星屑の上
視線の先に広がる大通り、勤務終わりの人々が慣れた足取りで駅へと踏み入れていく姿は、きらめく街と相まって星屑のようで、ただ見ているだけでも楽しい。くたびれきった男性に疲れ気味で先を急ぐ四十代ほどの女性、果ては定年ぎりぎりに見える古びたスーツの男性…何をもってして、こうも働こうとするのか、こんなに生への執着があるのかと思う。
「何を糧に生きてんのかな…金?欲?それとも惰性で?」
信号が立ってからお役御免になった、人気のない歩道橋の手すりに肘をついて、俺はただため息をつく。夜に出歩いているのは、高校生になってから行使しまくっている権利といったところ、それだけの意味しかない。
お年頃というやつだ。思考をするたびに考えることは哲学ばかり、もっぱら考えることは自分ひいては人の生きる価値だ。
教科書には自分の価値なんてものは書いていない。だから人に尋ねてはみるものの、哲学には答えがないことを象徴するかの如く、はっきりした答えは返ってこない。父に聞いても『何でだろうな』といら立ち顔で追い払われ、母は『あなたはあなたよ』と宣うばかり。友達は『社畜になる事で知れる』『社会貢献をするために、生まれてきたんじゃないかな』『我思う、故に我有り』とふざけたことを口々に言う。
いっそのこと「価値なんてないんだよ、んな事より遊ぼうぜ!」と言われた方が清々しい。皆俺に気を使っているのか、答えにならない答えを気の利いたように並べて存在を証明しようと頑張っているのだ。
「…ま、仕方ないといえば仕方ないか」
「眼下を横切る星屑の群れに飛び込めば、価値がなくたって関係ないよな」なんて考える時点で、自分は死の理由を探しているのだとわかるだろう。結局、自分は「要らない」と言われたくて自身の価値を探しているのだ。
「親しい仲に死ねって言えるわけないからなあ…」
「…それは、まあ…」
突然に響いた、聞きなれない声。
何者だと思って、碌に考えずに振り向きざま気が付いた。相手の賛同ともいえる不完全な言葉は、自分の言葉に繋がる自然な言葉ではあったが、電話や独り言だったら十分使うのはあり得る話だと。それに知りもしない相手に話しかけるバカはどこにいると、自意識過剰な自分に激しく後悔した。
救いだったのは、振り向いた先の人物と目が合い、数秒見つめあい、目をそらされた挙句に苦笑いされた事だろうか。
「…すみません、話が気になっていたもので…」
栗色の髪の毛を持つ彼女は、恥じらうようにそっぽを向いている。消え入りそうな声とかすかに赤みを持った頬、独り言だったようだ。
多少笑ってから、自然に出ていた笑みで話しかける。
「まあそれは、仕方ないとは思うんだけどね。物騒だったでしょ?」
「そうですね…人気のないここでもなければ、独り言もできないですし…」
そのまま彼女は、俺と同じように手すりに手を置き、話を続行するようで。面識のない人物に話をするとは、中々に胆力のある人だ。振り向きざまバカと罵った自分を許してほしい。
そびえる駅ときらめく街、二人で同じように眺める。僅かに幼さを残した彼女は、俺と同じく高校生だろうか。見た目では財布と鍵、制服のみという、用意もせずに飛び出した感の出るいでたちで、よくもまあ穴場に来たものだ。
「ところで、あなたはどうしてここへ?ほとんど何も持っていないようですが…」
自分のことを棚に上げて楽し気に話す彼女は、どこか親近感がわく。友達にも発揮したことのない饒舌っぷりでブーメランを返す。
「まあ、ちょっと疲れたからここへ。そういうきみもほぼ手ぶらだよね?家を飛び出してここへと至るのは、どういった経緯で?」
「うっ…わ、私も疲れたんです、精神的に。たまにここへ寄ったりするんですよ?」
「そして、飛び降りたら楽になりそうだ、と?」
「ううっ…!?な、なんでですか!?」
「俺がエスパーだから、かな」
意外に馬が合うものだ、相手の思っていることが分かりやすい。主語のない問いと驚きに染まる顔に肩をすくめると、目の前に広がる光景に目を向けた。彼女も自然に同じ方向へ向く。
「…悩んでるんでしょ?自分のある意味に」
「…はい。私はこの世界に要らない存在なのかなって思ってしまって。どう思いますか?」
「知らない」
「え?」
間の抜けた声に、思わず噴き出した。
「っふふ、く…いや、ごめん、笑った」
「ちょっと、なぜですか!?私、結構真面目に聞いていたと思うんですが!」
憤慨交じりの声には少々笑いのスパイスが効いているようで、絶対に真面目ではない声色が響いた。一回の深呼吸を挟んでから、彼女と向き合ったが、距離感が近い故にもう一度前を向いた。
「俺もそれで悩んでるんだよ、いまだに見つけられないでいる。偽の答えを言っても意味はないでしょ?だから知らない」
「…それを言われたら困りますよ」
「そりゃね。ただ、一つだけわかることがある」
人差し指を立て、眼下の星の流れを眺める。興味深げにこちらを見る彼女を一瞥した後、ため息をついた。
「…妙に親近感が湧いたから、死なれたら後味悪い。そっちもおんなじじゃない?」
「言われてみれば…死んでほしくはないですね、ただのエゴですけど」
「じゃあ、今日の所はやめにしよう」
「はいっ!」
妙にうれしそうなのは気のせいだろうか?ともかく、別れの言葉を切り出すタイミングを考えていたところ、思い出したことをふと呟いてみた。
「そういえば、名前を聞いてなかった。君の名前は?」
「あ、私の名前は松島凛音です!…貴方の名前を聞いてもいいですか?」
「清水文峰だな。今に悩む高校一年生だ」
「私も高校一年生です、奇遇ですね。これって、運命ですかね?」
「さあ。神のみぞ知るってね」
肩をすくめると、手すりから肘を離して足に全体重をかける。妙に重い体は、この場を離れたくないと騒ぎ立てていた。凛音も右に倣うと、名残惜しそうな顔をしていた。
「…帰りたくなくなっちゃいました。日常に戻るのが怖くて」
「そうだけどね…帰らなきゃいけないのは必然、でしょ?」
「…はい」
発言を誤ったか、下手にしゃべれない沈黙が流れる。かける言葉も見当たらない。
すると、凛音は俯きながらつぶやいた。
「私達、また会えますかね?ここなら、いつでも会えそうな気がするんです」
「…うん。また会えるよ、ここでいつかまた、会おう。いつでもはいないけどね」
「本当ですか?じゃあ、また明日に!」
「早…いや、そうするかな」
満面の笑みに見とれていたことを悟られないように、踵を返して歩き出す。丁度凛音は俺の家と反対方向であるらしく、ちらと見た先で手を振っていた。同じく手を振ろうとして、一つの提案を思いつく。
「…家まで送っていこうか?この時間じゃ女子一人は不安だし」
「いいんですか?じゃあ、お言葉に甘えて!」
にこやかな顔になった凛音を見て、内心嬉しい自分がいる。手招きをする凛音を追いかけて、足取りを速めた。
二人だけの橋の下、通り過ぎる光はやけに輝かしく見える。自然と感じた胸の高鳴りは、生きるだけの価値があったように思えた。
「そういえば、二人でいると恋人みたいで…っ!?」
「っぐ…げほっけほっ!?」
言わないでほしかった、自分でも勘づいていて無視していたのだから。
小説書きは手慣れていないため、生ぬるい目で見ていただけると幸いです。
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