第四話 エストアンダ子爵家の料理人
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「こ、これ…」
アルティは目を見開いて、本のページを見詰めていた。その姿に、ノッテが心配そうに「どうなさいました?」と声を掛けるが、アルティは微動だにしない。
そのアルティの心の内だが…。
(………字が読めない!!)
それだけだった。
───
ノッテが一冊の本を手に部屋に戻ると、アルティは早速適当な場所を開いた。「もし本当に転生だったら、異世界の文字でも読めるのが王道でしょ。いけるいける!」なんて思っていたのが正直なところだ。
だが、現実はそんなに甘くなかったのだ。
アルティの目の前に広がるのは、直線と点で構成された謎の文字。古代文字と言われたらそれっぽい。
どんなに目を凝らして見ても、近付けても遠ざけても、思い切り睨み付けて見ても…まるで読めなかった。
(おかしい…だとしたら私は転生した訳じゃないのかも…)
なんて、少しズレたことまで考え始める始末だ。
「うぅ…読めない…。どうして…?」
「どうしても何も…お勉強なさっていないのですから、当然ではありませんか?」
呆れ混じりにそう指摘され、アルティは言葉に詰まった。確かにそれが当たり前だ。当たり前なのだが…。
「読めると思ったんだもん…」
その言葉に、一体どこからそんな自信が湧いてくるんだ、と内心思うノッテだった。
「本が読みたいのでしたら、字のお勉強でもしますか? きっと、少しは暇潰しにもなるでしょう」
「えー、読めるようになるかなぁ…」
「どうせこれからお勉強が始まるのです。少しでも早く始めておいたほうが、後々楽になるというものですよ」
そうだった。そういえば、四歳から勉強が始まると聞いたばかりだ。すっかり忘れていた。
「貴族の勉強って、何するの?」
「本格的なお勉強は貴族院入学後ですから、それまでは最低限の教養を学びます。字もそうですし、マナーなんかもですね」
「へー」
(まぁ、始まってみたらわかるかな)
「じゃあ、とりあえず今日は字の勉強がしたい」
(字が読めるようになったら、レシピ本なんかも探せるようになると思うしね)
「かしこまりました。では…」
そう言って少し離れた場所にある棚に向かうと、何かを手に戻ってきた。よく見たら、厚みのない本が数冊腕の中にある。
「今日は基本文字からやっていきましょう」
ノッテは私の前に本を置き、ページを捲った。やはり見慣れない文字だが、今度は字の量が少ない。
「この本は文字を習う子に見せる、最初の本です。文字が順番に並んでいて、これが──」
そうしてしばらくの間、アルティは字を習った。それが中断されたのは、昼食の有無を聞きに、部屋にリリが来た昼前だった。
───
昼食は食べなかった。例のパン粥がまだ胃の中に居て、しっかりした物は食べられなさそうだったからだ。と、言っても「しっかりした物」じゃなければ食べられるという訳で…一口サイズに切られた果物は食べたのだが。
瑞々しく甘い果物で胃を満たした幸福感にまどろんでいると、不意に扉がノックされた。訪問者はエルシィだった。
「アルちゃん、具合はどう?」
「家を歩き回れそうなくらい元気です」
「それは駄目だけれど、調子良いのなら良かったわ」
それとなく説得を試みたが、見事に防がれてしまった。
「そうそうアルちゃん。料理に興味があるんですって? ノッテから聞いたわ」
「へ? あ、はい。興味あります」
「ずっとベッドの上というのも暇でしょう? 話し相手を連れてきたの」
「話し相手?」
「ええ。ノッテ」
「はい、奥様」
指示されたノッテが扉に向かう。と、一人の男性が部屋に入ってきた。ノッテに続いて自分の方に向かってくる。
「料理人のユエよ」
エルシィに続けて、紹介された男性は改めて名乗る。
「こんにちは、お嬢様。…ユエと申します、よろしくお願いします」
人の良い笑みを浮かべて挨拶する男性は、二十代前半くらいの細身な人だ。
「数年前からここで料理人として働いているので、料理に関しては色々話せると思います」
さすが料理人、自信溢れる笑顔である。
…先程の料理のせいで若干の不信感があるけれど。
「よろしく、ユエ」
「じゃあわたくしは戻るから、後はよろしくね。二人とも」
「「かしこまりました」」
エルシィが部屋を出ると、早速ユエに話題を振るアルティ。その内容は…先程のパン粥についてだった。
「ねぇ、ユエ。聞いてもいい?」
「何でも聞いてください」
「さっきのパン粥って、どうやって作ってるの?」
「あぁ。あれはパンを小さく千切って、水で煮込んだ物ですよ。ただ…塩が入ってなかったんで、味が整わなかったんですけど…」
ユエは最期の一文で眉を八の字にした。
塩のことは勿論そうだ。勿論それもなのだが、それ以外にも物申したい。
「どうしてあんなにねっちょりしてたの?」
「え? あ、あぁ、それは…」
何故か意表を突かれたような表情の後、ユエはその原因を語った。
「ヤタ麦パンで作るとどうしてもそうなってしまうんです。けど、栄養価は一番高いので…病人の回復食として出されることが多いです」
「ヤタ麦?」
「はい」
そんな麦聞いたことない。此方の世界特有の麦だろうか。
アルティが疑問を口にする前に、ユエはヤタ麦について軽い説明をする。
「ヤタ麦は安価で簡単に手に入る麦です。病気に強くて、そこまでの手入れが必要ないので広く育てられています。他の麦と比べて、加工した時驚く程味が無いとか、パンにした時水分が少ないとか……良い所ばかりじゃないですけど、でもそのくらいです。他のパンとは多少味に違いがあるくらいなので、余裕のある上級貴族の方々でなければ、普段はヤタ麦パンを食してると思いますよ」
なるほど、どうりで。
ユエの流れるような説明に色々と納得する。あの無味とも言える味も、異常なねっちょり感も、ヤタ麦とかいう麦で作ったパンのせいだったのか。とはいえ、もう少し水分を足して味付けすればそれなりに美味しくなるのでは? とか、最初から麦粥にすれば良かったのでは? など、思わざるを得なかったが。
「他にはどんな麦があるの?」
ついでに他のも聞いておこうと疑問を投げかけたところ、大麦、小麦、ライ麦があるという。ここら辺で栽培されてる麦の種類を聞いたわけじゃないのに、これしか他の麦が出てこないのを考えると、本当に種類が少ないのかもしれない。
麦だけに限らず、他にどんな穀物があるのかと問えば、あとはトウモロコシくらいだと言われた。
「豆は穀物に入らない?」
広義に解釈すれば、豆類も穀物の内だろう。少なくとも自分は、豆は穀物だと、そう考えている。
ユエは穀物に含まない派なんだろうか、なんて考えていたら、予想外の答えが帰って来た。
「え? 豆は薬でしょう?」
「………ん?」
言われた瞬間は、発言の意味がわからなかった。正しく理解するのに数秒かかった。素で疑問符が飛び出し、傾げた首が戻らない。
「豆って、あの豆だよね? 小さくて、コロンとしてて、ホクホクしてる…」
「ホクホク…か、どうかは知りませんけど、多分同じ物を指してますよ」
「………豆って薬になるの?」
「………薬以外に使い道があるんですか?」
双方、噛み合わない会話に、首が角度を付けて固定されている。眉を八の字にしたアルティが視線を送った先、ノッテは釣られたように眉の形を僅かに変え、発言する。
「失礼ながら、豆類は薬の材料の一種だと記憶しています。……食事に用いるという話は存じ上げません」
首は角度を付けたまま、大きな目をさらに大きく見開くアルティ。この時、口まで間抜けにポカンと半開きにしなかったことを褒めてほしい。
衝撃のまま固まるアルティは、瞬きすらも忘れてしまったのだろうか。驚く程微動だにしない。
そろそろ声を掛けた方がいいだろうか、と、この場にいる二人の大人が考え始めた時、アルティはやっと頭を元の位置に戻して声を発した。
「………そっか………」
悲しそうに、そう呟くアルティ。先程まで横に倒れていた首は少し俯きがちになり、目元は伏せられている。
何がアルティをこんな風にしてしまうのか。豆が薬として使われていたことか、食用豆について二人とも知らなかったことか。それとも別の何かが原因なのか。
結論から言ってしまえば『別の何か』が原因であった。
(豆が食用じゃない……豆製品がない……。つまり……醤油が無い……!!??)
そう、アルティはこの可能性に気付いてしまったのだ。豆が一般的に薬として使用されているのならば、豆製品が開発される筈もない。だとしたら、あの慣れ親しんだ魔法の調味料、醤油は───。
絶望だ、もう駄目だ。大豆があるかも怪しい世界なのに、仮にあったとしても醤油が存在しない可能性が大きすぎる。何ということだろう。
あぁ、そうだ。穀物の中に米が出てこなかった。もしかしたら存在しないのかもしれない。存在しても、豆と同様、薬の材料となってしまっているのだろう。そうなのだろう。
米が食として認識されていなければ、そこから派生する他の食なんて見込めない。酢も無ければみりんも無い。調味料の種類が乏しければ、食の発展なんてたかが知れている。少なくともアルティはそう思っていた。
豆が料理の材料として認識されていない事実から、大変な所まで想像、いや、妄想を膨らます。
悪い思考はグルグルと頭を駆け回り、更に奥深くへと沈んでいく。
これが、例の反動による情緒不安定さによるものなのか、単に元の性格なのか、今はまだわからない。
「お嬢様…?」
戸惑いがちなノッテの声を、今日だけで何回聞いただろう。ハッとして顔を上げれば、困惑と心配が混ざったような表情を向ける二人が居た。
どうやらそれなりの時間フリーズしていたらしい。ノッテが控えめに声を掛けてくる。
「あの、随分と考え込んでらしてますけれど……大丈夫ですか?」
「あ……ちょっと色々……あはは……大丈夫だよ。ごめんなさい」
曖昧に笑って誤魔化せば、それ以上の追求はなかった。
「ユエ。普段、皆が食べてる料理が知りたいの。教えてくれる?」
「勿論です」
ユエはつらつらと料理名を並べ、それに簡単な説明を添えて話してくれる。
結果わかったのは、調理方法と調味料の乏しさだった。ほとんど煮るか焼くか素材そのままで、調理時間と火加減の見極め、素材の捌き方、盛り付け方、材料に対する知識が、料理人として評価される大切なことらしい。
先程聞いた『富豪の塩』の話で、豪華な食事=調味料や香辛料がふんだんに使われている食事、とあったが…その内情は数少ない種類の調味料などを大量に使っているだけだった。非常に残念なことを聞いてしまった。
「エストアンダ子爵家は、他の子爵家と比べて香辛料の類が多いですから、料理人としては嬉しい限りです。調味料や香辛料に種類がないと、中々味の変化が出ませんから」
なんと。うちはそれなりに豊からしい。
緩やかに降下していたテンションがここに来て持ち直す。
「うちにはどんな調味料があるの?」
「塩は勿論、量は多くないですが砂糖、胡椒などの香辛料。香辛料として使われるハーブの類は特に多いですね。タイムですとか。あぁ、そうじゃなくてもハーブは多いです。種類も多く、比較的簡単に手に入りますから」
ハーブが多いのであれば、まだ救いはありそうだ。
和食に使われるような調味料や薬味が無さそうなのは寂しいが、とりあえず洋食は美味しくいただけそうなのがわかる。テンションが上がってきた。
今度絶対に調理場を見せてもらおう。それが無理でも、食料庫を是非とも物色したい。
もう少し体が成長したら、街に行って自分一人で食材を買い込んでみたいものだ。
「あ、そうだ。ユエの得意料理って何?」
「そうですね、強いて言うなら……」
こうしてユエにこの世界の食事情を根掘り葉掘り聞いているうちに、結構な時間が経っていたらしい。
「そろそろ夕食の準備に取り掛からなければ」と、ユエは持ち場に戻って行った。
まだまだ聞きたいことはあったが仕方ない。また今度話すことにしよう。
次は何を聞こうかと頭の中で楽しく整理していると、不意に横から声が掛かる。
「お嬢様は本当に、料理に興味がおありなのですね」
「あ…ごめんなさい。ずっとユエと話してて…」
アルティが謝罪を口にすると、声の主であるノッテは緩く首を振る。
「謝ることなど御座いません。お嬢様が楽しそうにしてらして、嬉しい限りです。ただ、何故そんなに料理に興味が湧いているのか疑問になっただけですから」
「ありがとう。料理は……すごく好きなの。料理が、というより『食』が、だけど」
「食、で御座いますか?」
「うん」
きっと『アルティ』は、さして料理に興味はなかった。そりゃ、出来れば不味いものは食べたくないし、美味しいものを食べれるなら万々歳だ。が、これ程の執着心は無かったのだ。
だから、料理に、食に、異常な興味を示すのは今生きている自分、『今のアルティ』だ。
「美味しいものを食べると、幸せな気持ちになれると思うの。だから、私は美味しいものが食べたいし、大好き」
幸せそうに微笑む少女の何と愛らしいことか。もしその微笑みが、小動物であったり、花に向けられるものであったなら…この歳でありながら、どこかの令息持ち貴族に目を付けられていただろう。
ただ、『食事』となると変わってくる。
この世界、実は食に興味のない者が多い。と言っても、流石に貴族は「ある方向」に関しては興味を持っている。持たざるを得ないと言うべきか。
結論から言えば、それは『見た目』だ。
料理人に対する評価点は、そのまま貴族の食事に必要な要素に絡んでくる。
貴族の見栄の張り合いや体面は皿の上でも続くという訳だ。
色が、形が、美しさが、一皿にかけた値段が大切なのである。珍しい食材で美しければ、それは王族への献上物として認識される。
それが、如何に不味かろうとも。
そんな状況で、元々単価の高い調味料や香辛料は大量に使われる。一皿の単価も上がるし、素材の味を覆い隠すのにも大活躍だからだ。
最初に始めたのが王族だったという話もあり、後に続く貴族達は我先にと真似たのだ。
香辛料で味を隠せる世界。故に、味は重要視されていなかった。
そんな中での、この発言だ。ノッテは非常に困っていた。目の前の、何も知らぬような幸せそうな主に、事情を伝えるべきか否か。
目覚めてからこの小さな主に対し、偶に自分の知らない人間のようだと感じることがある。
それはきっと、医師の診断の通りだからだろう。悲しむべきか、喜ぶべきか、はたまた恨みや敵対心を持つべきなのか。現時点では判断がつかない。
「………ノッテ?」
アルティの声に、ノッテは思考を中断した。考え込む内に脱線までしてしまった。何たる失態だろう。そう考えて、ノッテは頭を下げる。
「大変申し訳ありません。少々、思う所が御座いまして…失礼致しました」
「それは全然いいんだけど、何か考え込んでるみたいだったから…」
ここまで、ほぼ即時に返ってきたノッテの返事や相槌が聞こえなかったのだ。心配にもなる。
「どうしたの?」
アルティは思いもしない。アルティの考えと、この世界の考え方がズレているということに。
人は等しく美味しいものの前に無力だと思っているし、美味しいものを求めて色々な料理が生まれていると思っていたからだ。
そんなもの、調味料の件で色々と察せただろうに。
アルティの問い掛けにノッテは………真実を話すことにした。今誤魔化しても、何れ知ることだ。いざ食卓を前にしてショックを受けるよりは、事前に知っておいた方が良いだろう。
「お嬢様、落ち着いて聞いてくださいね」
「うん?」
「貴族は、いえ、貴族に限らず……普通の人は、そこまで味に重きを置きません。大切なのは見た目と、一皿の金銭的価値です」
ピシリ、とアルティの動きと思考が固まる。僅かに開いた口が、何かを口に出そうと開いては、何も言わぬまま閉じる。
「つまり、美味しいものが、ない?」
やっとの言葉は極論で、ノッテは困り顔のまま答える。
「勿論無いわけではないのですが…。基本的に味は香辛料やハーブで隠してしまいますし、そこまでの差はないように思えます。素材の味が良ければ、料理も美味しくなりますし……」
暗に「美味しいものが食べたいなら、美味しい材料を買い込めば良い」と説明した。レパートリーは限られてくるが、最も簡単だ。
それでも少女は悲しそうに目を潤ませる。
「そうじゃない、そうじゃないんだよ……美味しい料理が……組み合わせが……」
今にも泣きそうな主に、ノッテは今こそ神を恨むべきだと判断した。
神よ、何故、料理の味に重きを置くように我々を導いてくださらなかったのだ。
一方、アルティは一通り絶望すると、小さな決意を抱いた。
(とりあえず、ユエを呼んで知ってること全部聞き出さなきゃ……絶対に……)
そんな決意をされたユエは夕食後、アルティの就寝時間まで付き合わされることになるのだが……今はまだ、何も知らずに夕食準備を進めていた。
本日も読んでいただきありがとうございます。
ここからは進みを飛ばして、アルティ回復からの本編始動まで持っていきたいと思います。
次次回から「ここからがほんぺ」ってなると思いますので…。
いや、意地でもそうします。やっと前置きが終わる……(›´_`‹ )