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捨てられ王子の綺羅星  作者: トウリン
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

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八年ぶりの逢瀬:溢れる想い

 華奢な背中が、目の前にある。

 ふわふわとした栗色の髪の柔らかさを、アレッサンドロは八年間ひと時たりとも忘れたことがなかった。

 彼は食い入るようにその背を見つめ、グッと息を詰める。

 ひと目だけでも、溢れる恋慕でもうこんなに胸が苦しくなっている。見えているのは後ろ姿だけだというのに。


「……アレックス……?」

 心許なげにつぶやかれた自分の名前。

 それを耳にした瞬間、アレッサンドロの心臓はドクリと激しく脈打った。

 彼女の声は、記憶に残っているものよりも遥かに甘やかだった。頭の芯を掴んで揺さぶられたかのように、その一声だけで、くらくらする。

 二度と彼女に逢うことはないと思っていた。

 遠く離れているとしても、彼女が幸せであることが判っていれば、それで良いと思っていた。

 だから、ついさっき、リナルドから彼女が王都に来たと告げられ、執務机から立ち上がった時も、言葉を交わすつもりは欠片もなかったのだ。

 ほんの少しだけ彼女の姿を目にして、それだけでやめておこう、と。


 そのはずだったのに。


『アレックス』


 愛おしい声で懐かしい呼び名を聞いてしまった瞬間、アレッサンドロは一歩を踏み出していた。それまでは注意深く足音を殺していたのに、そんなことはすっかり頭の中から消え去って、気付けば足が勝手に動いていた。

 と、ふわりと栗色の髪が揺れ、彼女が振り返る。

 茶色の瞳が驚いたように大きく見開かれ、離れていてもその中に緑の星が瞬くのが見て取れた。

 それに見惚れるアレッサンドロの前で、見る見るうちに大輪の笑顔の花が咲く。


 刹那。


(ああ、ステラだ)

 胸の奥から噴き出してきた耐え難い想いで、アレッサンドロの喉が詰まった。自制心を遥かに凌駕する喜びで、全身が震える。


「アレックス」

 花弁のような唇が動き、再び、その名が発せられた。今度は先ほどよりも確かな声で。


 駄目だ、と思った。

 これ以上ここにいたら、彼女の姿を目にして、彼女の声を聴いていたら、もう二度と手放せなくなってしまう、と。

 今すぐ踵を返してこの場から去るべきだ。

 理性の声は頭の中そう喚き散らしているのに、どうしても足が動かない。

 アレッサンドロは、硬く拳を握り締めた。そうしなければ、八年の間耐えてきたものを台無しにしてしまいそうだった。

 奥歯を食いしばってステラを見つめることしかできないアレッサンドロに、彼女の笑顔が揺らぐ。


「え、と、アレックス? ずいぶん大きくなっちゃったけど、アレックス、だよね?」

 名前を呼ばれるたび、アレッサンドロはみぞおちに強烈な拳を食らわせられたような衝撃に見舞われる。このままでは、いられなかった。

「どうして、ここにいるんだ?」

 苦し紛れに放った唸るような問いかけに、ステラの顔が強張った。

「え……?」

「どうして、ここにいる?」

 再び、今度ははっきりとした口調で問いを投げ付けると、彼女は唇を噛んで目を伏せた。


 傷つけた。

 誰よりも傷付けたくない相手を、傷つけてしまった。


 アレッサンドロは胸が悪くなる。腹の底から痛みとも嘔気ともつかないものが込み上げてきて、それを呑み下すのがやっとだった。

 だが、今、ステラを傷付けてしまったのだとしても、ここから遠ざけるのが彼女の為なのだ。ステラはステラに相応しい場所があって、それはここではないのだから。

 アレッサンドロは押し黙ったままステラを見つめ続けることしかできない。彼女もまた、言葉を失ってしまったようだった。


 気まずい沈黙の中に、ため息が一つ零れ落ちる。

 その主は、ステラではなく、ましてやアレッサンドロでもない。恐らく諸悪の根源と思われる人物からだ。

「アレッサンドロ、女性にはもっと優しい物言いをしなさい」

「兄上」

 睨み付けたアレッサンドロなど全く意に介さず、ジーノがやれやれという風情で微笑み、ステラの傍に歩み寄る。

「やあ、初めまして、ステラ。私はジーノ・ティスヴァーレ。アレッサンドロの兄だよ」

「お、にい、さん……? え……?」

 ステラの視線がアレッサンドロとジーノの間を慌ただしく行き来した。そんな彼女に、ジーノが優しく笑いかける。

「あの子の方が貫禄があるだろう? 私はこれでも二十七歳なのだよ。あの子よりも九つ上だというのに、いつも私の方が若く見られるんだ」

 からかうように言ったジーノの前で、ステラが目を白黒させている。

「アレッサンドロの恩人がこんなに可愛らしい方だとは知らなかったよ。弟を助けてくれてありがとう」

 ジーノは微笑み、彼女の手を取ると、その指先に軽く口付けた。


「兄上!」

 思わず声を荒らげたアレッサンドロに、二人が振り返る。

「どうした、アレッサンドロ」

 そう訊いてきた兄は、澄ました顔をしている。彼の横で、ステラは兄の言動に驚いているのか、それともアレッサンドロの大声に怯えたのか、もとより大きな目を更に丸く見開いていた。そして、ステラの手は、まだ兄に取られたままだ。


 ステラに触るな。

 そう言いたい。

 が、言えるわけがない。


「……彼女がここにいるのは、兄上の差し金ですね」

「ん? ああ、そうだよ。お前の恩人に、一度は会ってみたいと思っていたからね」

 シレッと言ったジーノに、アレッサンドロは軽い殺意を覚える。

「では、もうお気がお済みになったでしょう。帰りの手配をします」

 言うなりアレッサンドロは踵を返して立ち去ろうとしたが、続いた兄の台詞で固まった。

「何を言っているんだい。しばらくは滞在してもらうよ。彼女は故郷で働き詰めなのだろう? お前を助けてくれたことへの感謝と日頃のねぎらいを兼ねて、そうだな、少なくともひと月くらいはいてもらおうかと思っているんだよ」

「え!?」

「はぁ!?」

 ステラとアレッサンドロが同時に声を上げたが、ジーノは平然としている。


 ひと月なんて、冗談ではない。


「彼女がいなければ、教会は大変なことになりますよ。子どもたちの世話を、誰がするというのですか」

「そんなの、誰か送ってあげればいいだろう? ああ、そうだ。この機会に、孤児院としてしっかり機能するようにしてはどうだい? ディアスタ村は、田舎ながらなかなか良い所だそうではないか。都にも孤児はたくさんいるから、そういう子らを預かってくれる場所にしてもいいかもしれないね」

 アレッサンドロは、穏やかに微笑んでいるジーノを睨み、ギリギリと奥歯を食いしばった。

 言えば言うほど、泥沼にはまっていくような気がする。


「――好きにしてください。俺は知りませんよ」

 半ばやけくそでそう残し、アレッサンドロは踵を返した。が、どうしても我慢できず、肩越しにほんの一瞬振り返る。

 何がそんなに面白いのか、にやにやと笑うジーノの隣に佇む、ステラの姿。彼女は眉根を寄せ、両手を胸の前で握り合わせていた。

 不安げなその様に、アレッサンドロは胸を締め付けられる。


 ひどい態度を取ったという自覚はある。

 だが、ステラが居るべき場所は、ここではないのだ。きっと、彼女はここでは幸せになれない。


(ここで幸せになれる者など、いないんだ)

 叶うことならいつまででも見つめていたい人から引き剥がすようにして眼を逸らし、アレッサンドロは地面を踏み抜かんばかりの足取りでその場を後にした。


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