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捨てられ王子の綺羅星  作者: トウリン
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

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唯一のひと

「アレッサンドロ様。せめてどなたかお一人くらいはお会いになっていただけませんか」


 ティスヴァーレ国王都ラムバルディア。

 その王宮の一画、実用本位な執務室に、そんな声が響き渡った。

 山と積まれた書類を処理していたアレッサンドロは、執務机の前に立つ六十がらみの白髪銀瞳の男に視線を移す。ティスヴァーレ国宰相であるその男リナルドは、アレッサンドロが広げていた書類の上に無言でズラリと姿絵を並べた。

 全部で五枚、どれもアレッサンドロと同じくらいの年頃の女性が描かれている。

 彼はそれを一瞥し、リナルドに応える。

「邪魔だ。どけろ」

 にべもないその台詞に、リナルドがため息をこぼす。ほとほと困り果てたという風情で。

 リナルドのそういう態度は半ば演技だということを、アレッサンドロはこの八年間の付き合いでイヤというほど思い知っていた。この老人が本心を悟らせるような感情をあらわにすることなど、けっしてないのだ。


「ご興味ありませんか。皆、美しく気立ても良い方ばかりですが」

 言いながら未練がましく姿絵を近づけてきたリナルドに、アレッサンドロは冷やかな眼差しを返す。

「せめて、一度――いや、三度ほど、お言葉を交わしてみては?」

「暇がない」

 答えと同時に、アレッサンドロは姿絵を押しやった。


 リナルドが持ってきたのは、アレッサンドロの妃候補の娘たちだ。彼女らは皆このティスヴァーレでも有数の貴族の令嬢――だけではない。

 アレッサンドロの元にこの手の話が持ち込まれるようになったのは、ひと月前のこと。彼が十八の誕生日を迎えた時からだ。

 初めのうちは、選ばれるのは貴族の娘ばかりだった。だが、どんな麗人にも一向に興味を示さないアレッサンドロに業を煮やしたのか、次第に身分を問わず、街中でも気立ての良さで評判の者、小鳥のように可憐な声で歌う者、料理上手、下は十三から上は三十まで、手当たり次第に持って来られるようになった。その数は五十を軽く超えるだろう。


 確かに、それだけ数を持ってこられれば、普通は、その中の一人や二人には気を引かれるものなのかもしれない。


 だが。


(彼女たちは、ステラではないんだ)

 どれだけ美しくても、どれだけ心優しくても、それはステラではない。彼女のようにアレッサンドロの心を動かす者には、なり得ないのだ。王都中の娘をかき集めても、彼の中のステラの記憶を塗り替えられる者はいない。


 執務に戻ろうと筆を取ったアレッサンドロに、リナルドが眉根を寄せる。

「アレッサンドロ様。お世継ぎをもうけるのも、貴方様の義務ですぞ。王家の方は十八になられると同時にお妃をお迎えになるのが習わしです」

「お前たちが適当に選べばいいだろう。俺は誰でも構わない」

 ステラでないのなら、誰でも同じだ。この国の王妃が――自分の妻がどんな人物かなど、どうでもいいことだった。

 アレッサンドロが投げやりに答えると、リナルドが歯噛みをする気配が伝わってきた。

「そういうわけにもいきません。貴方のお気持ちはどうなるのです? 我々が勝手に選んだ女性に、想いを注ぐことがおできになりますか?」

 つまり、男女の営みが可能かどうかということか。リナルドをはじめとする城の者どもの気がかりは、気の無い相手とアレッサンドロが子を成すことができるのかという一点に尽きるのだろう。

 アレッサンドロは肩をすくめる。

「あてがわれたらどうにかするさ。何か薬でも見つけておけ」

「アレッサンドロ様……」

 リナルドは落胆の面持ちになったが、アレッサンドロの気を引くことはできなかった。


 彼が妃となる女性をアレッサンドロに選ばせようとするのも、別に、アレッサンドロの為ではない。結局は、全てこの国の為なのだ。

 十三年前、父が亡くなると同時に母と共にこの城を追い出され、兄の身体が弱く、政務に耐えられないから、と八年前に呼び戻された。

 アレッサンドロは兄の代用品で、今度は、アレッサンドロが使えなくなった時に備えて次の人形を作らせようとしているに過ぎない。

 互いに愛情を抱けなくても、富と地位が得られれば良いという女性を選べば、益がうまく噛み合うというものだ。

 アレッサンドロにとって傍にいて欲しい人は、一人しかいない。その人でなければ――ステラでないのならば、あとは誰でも同じだ。


 アレッサンドロはグッと拳を握り締める。

 この八年の間、ステラのことを考えなかった日はない。朝目覚めた時は今日の彼女はどんな一日を過ごすのだろうと思いを巡らせ、夜眠りに落ちる時は、今日はどんなふうに笑っていたのだろうかと、その笑顔を脳裏に浮かべながら目を閉じる。朝早くから夜遅くまでひたすら執務に没頭するのは、ステラの生活を守るためだ。

 遠く離れていても教会の様子は週に一度は報告させている。月に一度届けられるステラの手紙は次が届くまで何度も読み返し、全て大事に取っておいている。少し丸みのある可愛らしい文字が、いかにも彼女らしかった。


(別れた時の彼女は十四歳だったから、今は二十二歳だ)

 とうに伴侶を迎えていても良い年頃だというのに、密偵の報告にも彼女からの手紙にもそれらしいことは微塵も出てこない。八年前と同じように、子どもたちの世話に明け暮れているようだった。

 だが、どれ程優れた密偵も、ステラの心の中を覗き込むことまではできない。

(密かに想う男がいるのだろうか)

 ステラにそんな存在がいるということを考えるだけで、アレッサンドロの胸の奥はジリジリと焼けるような感覚に襲われる。

 ステラの幸せを願っているのに、彼女が『誰か』と幸せになるのは受け入れ難いなど、矛盾もいいところだ。ステラのような人にとっては、誰かを愛し愛されることが一番の幸せの筈なのだから。

(傍にいられない俺には、何の権利もない)

 ここから、彼女の幸せを願う以外に、できることはない。

 握っていた筆がミシリと音を立て、アレッサンドロは我に返る。視線を感じて目を上げると、リナルドがじっと彼を見つめていた。アレッサンドロの頭の奥を探ろうとしているかのようなその眼差しに、彼は不可視の鎧戸を下ろす。


「何だ? 他に用があるのか?」

 波立つ胸の内を冷やかな表情で覆い隠したアレッサンドロから、リナルドはまぶたを伏せてその目を隠す。そうして、まだ卓上に載せられたままだった姿絵を揃えて脇に挟んだ。

「そろそろディアスタ村に荷を送る頃合いですが」

 何か他に思うことがありそうな様子だったが、リナルドが隠そうとしているものを暴こうとしてもうまくいった試しがない。

 アレッサンドロの母を供養し、そして彼を救い育てた功績に報いるという名目で、ディアスタ村の教会には月に一度物資を送っている。実際、ステラに見つけてもらえなければ、アレッサンドロは命を落としていただろう。

 そこに個人的な思い入れは、無い――表向きには、そうなっている。


「今月はいかがいたしましょう?」

 リナルドに問われたアレッサンドロは束の間思案し、答える。

「そうだな、野菜を少し余分に入れてやってくれ」

 前回の手紙には、野菜嫌いの子がいるが、細かく刻んで菓子に入れてやったら良く食べたので嬉しかったと書かれていた。ここしばらく、ディアスタ村は雨続きだったようだから、教会の畑の出来はあまり良くないだろう。

 ステラは、せっかく食べてくれるようになったのにと、がっかりしているに違いない。その時に彼女が浮かべるであろう表情まで、まざまざとアレッサンドロの脳裏に思い浮かんだ。

 彼女のことを想うと、アレッサンドロは全身がふわりと温かなもので包まれる。八年という時を経ていても、彼の記憶の中で、あの柔らかな笑みはほんの少しも色褪せてはいなかった。


「アレッサンドロ様」

 静かな声で呼ばれ、アレッサンドロはここにいるのが自分一人でないことを思い出す。

「他に用がないなら出て行け」

 書類に手を伸ばしながら告げると、リナルドは無言で頭を下げた。目をそちらに向けずとも、気配で彼が戸口に向かって歩き出したのが判る。

 だが、出ていきしなに立ち止まったリナルドがもの問いたげな眼差しを投げかけてきたことには、アレッサンドロは気付いていなかった。


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