落ちた扇
躑躅の生垣に身をひそめ、体を休める。とはいえ、完全に座り込むことはできない。この授業の条件は終了時に立っていること。鐘が鳴り終わる時に立っていなければいけないので、すぐに立てるようにしていないといけない。
「完全には休めませんけど、大分マシですねぇ」
「そうだね」
ミフネ嬢と殿下が小さな声で囁きあう。僕は深く息を吐いて、少し目を瞑る。耳を澄まして、僕達の呼吸音と、風で木が揺れ、葉がすれる音以外しないことを確認する。
「このまま、制限時間まで見つからないと良いんですけど……」
「ミフネ嬢、そういう発言をすると……」
都合のいい仮定の話をすると、多くの場合、都合の良くない展開になる。そう言おうとした瞬間、教職員棟付近からドン、と何かが爆発したような大きな音がした。少し遅れて強い風が起き、木が一斉に揺れてざわざわと音を立てた。
「……こういう、不穏なことが起きる」
「本当に、タイミングよく爆発しましたね……」
クインテット嬢が目を丸くして教職員棟の方を眺める。釣られて其方に目線をやると、細く黒い煙が上がっていることが分かる。
「大詰めでしょうか」
「かもしれませんねぇ。先生方も一斉に集まりそうです」
「残り時間が短いなら、固まって防衛した方が効率的だろうね」
「あ、あの、私達は、どうするのですか?」
冷静に状況を分析している殿下たちと違って、ベルナール伯爵令嬢はこのような事態に慣れていないのか、慌てた様子で僕達に尋ねた。確かに、他の人が集まっているなら合流したい気持ちはわかる。が、しかし。
「既に教師による生徒包囲網が完成しているなら、僕達が行っても合流できずにリタイアするだけでしょう。寧ろ、一か所に教師が集中してくれているなら、此処で見つからずにやり過ごす方がいいです」
此処から教職員棟までは若干距離がある。もしも、この爆発が上級生による集合の合図で、毎年行われているようなことなら、爆発音がした瞬間に生徒も教師も移動を始めているだろう。既に僕達は出遅れていると考えた方がいい。
「兵法では、相手に先んじて陣を張ることが良いとされています」
「既に万全の準備を整えた敵陣に挑むのは敗色濃厚ですからねぇ」
「と、いうことで、私達は隠れようと思う」
クインテット嬢とミフネ嬢が補足説明を入れ、殿下が結果を簡潔に伝える。ベルナール伯爵令嬢は兵法などは全く分からないようで、言われたことに素直に頷いた。一般的な貴族女性で兵法を学ぶ人はいないので、知識のある人に判断を任せるのは自然な流れだろう。
「わ、わかりました」
「ふむ、悪くない判断だ。兵法的にも間違っていない。が、移動中の教師が隠れている生徒を捜す可能性を低く見積もりすぎたな」
令嬢が頷き、視線を教職員棟から生垣の方へ戻したその時、眉間に深い皺が刻まれている、いかにも厳格な雰囲気を纏った年配の教師が立っていた。僕は即座に立ち上がり教師に尋ねた。見つかった以上、座っている方が動きにくいという理由と、僕の方に意識を集中させるためだ。
「っ声が聞こえて……」
「いや、本来通る予定の道なら、声は聞こえていなかっただろうな」
「なら、どうして気付かれたのでしょうか?」
ミフネ嬢が首を傾げる。すると、教師は腰をかがめ、地面から何かを拾った。そして、僕達の前にそれを持って見せる。先程、生垣に隠れるときにミフネ嬢の裾が引っ掛かって落ちた、躑躅の花だ。
「花が一輪だけ落ちていた。先程の爆風が原因かと思ったが、それにしては周りは被害がない」
「それで近付いてみたところ、僕達の会話が聞こえた、という事ですか?」
「その通りだ。さて、話はこれくらいにしておこう」
そう言いながら、教師はローブの中から扇のようなものを取り出した。濃い灰色に近い緑色に、黒い骨で作られている。
「扇、ですねぇ?」
「この状況で出してくる物が普通のものとは思えない。麻痺毒でも仕込んであるんですか?」
僕が話している間に、クインテット嬢が足元にある長さのある棒を掴む。槍に比べると短いが、相手よりはリーチが長い。
「ミフネ嬢、殿下をお願いします」
「確かに、私が適任ですねぇ。任されました」
ミフネ嬢に頼んで、殿下とベルナール伯爵令嬢には下がってもらう。そして、僕とクインテット嬢は生垣から出て、教師の前に立った。
「忠実な側近候補と婚約者候補ですね、セドリック殿下」
「ええ。優秀な候補達がいてくれて幸せです」
僕とクインテット嬢が前に出たのには理由がある。僕達の髪色は緑、この世界の魔法の四代要素、風属性の適性が高いからだ。麻痺毒が粉末ならば風を起こすことで吸い込む可能性が低くなる。
「いざ、参ります!!」
クインテット嬢が扇をはたき落とす為に攻撃を仕掛ける。しかし、教師は見た目のわりに俊敏な動きで躱す。
「クインテット嬢、僕が魔法で援護するので距離を気にせずに!!」
「はい」
いつもより短い武器に、近付くリスクを考えて踏み込めないのだろう。ならば、動き易いように援護しようと声をかけると、途端に素早さを増し棒を教師の手首に向かって振り下ろす。
「ぐっ」
「やった!?」
手首に棒が当たった教師は扇を取り落とし、数歩下がった。風は僕たちから向こうへと吹いている。そして、鐘が鳴り始め、授業の目的達成だとクインテット嬢を振り返った瞬間だった。
「最後まで気は抜かないように」
という言葉が聞こえ、僕はゆっくりと地面に膝をついたのだった。
次回更新は7月16日17時予定です。