部屋の魔術
「魔力消耗を抑えるために、魔法陣は蝋で描かれていた。つまり、机を完全に焦がしてしまえば復元は容易でない」
そういう理由もあって、ヴィヴィア先生は机を完全に焦がしたらしい。よく見ると蝋が溶けだして机全体を覆っている。少し魔力を流したところで、もう魔法陣としては機能しないだろう。
「エルガー。魔法を解除しろ。既に取り返しのつかない部分はあるが、これ以上、罪を重くするな」
ヴィヴィア先生はできる限り落ち着いた声で、相手を刺激しないように告げる。エルガー伯爵子息は俯いて、暫く黙っていた。他の誰も言葉を発することはできず、ただ、様子を伺うことしかできない。
「…………の、程度で」
沈黙の中、エルガー伯爵子息はポツリと呟いた。正確に聞き取ることはできなかったが、ぞわりと背中に寒気が走った。誰かが聞き返したわけでもないが、エルガー伯爵子息は顔を上げて今度ははっきりと告げる。
「この程度で、諦めるとでも思っているのですか?」
魔法陣が一つ壊されただけで諦めるくらいなら、最初からこんなことをしていない。と目が雄弁に語っていた。それほどまでに兄への恨みが深いのか、と若干恐ろしくも思う。
「諦めないといっても、魔導士塔から援軍が来るまで時間の問題……」
「魔導士塔に気付かれることくらい、最初から想定済みです。ヴィヴィア先生がこの空間に入ってくることも、最悪の場合、催眠の魔法陣が解除されることも、全部、考えたうえでの計画です」
「つまり、対策はできていると?」
ミフネ嬢の言葉に、エルガー伯爵子息はにやりと笑った。次の瞬間、ミフネ嬢、ヴィヴィア先生、殿下、フィッシャー辺境伯爵子息の足元に魔法陣が浮かび上がる。催眠魔法ではない。となると、空間魔法か。
「ファラデー、フィッシャー。足元に全力で魔法を撃て!!」
ヴィヴィア先生は自身と殿下の足元に浮かび上がった魔法陣を解除しながら、ミフネ嬢とフィッシャー辺境伯爵子息に指示を出す。ばちん、ばちんと魔法陣が弾け飛ぶような音がする。しかし、流石は先生。全ての魔法陣を消し飛ばしたが、直後、先程より強い輝きを放つ魔法陣がそれぞれの足元に浮かび上がる。
「っまだ、こんな余力が……」
「援軍が来たとこで、空間を突破するまでに時間がかかる。ひとまず、都合の悪い方々には此処で退場して貰います」
ミフネ嬢は咄嗟に足元に向けて水魔法を放つが、魔法陣に変化はない。ヴィヴィア先生に対する魔法は他の三人より強力なものだったのか、既に先生の姿は消えている。不味い、と近くにいるミフネ嬢に手を伸ばす。
「モミジさん!!」
「モミジ!!」
ミフネ嬢と、殿下の叫ぶ声が聞こえた直後、視界が真っ白になる。ミフネ嬢の方へと伸ばした手が空を切った時点で、僕は自分の身を守るために魔法を使う。視界が奪われている間が一番危険だからだ。
「…………どういうつもりですか、グロル・エルガー伯爵子息」
しかし、視界が戻った時、真っ先に僕の目に入ってきたのは、部屋の隅に置いてあった椅子に腰かけ、足を組んだエルガー伯爵子息だった。今からお茶会でもするのか、という寛ぎようである。
「立ったままでは話もできませんからね、まずは其方の椅子にどうぞ」
「……わかりました」
一見した限り、罠ではなさそうだ。僕に攻撃するのなら、先程、視界が効かない間に仕掛けてきたはずだ。話をして確認したい何かがあるというのなら、それに付き合おう。そうすることで相手の真意を探れるかもしれない。
「さて、ようやく一対一で会話することができますね」
「……そうですね」
そう言えば、最初に会った時も他の人と一緒に居たし、選抜メンバーで魔獣を倒しに行った時も、個人行動はしていない。だが、魔獣による襲撃自体が子息の所為なのだから、会話の機会が無かったのは当然なのではなかろうか。
「先に言っておきますが、別に貴方個人に恨みがあるわけではありませんから。この会話中に攻撃を仕掛けたりはしません」
「僕への恨みが無いのなら、早々に皆の所に帰らせていただきたいところですが」
「それはできません」
流石に帰らせてはくれないらしい。僕を囮にしたところで兄や父が危険を冒すことはない、と最初に伝えたと思ったのだが。何か考えがあるのだろうか。あるとしたら是非教えてほしい所である。
「それで、僕を利用して何をする気ですか?言っておきますが、僕から兄に助けを求めたとしても効果は有りませんよ」
「それは理解していますよ。ですので、貴方の言葉には期待していません」
つまり、他の物を利用するという事だ。その瞬間、目に入ったのは焦げた魔法陣。ついで頭をよぎったのは、黒魔術、という言葉だ。黒魔術は相手の髪の毛や、ハンカチ。縁を辿って呪いをかける。
「まさか……」
「そう、貴方は、ここに居てくれればいい」
相手の狙いはつまり、僕を触媒として、黒魔術を掛けること。この部屋全体が、魔法陣、そして、その中央に僕を配置すれば、魔術は完成するという事だ。
次回更新は1月4日17時予定です。




