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捨てられ王子の綺羅星  作者: トウリン
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

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28/48

四阿で:穏やかな時間

 それは、祝賀会から三日後のことだった。


「午前の間に処理しなければならない書類は以上です。この後は東の四阿へお出でになってください」


 正午を少しばかり過ぎた執務室で、署名が済んだ書類を揃えたリナルドがサラリと付け足した台詞に、アレッサンドロは眉根を寄せた。


「四阿?」

「はい」

 リナルドはいつもと何ら変わらぬ風情で頷いたが、彼が執務室と謁見の間――つまり公務を行う場以外に赴くように言ったことなど、今まで一度もないのだ。他国の要人をもてなすときに庭に出ることはあるが、今はその予定もない。


「どうしてだ?」

「いらっしゃればお判りになりますよ」

「……」

 シレッと答えたリナルドを、アレッサンドロは睨んだ。が、老狸はものともしない。

 こういう時は、何を言っても無駄なのだ。


「――午後の予定は?」

「お迎えに上がりますからそれまではゆっくりとなさっていてください」

 リナルドはそう言ったが、いったい、庭で何をしろというのか。

 目を細め、胡乱げな眼差しを向けても、彼は平然と見返してくる。


(この髭狸)

 アレッサンドロはこれ見よがしなため息とともに立ち上がる。渋面のまま執務室を出て、庭へ向かった。


 秋が深まりつつある中、ここ数日でずいぶんと涼しくなった。庭木の青さも盛夏の頃よりだいぶ褪せてきていて、薄っすらと黄に染まりつつあるものもある。花が落ち、実が付き始めた樹もあった。

 庭を歩くのも、随分久しぶりな気がする。ステラが来てからというもの、彼女とばったり会ってしまうことを避けたくて、あまり出ないようになっていたのだ。

 ――庭で過ごすステラの姿は、執務室の窓から毎日のように眺めてはいたが。


 いつもよりも歩調を緩めてリナルドに言われた場所を目指していたアレッサンドロだったが、やがて視界に飛び込んできたものにその足を止める。


 砂糖菓子めいた白い四阿の中、彼に背を向けて立つ、フワフワと柔らかそうな栗色の髪をした女性の姿。


 一瞬、踵を返して来た道を戻ってしまおうかと思った。

 だが、アレッサンドロが結論を出すより先に、嬉しげな声で名前を呼ばれてしまう。


「アレックス」

「……ステラ」

 顔を輝かせてアレッサンドロに駆け寄ってきたステラは、彼の手を取った。

「お仕事、お疲れさま。リナルドさまには時間があったらってお願いしたのだけど、大丈夫だったかな?」

 そう言いながら、四阿へと歩き出す。

 アレッサンドロの手を握るステラの力は、ふわりと包み込む程度のものだ。振り払おうと思えば、簡単にできる。

 だが、彼にはそれができなかった。

 まるで八年前に戻ったかのように、彼女に手を引かれていく。


 ステラは、これからここで何があるのかをアレッサンドロが知っているような口振りだが、勿論彼は知らない。導かれるまま四阿に足を踏み入れ、そこに用意されたものに眉をひそめた。


 備え付けの卓の上には、菓子と紅茶。

 菓子は、城の料理人が作る凝った見てくれのものではない。

 一見、質素なただの焼き菓子。それが、大きな皿に山盛りになっている。


「どうぞ、座って? お茶淹れるね」

 アレッサンドロは菓子を凝視しながら、設えられた長椅子に腰を下ろした。

「これは?」

 卓上を困惑の面持ちで見つめて訊ねたアレッサンドロに茶が入ったカップを差し出して、ステラが満面の笑みで答える。

「アレックス、これが好きだったでしょう? これの中はね、栗だよ。こっちは林檎。これはクリーム。アレックスが一番好きだったのは林檎だったよね?」

 ステラは菓子を指差しながら、そう言った。良く見ると、彼女が言った栗、林檎、クリームごとに、微妙に形が違う。

 それは、薄い生地を幾層にも重ねて焼き上げられた、教会で子どもたちの誕生日にステラが作ってくれていた特別なご馳走だった。サクサクの生地の中に、彼女は子どもたちが望む具を入れてくれる。


 確かに、アレッサンドロはその菓子が好きだった。

 だが、それが特別だったわけではない。

 ステラが彼の為だけに作ってくれるものだから、特別だったのだ。

 アレッサンドロにとって、ステラが彼に与えてくれるもの全てがかけがえのない宝物だった。

 菓子やものだけでなく、掛けてくれる言葉、向けてくれる笑顔、些細な思い出――何もかも。


 アレッサンドロは菓子に手を伸ばし、一口齧る。

 サクリ、と、心地良い音がした。記憶通りのサクサクの食感。中からトロリと溢れ出す、煮詰めた林檎の甘さ。

「美味い」

 思わず呟くと、大輪の花が綻ぶようにステラが笑った。

「良かった! 好みが変わってたらどうしようって思ってたんだけど」

 その笑顔に、アレッサンドロの咀嚼が止まる。


「……どうして、これを?」

 苦労して口の中の物を呑み下して問うたアレッサンドロに、ステラは軽く頭を傾けた。

「アレックスのお誕生日をお祝いしたいなって思って。この間は、忙しそうだったから……」

 この間とは、祝賀会のことか。

 刹那アレッサンドロの脳裏によみがえったのは、ジーノと共にあの場を去ろうとしていたステラの背中だ。


(あの日も、ステラはここに来ていたのか?)

 ――兄と、一緒に。


 この四阿に並んで座る二人の姿を思い浮かべて固まっていたアレッサンドロだったが、ステラの声でその不愉快な想像から抜け出す。

「あの時おめでとうって言えたら良かったのだけど、ほら、たくさん人がいたから、傍に行けなくて」

 今度の彼女の微笑みには、翳りがあった。


(何万人いようとも、ステラ一人には敵わないのに)

 アレッサンドロは、また一つ、菓子を口に運ぶ。


 あの祝賀会は、アレッサンドロの誕生を祝うものではなく、単なる政治上の催しに過ぎない。どれだけ多くの口から祝いの言葉を投げかけられても、そこには何の意味もなかった。

 どれだけ豪勢な料理が供されようとも、どれだけ巧みな音楽が奏でられようとも、ディアスタ村でステラがアレッサンドロの為に作ってくれたこの菓子や、彼女が額にくれた祝福の口づけ以上の喜びは決して得られない。


 アレッサンドロの十八年間の中で、曇りなく幸せだったと言えるのは、ステラと共に過ごしたあの四年の月日だけだった。


 幼い頃この城から追放され、あの時、生まれてからの五年間は欺瞞で作り上げられたものであったのだと理解した。

 そしてその後の一年間で、世界は優しいものではないことを思い知った。

 人々は寄る辺の無いアレッサンドロ親子を冷遇し、容赦なく彼らから搾取した。見る見る痩せ細っていく母に、自分は何の役にも立たない無価値な存在だという現実を突き付けられ、アレッサンドロは無力感に苛まれた。

 母を喪った時は、もう、自分には生きていく理由も目的もなくなってしまったのだと、絶望の淵に突き落とされた。

 それらを覆してくれたのが、ステラだったのだ。

 子どもたちを養わねばならない教会での日々は、物質的には豊かとは程遠かったが、ステラの優しさと温かさは、その貧しさを補ってなお余りあるものだった。


 ステラと離れなければならなくなったとき、それで彼女の笑顔が守れるのならば、と、アレッサンドロは思った。彼女はいつでも笑っていたけれど、当時、教会の懐具合は日に日に悪くなっていっていることに、彼は気が付いていた。

 自分が傍にいてステラの重荷が増すのを指をくわえて見ているよりも、離れていても、彼女の労苦を軽くできる方が良い――そう、思った。

 だからステラの手を放し、国を豊かにすることが彼女の幸せにつながるのだと信じ、アレッサンドロは国政に没頭した。


(あの選択は、正しかった)

 今、ステラは、城での日々で見聞きしたことを楽しげに話している。頬はふっくらとしていて、栗色の髪には艶がある。

(息を引き取る間際のやつれた母とは、全く違う)

 ステラをあんなふうにさせない為ならどんなことでもできると、アレッサンドロは思う。彼女が健やかに、幸福に生きていける世界を作り上げることが己の為すべきことだと、八年前から彼は確信していた。


(俺は、報われている)

 あの時、ステラと離れると決めたことには身を引き裂かれるような痛みを伴っていたが、今の彼女を目の前にしていれば、その甲斐はあったと思える。


 アレッサンドロは目を閉じ、城での生活で見聞きしたことを語るステラの声に耳を澄ませる。彼にとっては灰色しかないここでの日々も、彼女の目には色彩溢れる温かなものに映るらしい。

 ステラは、いつだってそうだった。

 決して楽ではなかった生活の中でも、常に、笑顔を絶やさなかった。

 教会での四年間、彼女の傍で喜びが溢れた小鳥のさえずりのような声を聴いていると、アレッサンドロは、ただそれだけで、何ものにも代えがたい幸せに満たされていたものだった。


(あの頃に戻ったみたいだ)

 穏やかで、心地良いひと時。


(ずっと、このままでいられたら)


 それは、叶わぬ望みだ。

 そんなことは、解かっている。

 ――だが、願わずにはいられない。


 彼女の声を子守歌にして、アレッサンドロはいつしか眠りの淵に沈み込んでいった。


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