プロローグ②
アルデアはドアを閉めると、私の左後ろに隠しきれない足音で近づいて、そのまま立ち尽くしている。
ずっと喋らない。
ええと、これは私が話しかけなければいけないのかしら。
「来てくれてありがとうね。座らないの?」
アルデアはこくりと頷いて周りを眺め、目的のものを見つけ近づいた。
帰ってきた彼が持つのは店で1番古そうな木の
椅子。
そして彼は、その椅子を床に置いてゆっくりとした動きで座る。
座っただけ、なのに椅子はボキリと音を立てた。
見ると椅子の脚が折れている。
古そうではあったが、まさかアルデアの体重に耐えきれないとは…
「壊れてしまうのね、でも言ってくれれば良かったのに。」
そう。
彼が「体重に椅子が耐えれないから座れない」と言っていれば無駄に壊すこともなかったのだ
。
口は災いの元だけど、極端な無口も災いの元。
本人の性格だから無理矢理やめろというのもお門違いだし、どうしたものか。
店主も怒っているだろうと目を向けると、どちらかと言えばうわの空のような顔をしていた。
しかし、しばらくすると静かに話し始めた。
「お客様、構いませんよ。この椅子はもうすぐ廃棄処分にしようと思っていたものです。しかし、これはまだ使う予定のあったもの。お客様がよろしければ椅子代の一部を負担してもらいたいのですが…」
なるほど。
まだもごもご言っているけど、大体わかった。
つまり弁償して欲しいのだ。
この辺りは治安の悪い場所だ。
ここはまだ平和な方だが、他の店では裏取引なんかも行われているらしい。
知らぬ客に対してはへりくだるのが正解だと思っているのでしょう。
しかし、おそらくへりくだる必要はないわ。
ジャラジャラジャラ、と金の子気味良い音が鳴る。
どうやら袋に入っていた貨幣を出したようだ。
見たところ10000ミル以上はある。
椅子の相場なんて知らないけどおそらく十分だろう。
何故わかるのか?
店主の顔が緩んでいるから。
「お客様、これ全部貰ってよろしいのですか?」
「…うん、余った分も。壊してごめん。」
ひっくい声が酒場に広がる。極端な無口でも流石に謝罪はできるらしい。
…さて、どうしたものか。元々私も店主もそんなに話す性格では無い。
アルデアは言わずもがなといった感じ。
待ち合わせ時間までには少し時間があるし、まだ来なさそうな気もする。
そんなこんなで酒場には沈黙が流れていた。
注がれた酒に映る自分の顔。
青いくせっ毛と、奥二重な目。
少し腫れぼったい唇。
私の表情は退屈そうで、それでいて悲しそうだった。
この空気は別に嫌いではないけど、勇者と居れた時は沈黙でも寂しくもなんともなかったのに…
少し、寂しい。
今だってまぶたを閉じれば思い出せるアハサキの笑顔。
小さめのタレ目で思いっきり笑っている姿が少し子供のようだった。
彼は王都の糸を売る店の息子だった。
手先も器用だったし、跡を継ぐつもりでいたのでしょうね。
病弱らしい母を置いて旅立たなければならなかった彼の気持ちなんて想像することしか出来なかったけど。
ある日、彼がくれたミサンガ。
素朴だったけど赤を基調として色んな色が絡まりあったそれは、勇者の手作りの品らしかった。
その赤い糸の質感があまりにも彼の赤髪に似ていたから、ちょっと心配したけど、新素材を使った糸だと聞いて安心したのを覚えてる。
パーティメンバー全員(男にもちゃんと)に配ってたそれにきっと特別な感情なんてこもってない。
それでも。
「切れると込めた願いが叶うんだってさ。ルロウの願いも叶うといいな!」
って教えてくれたから、願ったのに。
嘘つき。
叶いやしなかった。
あれはただ、勇者の死を教えてくれただけ。
ミサンガが切れた1時間後くらいだろうか。王都にアハサキの死体が運ばれたのは。
おそらく、切れた時が彼の命の切れ目。
ミサンガが切れたのは、ただ単に願いが叶うことが無くなったから?
「アハサキと結ばれますように」なんて、元々自分をアピールすることもできない私には叶うことのなかった願いだったのに!
…そう、私は間違いなく恋をしていた。
アハサキに。
神様、今日だけでも会わせてくれたっていいでしょう?
今日偶然彼がここに来て、私が彼を見ることができたって、別にバチなんて当たらないでしょう?
ガチャ
そんな私の心を読み取ったかのように、ドアが開いた。
10000ミルという単語が出てきましたね…
ミルはこの国の通貨です。大体1円=1ミルです