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捨てられ王子の綺羅星  作者: トウリン
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

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決断の時:思い描く未来

 ジーノが執務室で過ごすようになってから、彼がいる間、リナルドは席を外すようになっていた。多分、兄弟水入らずの時間を邪魔しないようにとか、そういう余計な気を遣っているのだろう。一通りの書類を揃えると部屋を出て行き、休憩時間まで姿を見せないのが常だった。

 十余年間におよぶわだかまりがようやく溶けたばかりで、リナルドがいようがいまいがアレッサンドロとジーノの間で会話が弾むことはないのだが、数日前にステラのことを追及されてからというもの、いっそう交わされる言葉は少なくなっている。


 彼女がここを去ることになったなら。


 あれから何度も繰り返された『仮定』がまたふいに頭をよぎり、アレッサンドロは手にしたペンを握り締める。

 ジーノから発せられた問いかけに、彼はまだ答えを見つけられずにいる。あの話をぶり返されるのを恐れて、自然、アレッサンドロの口は重くなりがちだった。


 ステラのことをどうするのか――どうしたいのか。


 最近癖になった重いため息を卓上に落とす。

 それは、目の前に積み上げられた書類のうちのどの案件よりも、アレッサンドロにとっては難しい問題だ。

 どうしたいかは、決まっている。

 十二年前から、変わらない。

 決めなければならないのは、どうすべきか、だ。

 出口の見えない迷路など嫌になるが、きっと、脱出できる時はステラとの別れの時になるのだろう。


(だったら、迷っている方がいい)

 もう一度ため息をこぼしつつ、アレッサンドロは見るともなしに窓の外へと視線を流した。が、そこに見たものに、思わず立ち上がる。


「どうした?」

 庭に目を向けたまま身じろぎ一つできずにいるアレッサンドロに、ジーノが近寄ってきた。彼はアレッサンドロの視線を追い、呟く。

「おや、あれは……」

 二人が目にしているのは、ステラ――だけではない。彼女の隣に男が一人、立っている。この距離からでも、ステラの顔が喜びで輝いているのが見て取れた。今彼女が浮かべている笑顔は、アレッサンドロに向けるものとは違う。彼を前にしたときの、何かを窺うような、笑顔とは。


 あんなふうにステラを笑わせることができるあの男は、いったい何者なのか。


「城の者ではないね。ああ、そう言えば、そろそろ着く頃かもしれないな」

 ジーノはそう言ったが、それでは彼が誰なのか知っているかのようではないか。

 眉根を寄せて兄を見ると、ジーノはその視線に気付いてアレックスに目を向けた。

「ディアスタ村のコラーノ神父からの手紙に、教会から一人訪ねてくる者がいると書かれていたんだよ。きっと彼だね。名前は、確か――」

「レイ……?」

 ジーノの台詞を奪うようにして、アレッサンドロは頭にパッと浮かんだ名を口にした。

「ん? ああ、そうだね。確かそんな名前だったよ」

 頷いたジーノの横で、外の光景を見据えながらアレッサンドロは奥歯を食いしばる。


 レイ。

 その男は、アレッサンドロよりも早くステラに出逢い、アレッサンドロよりも長くステラといた者だ。


 彼と入れ替わることができたならと、何度思ったことか。


 アレッサンドロたちが見守る中で、レイは更にステラに歩み寄り、そして、彼女の肩に手をのせた。その光景を、アレッサンドロは息を詰めて見据える。知らず、両手を硬く握り締めていた。


 レイは、何をしに来たのだろう。

 ただ会いに来ただけか、それとも――


(彼女を、迎えに来た……?)


 もしもそうならば、ステラは何と答えるのだろう。

 レイは、彼女を幸せにするだろう。アレッサンドロのように遠く離れたところからではなく、隣に立って、日々を共に過ごし、些細な事で笑いながら。

 ステラに相応しい、平凡でも温かな幸せを、アレッサンドロには叶えられない幸せを、レイならば彼女に与えられるのだろう。

 もしもステラがレイと共にディアスタ村へ帰ると決めたなら、自分は黙って彼女を送り出すことができるだろうか。


(できるか、じゃなくて、するんだ)

 肩を強張らせたアレッサンドロに、まるでその決意を聞き取ったかのように静かな声が掛けられる。


「どうするんだい?」

 アレッサンドロはチラリとジーノに目を走らせ、また、窓の外に戻した。

「……何を?」

 兄が問うていることは判っていたが、アレッサンドロはそう返した。ジーノはアレッサンドロが判っていることなど承知の上だろうに、外の二人を目で示す。

「あれだよ。黙って見ているだけ? 放っておくのかい?」

「……」

 それ以外に、何ができるというのか。

 むっつりと唇を引き結んだアレッサンドロに、ジーノがやれやれというふうにかぶりを振った。そうしてアレッサンドロに向き直る。


「また彼女を手放してしまっても良いのかい?」

 ジーノの眼差しを感じながらも、アレッサンドロは頑なに窓の外を見つめ続けたまま答えた。

「良いも悪いもない」

 ただ、そうするべきなだけ、するべきことをするだけだ。

「私は、お前がどうしたいかを訊いているんだよ」

 そう言って、ジーノがため息をこぼす。

「アレッサンドロ。お前のおかげで、私の時間はずいぶん増えた。こうやって、お前の傍にいることもできる。だが、それにも限界があるだろう。私は、私がいなくなってからも、お前にたった一人で頑張らせたくない。もう二度と、お前を独りにしたくない」

 ジーノの声には、アレッサンドロのことを案じる真摯な響きがあった。

「兄上」

 思わず呼びかけたアレッサンドロに、ジーノが微笑む。その笑顔には、幼い頃に向けられていたものとまるきり同じ温もりがあった。

「私がいなくなった後でも、お前のそばにいて、お前を支える存在があって欲しいのだよ」

「……リナルドもいます。リナルドがいなくなれば、次の宰相が立つ。俺の周りから人がいなくなることなどないですよ」

「そうではない、そうではないよ。私が何を言いたいのか、お前も解っているだろう?」

 噛んで含めるように言ったジーノから、アレッサンドロは眼を逸らす。そうやって向けた視線の先には、ステラとレイの姿があった。


 ジーノはアレッサンドロと並んでその様を見下ろしながら、問うてくる。

「この先何十年と続いていく時間を、お前は、誰と共に過ごしたい?」

 この先を、誰と。

 そんなの、考えるまでもなく、一瞬で思い浮かぶのはたった一人だ。

 握り込んだ手のひらに、爪が食い込む。

 今、庭にいる二人の間は離れている。ステラの肩にレイの手はなく、彼らは数歩分の距離を置いて、立っていた。

 もう二度と触れるな、と、アレッサンドロは胸の内でレイに命じる。そんな権利など欠片もないというのに。そんなことを望んではならないというのに。


 理性と欲の狭間でグラグラと揺れるアレッサンドロに、ジーノが淡々と、だが執拗に、圧をかけてくる。

「今望まねば、ステラはお前から離れていくよ。彼女には、お前でなくてもいいのかもしれない。彼女が望めば、傍にいる相手を得ることができるだろうな。お前でない、誰かを」

 ジーノの言葉に従い思い浮かべてしまったその未来に、アレッサンドロの胸がギリギリと締め付けられた。と、その痛みを感じ取ったかのように、ジーノが告げる。

「一生に一度くらい、わがままを言ったらいい」

「わが、まま?」

 慣れない言葉をぎこちなく繰り返したアレッサンドロに、兄は深く頷いた。

「ああ。お前にはその権利がある」


 わがまま。

 ステラに傍にいてもらうこと。

 ステラと共に歩く未来を、望むこと。

 ただ彼女がいるというだけで、灰色だったアレッサンドロの世界に色が差す。

 それは、アレッサンドロの幸せだ。アレッサンドロにとっての、幸せだ。


(だが、ステラの幸せではないかもしれない)


 その考えが浮いた気持ちにのしかかり、アレッサンドロの希望を押し潰す。

 そこに追い打ちをかけるように、彼が凝視する中レイが手を伸ばし、ステラの手を取った。

 アレッサンドロはヒュッと息を吸い、詰める。目の前が、憤りで真っ赤に染まった。


 彼女に、触るな。


 今にも窓を開けてそう声を上げそうになるのを、懸命に堪えた。

 だが、そんなアレッサンドロの努力も、ジーノには伝わっていなかったようだ。


「今日明日にでも、ステラは彼と共に行ってしまうかもしれない。それでもいいのか? 彼女が彼のものになってしまっても?」

 静かな声で選択を迫られる。


 脳裏に浮かんだ、レイと共に歩み去っていくステラの背中。

 アレッサンドロを振り返りもせず、小さくなっていく、二人の姿。


 その瞬間、辛うじて保っていた理性が欲に蹴って落とされる。


 嫌だ。

 とうてい許容できない。

 もう二度と、大事な人を――ステラを、失いたくない。


 頭の中で叫ぶと同時に、アレッサンドロは踵を返して走り出していた。


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