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捨てられ王子の綺羅星  作者: トウリン
Ⅱ:捨てられ王子と金の馬車
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 謁見の間は、アレッサンドロの記憶にあるものと何一つ変わっていなかった。

 煌びやかな模様が描かれた高い天井。

 壁に並ぶ重々しい甲冑。

 冷たい石の床に真っ直ぐに敷かれた厚い絨毯。

 それを進んだ先に置かれた豪奢な玉座は、数段高い位置にある。


 アレッサンドロがここに足を踏み入れたのは、これで二度目だ。

 一度目は、父を亡くしてすぐのことだった。だから、アレッサンドロが玉座にある父の姿は見たことがない。母からは誇りと威厳に溢れたその様がどれほど素晴らしいかという話を聞かされてはいたけれど、実際に目にしたことはなかった。

 アレッサンドロの記憶の中で、父の姿はおぼろげだ。母と中庭にいると時折声をかけてきて、そっと頭を撫でて、去っていく。月に数度しか顔を合わせることがなかったから、穏やかで優しい人だったということをぼんやりと覚えているくらいだった。

 アレッサンドロを捜していたという兄は、その父とよく似ている――と思う。少なくとも、かつてはそうだった。アレッサンドロの母から教えを受けているところに彼が入っていっても邪険にすることなく、父と同じように静かに微笑みかけてきた。その頃のアレッサンドロは、彼のことを確かに慕っていた。それだけに、その後の仕打ちに裏切られたという思いを強く抱いたのかもしれない。

 その後の仕打ち――アレッサンドロと母の、王宮からの放逐という、辛酸を舐めさせられた時に。


 兄とアレッサンドロとは、母が違う。

 当時はそれに疑問を抱くことがなかったが、王宮を出て市井で過ごすうち、兄弟で母が異なるということが『普通』ではないことを知った。そういうことがあるとしても、通常は、兄の方の母は何かの理由でいなくなっているのだということも――両方の母がいることは、あまり望ましくない状況なのだということも。

 だからなのか、兄の母はとても綺麗な人だったけれども、父が存命の間はアレッサンドロたちに視線を投げかけることすらしなかった。本当にごくたまにすれ違ったりすることがあっても、背筋を真っ直ぐに伸ばし、まるでアレッサンドロたちが存在していないかのように通り過ぎて行った。

 彼女が初めてアレッサンドロを視界に収めたのは、父を送った翌日のことだった。ほとんど夜明けと言ってもいい時間に起こされ、謁見の間に呼び出された。初めて足を踏み入れたその場所で、彼女は悠然と玉座に身を置き、首を垂れる母とアレッサンドロを、顎を高く揚げて見下ろしていた。

 そして、憎々しげな眼差しと声で、アレッサンドロに向けて言い放ったのだ。

 ――お前さえ生まれなければ、まだ赦せたものを、と。


 彼女は他にもたくさん言葉を浴びせてきたけれど、あの頃のアレッサンドロにはほとんど理解できなかった。耳には届いていても、彼女から発せられる憎悪の念の生々しさに呑まれてしまって、頭が受け入れられなかったのだと思う。

 そんな中、ただ一つ、はっきりと理解したことがある。

 それは、母が責めを受けているのは自分のせいなのだということ。

 自分さえこの世に現れなければ、母はこれほどひどい言葉を投げつけられずに済んだということだ。

 全てアレッサンドロのせいだというのに、母は彼を守るように抱き締め降り注ぐ非難の数々をその身に受け止めていた。

 そして、そんなふうにアレッサンドロたちを罵る人の後ろに立っていた兄は、ただ黙って目を伏せているだけだった。何も言わなかったということは、優しい笑顔の裏で同じように思っていたということなのだろう。


(あんなふうに追い出したのに、どうして今更)

 アレッサンドロは、唇を噛み締める。これからどんな話をされようと関係ない。彼はここに留まるつもりなど、微塵もなかった。遥々五日もかけてここまでやってきたのは、ステラがそう望んだからだ。

(そうでなければ、こんなところ、二度と来たくなかった)


 グッと握った拳に力を込めた、その時。

 玉座の脇の扉が重々しく開かれ、そこから一人の男性が姿を現した。


 アレッサンドロとよく似た淡い金髪。

 優しげな面立ちの中の深みのある青い瞳が、アレッサンドロを捉えた瞬間、大きく開かれる。


「アレッサンドロ……」


 名前を呼ばれ、一瞬、時が巻き戻されたような気がした。

「……父上」

 思わずアレッサンドロは呟いたが、すぐにそうではないと胸の内でかぶりを振る。

 違う、この人は父ではない。


 この人は――


「兄上」

 そう、兄のジーノだ。

 ジーノ・ティスヴァーレ。

 父の跡を継いでティスヴァーレ国の王となった人。


 ジーノは玉座が置かれた高台に留まることなく、真っ直ぐにアレッサンドロの前まで下りてくる。

 間近で見れば見るほど、兄は父と似ていた。

 父がそうであったように、背は高い。けれど、線は細い。豪奢な衣装の下の身体は、年の割にがっしりしているレイとそう大差がないように思える。

(兄上は、僕より九つ上だっけ……?)

 それならもう二十歳にはなるはずだというのに、実際の年齢よりもいくつか下に見えた。


「アレッサンドロ」

 また、兄が名を呼んだ。

 それは記憶にあるジーノの声よりも低く、父のものに近い。

 まだ記憶が混乱しているせいか、アレッサンドロは彼の呼びかけに応えることができなかった。

 押し黙ったままのアレッサンドロに、ジーノの顔が曇る。

「やっぱり、私を恨んでいるのだね」

「え……?」

「五年前、君たちを守ることができなかった私のことを、赦せないのだろう?」

 悲しげな兄の微笑みの前で、アレッサンドロは目をしばたたかせた。

「恨む……赦せない……?」

 呟いたアレッサンドロは、自分の中にそれらを探した。


 が。


「別に、もう、そんなふうには思ってない」

 自然と、そんな台詞が口からこぼれ出した。

 確かに、ここで罵られた記憶はある。腹が立った記憶も、恨んだ記憶も。

 だが、果たして、それらの感情が今現在も存在しているかと言われると――否、だ。

「僕は、もうここの人を恨んだりなんてしていない」

 そんな感情は、もうない。

 ここに足を踏み入れ、兄に問われて、初めて気が付いた。ようやく、気が付いた。

 自分にとって、ここは過去だ。

 もうどうでもいい、良くも悪くも関係のない場所なのだ。

 ステラと過ごした温かな日々が、ジーノが言う恨みもつらみも、全て過去のものにしてくれたのだ。

 そして、大事なのは過去ではなく未来で、アレッサンドロは未来に過去を持ち越したくはない。彼の未来にあるものは、ステラだけでいい。

 教会で迎えの馬車に乗ってからアレッサンドロの中に重く圧し掛かっていた何かが、サッと取り払われた気がした。


 晴れやかな気分になったアレッサンドロとは裏腹に、ジーノは表情を曇らせている。

「でも、君は帰ることを拒んでいたと、聞いているよ?」

「だって、来たくなかったから」

「恨んでいないのに、帰ってくるのは嫌なのかい?」

 眉をひそめたジーノの問いかけに、アレッサンドロは深く頷く。

「うん。だって、僕が帰るのはディアスタ村だから」

「ディアスタ、村……?」

「そう。ステラと約束したんだ」

 揺るぎのない眼差しで、アレッサンドロは兄を見上げた。

 確かにステラは言ったのだ。

 アレッサンドロが望むなら帰ってきたらいい、と。

 いつでも彼の帰りを待っている、と。

 こうしている今も、ステラの笑顔を心に浮かべるだけでたった今まで冷えていた指の先まで温もりが染み渡る。

 思い出してしまったら、もう居ても立っても居られない。


「僕、ディアスタ村に帰る。今日、帰れる?」

 その望みが叶うことを微塵も疑わず、目を輝かせてそう訊ねたアレッサンドロから、しかし、ジーノはフイと眼を逸らした。


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