に亡くなっており、王国軍が誕生していなかったなら、白人たちのクーデターが成功し、ハワイ王国は滅亡。アメリカに併合されていただろうと言われているが、現実ではクーデターは阻止されたため、併合は免れている。

ちなみにだが、いくつかのIF小説に、”もしもハワイ王国がアメリカに併合されていたのなら“といった話があるが、その話の中では、必ず国王が退陣させられているため、ハワイではこの手の小説はあまり人気がないので注意しなければならない、、、


そうしてハワイを取り巻く情勢は大きく悪化していくこととなったが、周りの情勢は大きく変わることとなる。

ハバナ湾で、アメリカの軍艦メイン号が突如爆発したのである。

アメリカとスペインの戦争である米西戦争の開戦であった、、、

多くの被害が出ましたが、無事に独立を守ることができました!


次回、ハワイの帝国主義と米西戦争


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