割れた窓
これは、避けられない。迫りくる、黒く歪に輝く爪を見て、そう思った。せめて、致命傷を避けなければ、と弓を持っていた手を体の正面で前後させる。
「モミジ、危ないっ!!」
痛みを覚悟して、目を閉じかけたその時。殿下が声を上げながら、此方に向かってバーチの木片を投げつけた。それに一瞬怯んだボガートは、殿下を先に狙おうとしたが、持っているバーチが多かったからか、再び僕の方を見た。
「……殿下、助けていただき、ありがとうございました」
「私も役に立てて良かった、とはいえ、まだ終わってないよ」
「はい」
まだ終わっていない、が、ボガートが殿下を狙うか迷っているうちに、弓を拾い、矢をつがえる時間は出来た。ミフネ嬢とクインテット嬢も、攻撃を仕掛けることができる場所まで近づいてきている。
「そこにお目当てのベルナール嬢がいる割には、大人しくしているようですね」
「彼女にはバーチ以外もありとあらゆる魔除けを持ってもらっているからね」
いつの間にか、バーチ以外も手配していたらしい。どうやって準備したのか、殿下の要領の良さに驚く。ボガートは、自身が狙っている対象のベルナール伯爵令嬢を見つけ、暫くその方向を見ていたものの、大量の魔除けを警戒したのか、中々動こうとはしない。
「っ、追いつき、ましたよ!!」
「障害物を無視して移動できる、と言うのはかなり有利ですね……」
ボガートが少しでも動くと、令嬢がバーチを構えて威嚇する。そんなことを暫く繰り返していると、机を避けながら走ってきたミフネ嬢とクインテット嬢が到着した。そこまで広くはない図書館だが、机や椅子を避けながら移動するとそれなりに時間がかかる。
「取り逃すと厄介ですからねぇ、一気に決めますよ~!!」
「先程は避けられてしまいましたが、次はそうはいきませんよ」
「僕もさっきのお返しをしないといけないな」
ミフネ嬢が紐を回し、クインテット嬢は木槍を構え、僕も矢をしっかりとつがえて狙いを定める。すると、ベルナール伯爵令嬢の隣にいた筈の殿下が、ゆっくりと此方に向かってきた。
「殿下!?」
「私も、何もしないで見ている訳にはいかないからね」
そう言いながら、殿下は持っていたバーチの木を手に持って構えた。援護位はできると思うからね、と殿下は笑った。ボガートは一人増えたくらいではお構いなしなのか、僕に向かって、ぐわ、と近付いてきた。
「こっちを忘れないでくださいよ?」
「そうですね、戦力外と見られるのは心外です」
先程と違い、ボガートが迫ってきても焦る必要はない。後ろからミフネ嬢とクインテット嬢が攻撃準備を完了していることが分かっているからだ。僕がボガートの間合いに入るより先に、ミフネ嬢の投げた木片がボガートの右肩上を通過した。
「避けられた、と、思いました?」
言葉は分からないが、確かに侮ったような笑い声が聞こえた。が、ミフネ嬢は大胆不敵に笑い、持っていた紐を軽く引いた。すると、肩の上を通過してそのまま僕の方に飛んでくるはずだった木片は、紐に引かれたことで軌道を変え、ボガートの肩に巻き付いた。
「霧の時とは違って、今は実体があるみたいですねぇ。クインテットさん」
「はい。それならば、私にお任せください」
肩にしっかりと紐が巻き付いたことを確認して、ミフネ嬢が紐を引いた。力ではミフネ嬢が劣るため、食い止めることは不可能だが、流石のボガートも一瞬体勢を崩した。
「何処を狙いますか?」
「頭で」
その一瞬の隙を逃すクインテット嬢ではない。槍を構えたまま走り寄り、直前でミフネ嬢に指示を仰ぐ。短く返したミフネ嬢に返事はせず、そのまま素早い突きをボガートの後頭部に繰り出した。
「グギャッ」
ごん、という鈍い音と共にボガートが呻く。クインテット嬢が持っているのは木槍なので、突きとはいえ相手を貫通することはなく、刺突と言うよりは打撃攻撃になっている。
「よし、効いてますねぇ。今です、一斉攻撃を仕掛けます!!」
クインテット嬢の一撃により、完全にボガートは動きを止めた。そして、ミフネ嬢は肩に巻き付けた木片の紐を、適当な机の脚に括り付けて言った。どうやら、動きを封じてくれるようだ。僕はこのまま、クインテット嬢の邪魔をしない様に援護射撃をすればいいだろう。殿下と令嬢も余分のバーチを投げつけている。当たる度、ボガートは少しずつ弱っているような気がする。
「モミジさん、足とかその辺り、狙えますか!?」
「難しい事を言わないで貰えます!?」
足払いこそ槍がするべきだろう、とは思うが、現在クインテット嬢は相手の頭や背中に向けて突きを繰り返している。下手に相手の頭を狙って、避けられてしまうとクインテット嬢が危ないので違う場所を狙う事は賛成だが、足は結構難しい。というか、ボガートに膝より下はない。
「大丈夫!!モミジさんならできます!!」
「外れても文句は受け付けないからな!!」
今度は左の肘あたりに巻き付けることに成功したらしい。必死に紐を引っ張りながらミフネ嬢が言う。此処まで言われて、やらない訳にもいかないだろう。一気に弓を引き、放つ。
右腿付近に矢が当たると同時に、クインテット嬢の槍が胸の中心を突く。そして、ボガートはこの世の者とは思えない叫びをあげて、その音により図書館の窓が割れる中、黒い霧になって散ったのだった。
次回更新は8月2日17時予定です。




