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捨てられ王子の綺羅星  作者: トウリン
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

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33/48

変換の時:古い傷

「貴女が望むだけ、いつまででも」

 そんな言葉を残してジーノが去って行ってからも、ステラはしばらくそこに佇んでいた。


(わたしがここに呼ばれた本当の理由って、何なのだろう)

 初めの日、ジーノはアレッサンドロを助けたことへの恩返しのためだと言っていた。

 確かに、ステラは、ここで大事な客として扱ってもらえているし、彼女が帰りたいと言えばいつでも馬車を出してくれるという。ここに残るもここから去るも、ステラ次第だと。

(でも、時々、ここにいて欲しいって思われてる気がする)

 ステラはしおれた花がらを突きながら胸の内で呟いた。

 選択肢は与えられていても、言葉の節々から、ジーノが望んでいる答えは決まっているように感じられる。


「だけど、どうして……?」

 ステラは、ここで何の役にも立っていないというのに。自分が居る必要があるとは思えない。


 考えても、ほとんど知らない人でしかないジーノの考えなど解かる訳もなく。


 ため息を一つこぼし、ステラは歩き出した。そろそろ昼食だから、戻らないとカロリーナが探しに来てしまう。彼女はステラ専属で、何でも言いつけて欲しいと言われているけれど、できるだけ余計な手間を掛けさせたくない。


 城の中への出入り口に向かいながら、ステラはジーノとの遣り取りを思い返していた。

 自分がしたいと思っていることと、すべきだと思っていること。

 その区別をつけることは、ステラには難しい――少なくとも、今まではそうだった。


(わたしにとって『したいと思うこと』とは、何だろう)

 『すべきこと』なら簡単だ。

 子どもたちの世話をすること。あの子たちの世話をし、慈しみ、教会にいる間だけでも、幸せだと感じさせること。

 コラーノ神父を手伝うこと。神父が子どもの世話に追われて、本来の教会の役割が損なわれてしまうことがないようにすること。

 神父から頼まれたわけでも押し付けられたわけでもない。けれど、ステラは、そうすべきだ、そうしなければと、思っていた。

 子どもたちが幸せそうに笑ってくれていたら満足だったし、神父に感謝されれば嬉しかった。

(嬉しかったのだから、それはわたしが『したかったこと』、だよね……?)

 自問したが、どうしてか、すぐにそれに頷けなかった。

 教会に居続けることで自分が求めていたものが神父や子どもたちの幸福だったのか、彼らからの感謝の言葉だったのか。

 あるいは、彼らに尽くすこと、感謝されることで、教会での自分の足場を固めようとはしていなかったか。

 ――そんな打算的な思いが欠片もなかったと断言することが、今のステラにはできなかった。


 城内への扉に辿り着いたステラは、物思いにふけりながら取っ手に手をかけ、引き開ける。中に足を踏み入れ、ふと気配を感じて顔を上げた。そして、廊下の向こうに佇む人を見つける。


(あ……)

 その人の姿を目にすると、それだけで、ステラはふわりと心が軽くなる感じがする。


「アレックス」

 彼の名前が口からこぼれ、たとえ返されるのが仏頂面だけだとしても、ステラの顔には自ずと笑みが浮かんだ。


「どうしたの? こんな時間にお仕事部屋にいないの、珍しいね」

 タタッと小走りでアレッサンドロの元に向かい、見上げて問うた。が、彼は、いつにも増して、渋い顔をしている。

「アレックス?」

 怒っているわけではないようだけれどもと、ステラは小首をかしげる。アレッサンドロはギュッと眉間に皺をよせてから、窓の外に広がる庭へと眼を走らせた。

「庭にいたのか」

「うん」

 頷くと、彼の眉間の皺がいっそう深くなる。歯を食いしばっているようにも見えるけれども、どこか痛い所でもあるのだろうか。

「アレックス、大丈夫?」

 重ねて尋ねると、少しばかり顎の力は抜けたように見えた。

 アレッサンドロはゆるゆると息を吐き、握っていた拳を開く。


「兄上といたのか」

 問うというより確認するような口調でのその台詞に、どうして知っているのだろうと内心首をかしげながらもステラは頷く。

「うん。良くわかったね」

「さっき、あの人とすれ違った」

「あ、そうなんだ。えっと……何か、お話した?」

「――……いや」

 少しばかり不自然な間を置いてからのボソリと短い返事に、ステラは、嘘をついているなと思った。

 ふと、アレッサンドロに幸せになって欲しいと言った時のジーノの、それに、自分たちのことを信じていないと言った時のリナルドの顔が、ステラの脳裏に浮かぶ。

 その言葉の裏には、もっと彼らに歩み寄って欲しいと願う気持ちがあるのは、明らかだ。


「ジーノさま、もっとアレックスとお話したいんじゃないのかな」

「……」

「何となくなんだけど、アレックスのこと、心配してるんじゃないのかな、とか、思うんだ」

 何を、とは言えない。

 けれど、彼らがアレッサンドロのことを案じていることは確かだ。多分、仕事のし過ぎとか、そういうことを。


 アレッサンドロは微かに目を細めてステラを見下ろしていたけれど、ふい、と眼を逸らした。

「俺がいなければ、この国が困るからだろ」

 吐き捨てるようなその台詞に、ステラは目を丸くする。

「そんなことないよ、本当に心配してると思うよ? ほら、働き過ぎだなぁ、とか?」

 今度は否定の言葉を返してくることはなかったけれど、その眼は彼女に同意することを拒否していた。


「アレックス……あの、ね、ジーノさまやリナルドさまと、昔のことをお話したこと、ある?」

 刹那、アレッサンドロの肩が強張った。

「必要ない」

 にべもない答えに、ステラは眉を下げる。

「でも――」

「ここの人間は笑いながら人を裏切るんだ!」

 ジーノたちを庇おうとしたステラの言葉を、アレッサンドロの声が断ち切った。その荒々しさに、彼女は思わず息を呑む。

 怯んだステラに気付いてアレッサンドロは何かを言いかけ、結局何も言えずに唇を引き結んだ。


「……ステラのこともそうやって抱き込んで、いいように扱おうとしてるんだ」

「アレックス……」

 ジーノともリナルドとも、ステラは数えるほどしか話していない。八年間一緒にいたアレッサンドロの方が、彼らのことを良く知っているのかもしれない。

 それでも、ステラは、アレッサンドロのその言葉に頷くことはできなかった。

 アレッサンドロの胸に手を伸ばし、そっと触れて、彼の目を覗き込む。


「そんなことないよ、そんなふうに考えるのは良くないよ」

 アレッサンドロは自分の胸に置かれたステラの手を見つめ、次いで、彼女の目を見た。しばらくそうしていてから、視線を逸らす。身体の両脇に下ろされた彼の拳は、今や、筋が浮かぶほど硬く握り締められていた。


「俺は、あの時、兄上を信じていたんだ。俺が助けて欲しいと思ったのは、あの時だけだった。毎日俺たちに笑いかけていたくせに、あの時は簡単に見捨てたんだ」

 今度は、低い声だった。けれど、熾火のようにくすぶる怒りは伝わってくる。

 彼が言う『あの時』がいつのことなのか、はっきりと言われずともステラには判った。


 瞳を揺らしたステラに、アレッサンドロが唇を引き結ぶ。

「とにかく、ここの奴らのことは簡単に信じるな」

 苦々しい声でのその言葉に、ステラの胸は何かが詰まったような苦しさに襲われた。


「アレックス……」

 信じていた人に、裏切られる。

 ステラはそんな事態に陥ったことがないし、想像すらしたことがない。だから、安易にアレッサンドロの怒りと失望を否定することは、できない――してはいけない。

 多分、アレッサンドロの中の傷はまだ閉じていないのだ。

 彼を苦しめていたのは、母を不幸な形で喪ってしまったことだと思っていた。幼い頃、いつしか屈託なく笑顔を見せてくれるようになっていたから、それはもう癒えたのだろうと、思っていた。


 けれど。


(そうじゃなかった)

 それだけでは、なかった。

 十年以上が経った今でもアレッサンドロの中に刺さったままの棘を想い、ステラの胸がツキツキと痛む。


 ステラはもう一歩アレッサンドロに寄り、触れていた手を彼の背に滑らせる。精一杯腕を伸ばしても、もう、大きな身体を包み込むことはできない。

 アレッサンドロがビクリと震え、後ずさりそうになるのを、ステラは腕に力を込めて引き留めた。

 ピタリと頬を押し付けた胸は硬く厚い。力強い鼓動は、怒りの為か、とても速かった。


「ステラ……」

 低い声が彼女の名を呼ぶ。

 八年前とは、声も違う、姿も違う。

 何もかも違うのに、あの頃と同じように愛おしく思うのは何故なのだろう。愛おしくて、守ってあげたくて、幸せにしたいと思うのは。

 自分よりも遥かに大きくなってしまった彼を抱き締め、かつてのように包み込むことができたらいいのにと、ステラは心の底から思った。


 そして、気付く。


 教会の子どもたちの子らのことは、皆愛しいと思う。幸せになって欲しいと思う。

 けれど、アレッサンドロは違う。

 彼のことは、この手で、幸せにしたいのだ。他の子どもたちのように、ただ幸せになってくれたらいいとは、思えない。


(わたしが、アレックスを幸せにしたい)


 他の誰でもなく、ステラが、彼女自身の手で。

 他の誰にも、譲りたくはない。


 それが、ステラの中に生まれた、いや、恐らくもうずっと前から彼女の奥深くに根差していた望みだった。


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