第一話 目覚め
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「其方────の───記憶────、この────────て───」
ブツブツと途切れた会話が聞こえる。いや、もしかしたら独り言なのかもしれない。とにかく人の声だった。聞き取れそうで聞き取れないそれは、かなり耳が心地悪い。
(何? 何て言ってるの?)
集中して声に耳を傾けてみるが、その声が聞こえてくることはとうとうなかった。
───
ふ、と目が覚めた。薄ぼんやりとする視界の中、初めに見えたのは白い天井だった。視界に負けないほどぼんやりとした脳は上手く働かない。ただ、ひたすらぼうっとするのみだった。
徐々にはっきりする視界と脳。そうして、天井が白い布であったことを理解したのだった。
(…おなかすいたな)
起きて初めて言葉になった感情はそれだった。意識してしまうと急激にそればかり考えてしまう。気を紛らわそうと、今度は別のことを考える。
(私、寝る前何してたっけ?)
ううん、と考えてみるがどうしても思い出せない。まだ脳が半分寝ているのかもしれないな、なんて思ってみたりする。
それから少しだけ考えて…これは後回しにして別の事を考えた方が良さそうだ、と早めに見切りをつけた。
今は何時くらいだろう。薄暗い室内は明け方とも日が沈んですぐともとれる。もしかしたら天気が悪いだけで昼間かもしれない。そこまで考えて、けれど何となく、朝な気がした。自分が朝自然に起きることの出来る、寝起きの良い人間だということを知っていたからだ。
(目覚ましなくても起きれるって、ある種才能じゃない?)
そんなようなことをいくつか考えた後、ぐるりと視線を一周させる。させてから、ん?と、妙な違和感に苛まれる。知っている部屋、なのに猛烈な違和感…。その不気味さに眉根を寄せた。
(何だろう…どうして? 知っているんだけど…)
考えて考えて…その正体に気付いた途端、サアッと血の気が引いた。
(…こ、ここ…どこ?)
正確には知っている。知ってはいるが、いつも生活していた部屋ではない。いや、生活していた私の部屋であることもまた事実で…?
記憶を記憶が否定している。けれど、どの記憶も確かに正しくて、それを知っているからこそ余計に混乱する。感じたことのない不気味さは、パニックを引き起こすのに十分だった。
(どういうこと? 私の部屋は? 私の部屋だけど違う、丸っきり違う。部屋が二つ? そんなわけない。実家? 違う、実家はもっと…え? 待って、実家はここでしょ? いや、でも、違うから…)
推測、否定、推測、否定。そんなことを繰り返して、次第に脳は簡単な推測すら出来ず、ただひたすら「わからない」と「何」を繰り返すだけになってしまった。
横向きになったまま両腕を抱いて縮こまる。呼吸は浅くなり、震えが止まらない。パニックによる過呼吸だった。
「ハッ…ヒュッ…ハ、ヒュッ…ッ、カッ…ッ…」
辛うじて出来ていた呼吸もままならなくなり、息が吸えなくなる。まるで風船か何かが喉に詰まって邪魔されてるみたいだ、と逆に冷静になり始めたところで、ガチャッという物音がした。不意打ちの物音に耳が無意識のうちにそちらに集中すると、次いで聞こえたのは人の声。
「失礼します、お嬢さ…お嬢様?」
初めに聞こえた落ち着いた声が途中で懐疑的なものに変わったかと思うと一変、今度はかなり取り乱した声色で叫んだ。
「お嬢様!! 大丈夫ですか!?」
バタバタと近付く音がして、バサリと布団がはぎ取られた。
「ああ、大変…!! すぐに知らせないとっ…!!」
そんな声の後、もう一度私の上に布団が被せられてから、慌ただしい足音は遠ざかっていった。
と、思ったらまた足音が近付いてきた。しかも、どうやら今回は複数のようだ。頬に触れる空気の揺れから、かなり近くまで来たのを感じる。
相変わらず呼吸がまともに出来ない中、不意に体が優しく傾けられる。上半身に感じる暖かさと感触で、自分が誰かに抱きかかえられているのだと悟った。
「大丈夫、大丈夫よ。落ち着いて深呼吸してごらんなさい。さあ、ゆっくり息を吸って」
何も考えられない脳は、素直にその言葉にしたがって必死に息を吸おうとする。が、中々上手く吸えない。
「わたくしに合わせて吸うのよ。ほら、吸ってー…」
今度はどうにか吸うことが出来た。すると声の主は「そうそう、上手よ。次は吐いてー…」と続けた。
その声に従って吸ったり吐いたりを繰り返している内に、随分と呼吸が安定してきた。先程の苦しさが嘘みたいに。
そうしてやっと苦しさから開放された私は、初めてまともに声の主を見上げるのだった。
最初に目を惹かれるのは見事な琥珀色の瞳。明るい茶髪をゆるりと纏めた、端正な顔立ちの女性。軽く探った私の記憶に、存在する内の一人。
(…お母様…)
心配そうに瞳を揺らして私の顔を覗き込むこの人は、私の母親。私が「お母様」と呼ぶ人。
自分が母親だと認識している人は、記憶の中でこの人だけだった。
呼吸が出来るようになった私を確認したからだろあか。ホッ、と小さく息を吐いて、それからお母様は周りに指示を出し始めた。
「落ち着いたわね…。ノッテ、医師は?」
「今、リリが呼びに行っております」
「そう。戻ってきたら二人で清めの準備をお願いね」
「かしこまりました」
どうやら私が落ち着く間に、色々と仕事をしていてくれたらしい。お母様とは別の女性、ノッテと呼ばれたその人は「後はわたくしにお任せ下さい」と、お母様を部屋から退出させた。
私はまた布団に横たえられた。
「お嬢様、わたくしです。ノッテです。分かりますか?」
「…わか、ない…」
「…そうですか。では、今もまだ苦しいですか?」
「…大丈夫…」
「そうですか」
大丈夫、という私の言葉に、ノッテと名乗った女性は明らかにホッとした声色でそう答えた。
「医師の到着まで、まだ少しかかります。もう一度お休みになっていただきたいところですが…」
と、ノッテは水の入ったコップを差し出した。淡い茶色に色付いている。
「こちらの薬を飲ませ、医師が来るまで寝かさないように、と仰せつかっています。ですので、お辛いでしょうが…」
申し訳なさそうな表情でノッテがそう言う。だけど、私は別に身体的に具合が悪くて過呼吸になった訳では無い。精神的なものだったのだ。薬を飲むくらい何て事はない。
「ううん…大丈夫。ありがとう」
再びノッテの手を借りながら体を起こす。そうして、初めて冷静に自分の姿を見ることになった。
…見て、心底驚いた。ふんわりとした白い服、真っ白な肌、記憶にあるより余程小さな手。俯いて頬や肩に落ちる、白金色の細い髪。
(…私は、こんな見た目じゃない。けど…記憶には、この姿の私も存在してる)
受け取ったコップの中身を傾けながら、私は考える。
全く異なる世界観の記憶が二つ。異なる容姿に、異なる部屋。つまり私の中には、二人分の記憶があると考えた方がいい。信じられないけれど。
その二人分の記憶を探ってみても、知識としての記憶はあっても、思い出と呼ばる記憶は何故かない。
そして今ある意識は…「日本」で過ごした私のものだ。この体にいるのは、日本で生きている私の人格。けど…。
(…名前が思い出せない)
「日本で生きる私」の名前が思い出せない。…逆に、「今いる世界に生きる私」の名前はわかる。
─アルティ・レイ・エストアンダ─
…そう、私はアルティ。それが私の唯一覚えている名前。
「ハァ…」
溜息をつきながら、空になったコップを見下ろす。それを見たノッテが「よく頑張りましたね」と言いつつ、コップを下げる代わりに、何やらドロリとした物が入った皿を持ち出した。
「すり下ろしたリンゴです。食べられそうですか?」
リンゴ、という単語を聞いた瞬間お腹が小さく音を鳴らすのが聞こえた。ノッテにも聞こえたのだろう。小さく微笑んでから、スプーンに少しだけ掬ったすり下ろしリンゴを私の口元に持ってきた。
「どうぞ、お嬢様」
一瞬の躊躇の後、そろりと口を付ける。瞬間、ほのかな甘味と酸味が口内に広がる。瑞々しくていくらでも食べられそうだ。
タイミングを見計らって、次の一口を掬ってくれるノッテ。それに甘えて私は食事を楽しむのだった。
(日本に生きる私は、こんな風に仕えられる経験なんて無い。なのに、すんなり受け入れられるのは…少なからずこっちの人格もちゃんとあるから、なのかな?)
うーむ、わからん。まぁ、それは追って考えていくとして…問題は人格が「日本の私」なのに、今居る世界が「日本じゃない方」なことなわけだ。
記憶に関してはとりあえず置いておくとして、存在する人格と存在する世界が逆になってしまっている。それが問題なのだ。いくら記憶が共存していてもこれは困る。というか、その記憶も一部が欠けていて完全ではない。
詰んだという程ではないけど、これからどうしよう…と頭を抱えたい気分だった。
そうして内心かなり悩んでいる内に、部屋の扉がノックされる音が響いた。
「リリです。医師様をお連れしました。入ってもよろしいですか?」
「ええ、入って」
私の代わりにノッテが答えると、「失礼します」という言葉の後で二人の人物が部屋に入ってきた。
「お嬢様…! 良かった…」
私の姿を見た背の低い女性が、泣きそうな顔でそう言うのが見えた。その後ろには、大きな鞄を下げた男性が立っている。
男性は私の前まで歩いてくると、ニコリと微笑んで挨拶をした。
「おはようございます、アルティ嬢。お加減は如何ですか?」
「…今は大丈夫です…医師様ですか?」
「はい。医師のシュディオです。アルティ嬢が眠られてる間に主治医となりました。よろしくお願いしますね」
医師は笑顔を崩さないままそう言った。
「早速ですが軽い検査を」
医師はそう言うなり、私の脈を測ったり、体のあちこちを触って触診をしたりした。
「ふむ、身体の方はもう問題ないようですね。ではこちらに触れてください」
医師は足元に置いていた鞄から何やら宝石の様な者を出して、私に差し出した。
「これは…?」
「魔力の流れを確認するための道具です。手の平を上にして開いてください」
言われた通りにすると、手の上に宝石のような道具が置かれる。その道具は置かれた瞬間から少しずつ光を増していき、最後には周りが照らせるくらいに輝いた。
「わぁ…」
「良かった、問題ないようです。これなら十日ほど安静にしていれば日常生活に戻れるでしょう」
その言葉に反応したのはノッテだ。
「左様でございますか…! あぁ、本当に良かった…」
「お嬢様、本当に本当に良かったです…! わたくし、毎日気が気でなくて…」
次いで涙目で背の低い女性がそう言った。確かリリといっただろうか。
が、そんな緩んだ雰囲気も束の間。ノッテが表情を曇らせて「ですが…」と続けて、そのまま黙る。
何かを察したらしい医師が私に背を向け、それに続いてノッテも背を向けた。そうして私をチラリと見てから医師の近くで声を潜めてこう言ったのである。
「お嬢様は、わたくしを忘れておいでです。恐らくリリのことも…」
「…それは…以前危惧していた記憶障害ですね」
残念ながら声を潜めていても私には聞こえている。
記憶障害、という言葉に心臓がドクンと鳴った。
(その原因を…医師様は知っている?)
知っているから、以前危惧していた…なんて言えるのだろう。そう思った時には、私の口から言葉が零れていた。
「医師様は、私がこうなった原因をご存知なのですか?」
私の言葉に驚いたように振り返る二人。困ったような表情になった医師だったが、仕方ないという表情になり「存じています」と言った。
「ですが、その全てを語るには、今はまだ早いでしょう。しっかりと体を休めて本調子に戻ったら、その時はご両親も交えてお話致しましょう」
つまり、病み上がりの病人に出来るような話ではないということだ。内心、若干怯みながらも、私は言った。
「…約束、ですよ」
その言葉を聞いた医師は「お約束しましょう」と微笑むのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回はアルティ視点のナレーションでしたが、次からは第三者視点のナレーションになります。