第一話 カラカウア陛下とゆく?、国内改革!?
第一話です。
なんか思いつきで書いているので、ご了承ください、、
1874年2月13日、ハワイ王国で新たな国王が即位した。
ハワイ王国の第7代国王であるカラカウアである。
第5代国王であったロト・カメハメハが1872年、王位継承者を指名することなく急逝した。その後、王位決定権が議会に委ねられ、親米派のルナリロが1873年1月9日に即位したわけなのだがアメリカ人を閣僚に据え、アメリカからの政治的、経済的援助を求める政策を採っていた。
全てはアメリカとの互恵条約締結を目的とし、最終的にはハワイをアメリカに組み込むためだったのだが、互恵条約締結の交渉がなされたものの、ルナリロが結核に罹り、そのまま没したため、王位は再び議会に委ねられることとなった。
そして、選挙によって国王に即位したのがカラカウアであった。
カラカウアは前王の意思を継ぎ、始めはアメリカとの互恵条約締結締結に向けて奔走していた。
が、
「えっと、、、ここはどこでしょうか?」
ある日突然記憶を喪失したのである。
これを受けて、議会や家族は国王を辞退するよう促したが、
「大丈夫!なんとかするから。」
そう言い残し、ハワイの改革およびアメリカとの条約締結に向けて動き出したのである。
これがハワイの運命を変えることをこの当時、まだ誰も気付いてはいなかった、、、
1875年6月3日、カラカウアは米布互恵条約締結を成し遂げた。
この条約によりハワイの全ての生産品は”非課税“でアメリカへの輸出が可能となったものの、第4条として“ハワイのいかなる領土もアメリカ以外の他国に譲渡・貸与せず、特権も与えない”との文言が組み込まれた。
これは、カラカウアが輸出事業によって国内の多額の負債を返済しようと試みたためであったのだが、第4条にある通り、ハワイのアメリカ傾倒へ拍車が掛かることに繋がりかねなかった。
その通り、有効期限を7年と定めていた最初の条約の期限が近づいた1883年、この条約によって米や砂糖の生産業者などアメリカ国内において、合衆国の利益を損失するとして少なからぬ批判が噴出したものの、
上院議員ジョン・モーガンなどの帝国主義的拡張論者らにより、
「その他の、より高次元な利益がある!」
として反対勢力を押さえ込んだ。
その高次元な利益とは、まさしく真珠湾の独占使用であった。
太平洋の、ちょうど中心に存在しているハワイ諸島。そして、真珠湾は自然にできた天然の入り江であり、ここを拠点に太平洋の貿易を独占しようと企んだのである。
そのため真珠湾の独占使用権を獲得することを条件として1887年11月に条約の更新が交渉された。
しかし、
「え?じゃあ条約更新は無しで、」
カラカウアたちは条件をひと蹴りし、条約更新は延期された。
どういう事かと言うと、条約更新の交渉の前年からカラカウアたちは真珠湾を自由港に設定。
そのため太平洋の貿易拠点として各国がこぞって参入。
その結果、真珠湾およびその周辺では商港産業が発展し出しており、これを止めようとはカラカウアは考えなかったのである。
とは言え条約更新が延期されたことにより国内では争論になったわけだが、カラカウアは条約更新よりも自由港による国内発展の方が、今後のために必要と言って国内世論をなんとか丸めることに成功する。しかし白人系プランテーション経営者たちは、儲けが減ったためカラカウアの政策に反発し、水面化で国家転覆を図るようになる。
ちなみにだが、自由港とは港湾の全域あるいは一部を関税制度上は外国とみなし、輸入貨物に関税を課さず、外国貨物および船舶の国外との自由な出入りを認める制度で、保税制度を拡張したものであり、国全体としては関税による保護政策を維持しつつ、中継貿易や加工貿易の促進を図る目的で行なわれることにより、”海運、倉庫、保険“といった商港産業の発展が促されるものであり、当時は少なくなってきている手法であったが、ハワイ王国では海外の参入により産業がより発展したため、現在ではこの政策は成功だったと言われている。
一方でアメリカでは、状況が悪くなっていた。
合衆国の利益を損失するとして少なからぬ批判が出ていたものの、「その他の、より高次元な利益がある。」として反対勢力を納得させていたのに、条約が更新されなくなったことによりモーガンたちは国内世論や議会で散々叩かれ、議員を辞職する者などが出るはめとなった。
結局、アメリカは真珠湾の独占使用を条件の項目から外したことにより、1988年5月になんとか条約は更新された。
また話は少しは条約更新前になるのだが、水面下では1887年に野党議員ロリン・サーストンが中心となって作られた、急進的な改革を志向する秘密結社ハワイアンリーグが設立されるなど、不穏な動きが見られるようになった。
そして事件は起こった。
6月30日、ハワイアンリーグはハワイの白人市民義勇軍ホノルルライフルズと協力し、カラカウアに対して首相であったウォルター・ギブソンの退陣と新憲法の採択を要求した。
しかし、
「軍隊準備しといてよかった〜」
純ハワイ人らによる独自の私兵集団をカラカウアは作っており、白人グループらによる武力衝突が発生した。
これにより、ほとんど正規軍のような私兵集団が寄せ集めの白人武装グループに負けるはずも無く、多くの犠牲者を出したものの、無事に鎮圧された。
カラカウアは自分に忠誠を誓う者たちを集め、貿易で集めた資金をこっそり貯め、多くの近代的兵器を購入、私兵集団を作りあげていたのである。
もちろん、一部の情報は漏れていたものの、ハワイアンリーグなどは、どうせロクな戦力では無いと鷹を括っていたらしく、結果的に鎮圧されたのである。
これを受けてアメリカ政府は、白人たちを迫害しているとハワイ王国を攻め立てたが、カラカウアは強気ででたため、アメリカが介入するといったことはなく、難を逃れている。
また1881年にカラカウア王は、移民問題について学びまた外交関係を改善するためハワイを発っており、サンフランシスコを経て日本、清、シャム、ビルマ、インド、エジプト、イタリア、ベルギー、ドイツ、オーストリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリスを歴訪しており、最終的にはアメリカを経由してハワイに戻っている。
ちなみにカラカウアは、初の外国元首の来日となった日本では明治天皇と会見しており、移民の要請およびカイウラニ王女と山階宮定磨王(後々の東伏見宮依仁親王)の政略結婚を要請したが、政略結婚については日本政府に断られたものの、日本人移民の要請は成功している。
また、ローマ教皇のレオ13世やイギリス女王のヴィクトリア女王とも会っており、カラカウア王の留守のあいだは妹のリリウオカラニが摂政として統治にあたっていた。
そうした中、ハワイを取り囲む情勢はさらに激化することとなる。
ハワイのアメリカ併合が、水面化で進められていたのである、、、
第一話でした。
内容は、ほとんどパッと思いついたものなので、火葬戦記感がめちゃくちゃあるでしょうが、ご了承ください!
次回、禁酒!?
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