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捨てられ王子の綺羅星  作者: トウリン
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

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変換の時:ただ一つの願い

 どうしてこうなったんだ。


 両手を宙に浮かせたアレッサンドロの頭の中には、今、その疑問だけがグルグルと巡っていた。

 廊下にステラが姿を現して、目が合うなり笑った彼女に一瞬呆けた。

 いくつか言葉を交わし、彼女が兄を擁護するようなことを言ったことに激昂した。彼女と兄が庭で過ごしていると聞かされてから苛立ちがくすぶっていたから、いとも簡単に火が点いた。

 だが、そこからどうにか自制心を取り戻すことができたところまでは、覚えている。


 で、その後だ。


(どうして、ステラが俺に抱きついているんだ)

 胸にピタリと押し付けられている彼女の身体は温かくて柔らかくて、その感触は紛れもなく現実だった。都合の良い白昼夢を見ているのでは、ない。

(ああ、くそ)

 いい加減苦しくなって、アレッサンドロは詰めていた息をゆるゆると吐き出した。

 と、いっそう密着度が上がったような錯覚に見舞われる。

 やめてくれ、と、思った。

 せっかくここまで耐えてきたものが、崩れ落ちてしまうから。

 再会してからのおよそ三ヶ月。

 手が届く距離まで近づくことを、できる限り避けてきたのは、アレッサンドロが自分を信じていなかったからだ。

 街で八年ぶりにステラと手をつないだ時、歩いている間中、永遠に店に着かなければいいのにと思っていた。二度と、その手を放したくない、と。

 手をつないだだけでどうしようもなく幸せで、ただそれだけでそんなにも満たされてしまう自分に、我ながら呆れた。

 そして、八年という月日を経ても、いや、八年という月日が隔てていたからこそ否応なしに増しているその執着めいた想いに、アレッサンドロは恐れを抱いた。その恐れが、彼女に触れてはいけないという決意を新たにさせた。


 アレッサンドロはギリギリと奥歯を食いしばり、ステラの頭よりも高い位置で両手を握り込む。

(少なくとも、俺が抱き締めているんじゃない)

 しがみついているのはステラの方。

 自分は、自制できている。

 それだけが救いだった。

 ゆっくりと息を吸い、吐く。そうやって、アレッサンドロは高まった鼓動を落ち着かせようと試みる。

 きっとステラは、幼い頃のアレッサンドロにしていたように、このアレッサンドロを抱き締めているだけだ。彼女の中では、アレッサンドロはまだ幼い子どものままなのだ。彼のことを『男』だとは思っていない。抱きつこうが何をしようが肉親の情めいた無邪気なものに過ぎなくて、きっと、これっぽっちも他意はないのだ。

 アレッサンドロはそう自分に言い聞かせた。が、頭の奥で、彼を嘲笑う声が囁きかける。

(お前の方は、そんな気持ちじゃないけどな)

 ――ステラにとっては姉が弟に抱くような気持ちしかないかもしれないが、アレッサンドロ方にはそんな気持ちは欠片もない。

 今だって、多分ステラが想像すらしていないような想いを抱いて、宙に浮かせたこの手を彼女の背に下ろしてしまいたくてならないというのに。


 自分がそれを実行してしまう前に、何とかステラを離れさせなければ。

 アレッサンドロはそろそろと手を下げ、彼女の肩に置こうとした。そうして、そっと彼女を引き剥がそうと。

 だが、アレッサンドロの手がステラに触れるより先に、彼女が彼の胸に押し付けていた顔を上げた。至近距離からまともに目が合い、アレッサンドロの息が再び止まる。

 ステラはアレッサンドロを抱き締めたまま、真剣な眼差しで見つめてきた。温かな茶色の中にキラキラと瞬く緑の星に、目を奪われる。そこに映る自分は、笑いたくなるほどの間抜け面をしていた。

「ねぇ、アレックス。わたし、ずっとアレックスに訊きたいことがあったの」

「訊きたい、こと?」

 アレッサンドロは、彼女の言葉を馬鹿の一つ覚えのように繰り返した。いや、実際、彼の頭は呆けていて、まともに働いていない。自分が彼女に問い返したということすら、解かっていなかった。

「そう」

 有り得ない。

 コクリと頷くステラは、四つも年上だというのに、どうしようもなく可愛い。ステラはもう立派な大人の女性で、大人の女性がこんなに可愛いだなど、絶対に有り得ない。愛おしさで胸が痛くて死にそうだ。

 八年前も、彼女は可愛かった。それは、変わらない。

 今と昔で大きく違うことは、アレッサンドロにしたいと思うことを為せてしまう力があることだ。

 これは、非常に、まずい。


 そんなことをグラグラと考えていたから、投げかけられたステラの問いかけに、応じ損ねる。

「――って、何?」

「……え?」

 眉根を寄せたアレッサンドロに、ステラは軽く首をかしげて再び問うてくる。

「だからね、アレックスの幸せって、何?」

「しあわせ?」

「そう。どうしたら笑ってくれる?」

 アレッサンドロに回されたステラの腕に、ギュゥと力が籠もった。

 やめてくれ、と、彼は切実に思う。

 そんなふうにされたら、辛うじてつなぎとめている理性がどこかに吹き飛んでしまうではないか。

 押し付けられるステラの柔らかさでアレッサンドロの思考回路は完全に停止し、彼女の質問に答えようにも答えられなかった。

 だが、アレッサンドロの声にならない悲鳴はもちろんステラに届くことはなく、彼女は真剣な眼差しで言葉を継ぐ。

「わたしは、アレックスに幸せであって欲しい。でも、わたしにとっての幸せと、アレックスにとっての幸せは違うかもしれないでしょう? だから、わたしが思うアレックスの幸せじゃなくて、アレックスが思うアレックスの幸せを知りたいの」


 アレッサンドロが望む、アレッサンドロの幸せ。


 それは――


(あなたの傍にいることだ)


 あなたが笑ってくれたなら、俺も笑っていられる。

 あなたの笑顔をすぐ傍で見ていることができるなら、他には何も要らない。


 茫洋とした頭で、危うくアレッサンドロはそう答えそうになった。が、寸でのところで正気に返る。

 彼は奥歯を食いしばり、今度こそ、そっとステラを引き剥がす。彼女の細い肩に置いた手を未練たらたら下ろし、身体の脇で硬く握り込んだ。これからステラが何を言おうとも、二度と彼女に触れてしまうことがないようにと。

「俺が望んでいることは、国を豊かにすることだ。この国に住む者が豊かで穏やかな日々を送れることが、俺の幸せだ」

 それもまた、紛れもない真実。

 ティスヴァーレにステラが住む限り、アレッサンドロはこの国を全身全霊をかけて守っていくのだから。


「でも、アレックス――」

「俺の望みは、それだけだ」

 ステラの台詞を遮って、アレッサンドロはきっぱりと断言した。

「本当に?」

「ああ」

 答えたアレッサンドロに、ステラは両手を胸の前で握り合わせる。

「じゃあ、わたしに何かできることはない? わたしにして欲しいことは?」

 アレッサンドロが望むのは、ステラが笑っていてくれることだけだった。

 だから、彼女が一番幸せな笑顔を浮かべていられる場所に、あの穏やかなディアスタ村の教会に、もう帰ったらいい――そう告げるべきだ。

 アレッサンドロにはそれが判っているのに、何故か、その台詞を声にすることができなかった。

 彼にとって、ディアスタ村での日々は生涯の宝物で、その要となっているのは、ステラの存在だ。彼女がいなければ、きっと、今のアレッサンドロは存在しない。恐らく、生存すらしていない。


 ステラには、あの頃のままの彼女でいて欲しかった。

 ここに留めて、あの温かさを失わせてはならなかった。


(あなたが、大切なんだ)


 アレッサンドロは、喉から溢れそうになるその台詞を呑み込んだ。

 声に出してしまっては、彼女を縛り付けてしまう――それが、判りきっていたから。


(俺は、あなたが幸せなら、それでいいんだ)

 もどかしげな面持ちで自分を見上げてくる彼女を見つめ返しながら、アレッサンドロは胸の中でそう囁いた。


 その囁きに混ざる微かな懐疑の声は、無視した。

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