第四話 新たな道を、選び取るということ
しばらく泣き喚いた俺は我に返ると急に恥ずかしくなった。彼女にハンカチを借りると羞恥心はますます募っていき、彼女の顔を見れないでいた。
彼女はそれから、予定通り家までの道のりを教えてほしいと頼んできた。俺はなるべく自分の気恥ずかしさを気取られないように距離を保ちつつ並んで歩いた。
家に帰ると、目についたのは電気をつけたままの工房だった。最近知ったことなのだが、親父は夜中も一日おきに仕事をしているらしい。ばれないように自主練に行くのは至難の業だった。
扉に手をかけて、一瞬緊張が俺の体を過った。親父には黙って深夜練習していたし、彼女を会わせるのも、小さい頃にはあったから初めてではないにしても本当にいいものかと考えてしまう。なんせ彼女は今や魔剣闘技界きってのトップランカーなのだ。そんな彼女をこの時間に一緒になって親父に会わせるというのは、少々抵抗感がある。
ああ、でも連絡が取り合えるということは、それなりに顔を合わせているということだろうか。親父は腕利きの魔剣鍛冶師だ。彼女が俺の知らないうちにお得意様になっていたとしてもおかしくはない。
「ただいま……」
意を決してドアを開けると、火は止められており、剣を鍛つ場所からは少し離れたところにあるテーブルを挟んで親父は座っていた。
「おう。待っとったぞ、奈良坂」
「ご無沙汰してます。あ、これ天狗島土産です」
ひょいっと彼女が差し出したパッケージには「天狗島名物 てんぐちゃんクッキー!」と書かれていた。天狗島マスコットのてんぐちゃんは分類としては「キモかわ」に位置するが、大した人気もないという不遇なキャラだ。
俺が彼女のセンスに戦慄すると、親父はそれを一礼して受け取り、すぐさま本題を切り出した。
「ところで奈良坂、なんでコイツも一緒にいる? この時間に二人でという話ではなかったのか?」
「すみません。道端で偶然目に入ってしまいまして。話というのも彼のことでしたので連れてきました」
ん? じゃあやっぱり道に迷ったという話は嘘だったのか。でも何でそんな嘘を?
「ではさっそく本題に入ります。ではまずこの資料をご覧ください」
彼女は肩にかけていた高校のバッグと思われるものを開けると、ある冊子を取り出した。
その冊子の表紙には青い海に浮かぶ島。その中心に位置する城のような建物。
表紙には大きな文字で闘王学院と書かれていた。
「これはどういうマネだ?」
「この冊子の一二四ページをご覧ください」
彼女はその言葉とは裏腹に、自分でそのページを開いた。そこには「入学試験概要・推薦入試」と書かれている。
「この学院には二つの入試方式があります。魔剣闘技科を例にすると倍率が二〇倍を超える難関の一般入試。それと、倍率一倍の推薦入試。この推薦入試は面接官がいくつか質問するだけの形式的なものです。ゆえに、推薦入試を受けた者は全員が合格しています」
「……」
俺と親父は黙って話を聞いていた。この話の趣旨がよく分からないからだ。闘王学院の入試形式など、少なくともこの九州にいる者たちにとっては常識的なものだ。
「しかし、推薦入試を受けられる者は毎年十人しかいません。それは学院ランクトップ10の監督生がスカウトする者だけが入試資格を得るからです」
「……何が言いたい?」
親父の声には怒気が含まれているようだった。俺は相も変わらず彼女の言いたいことが分からないので黙って聞いているだけだ。
「単刀直入に言わせていただきます。私は闘王学院ランク一位の監督生として、真藤一心選手をスカウトしに来ました」
彼女はとんでもないことを言い出した。
「ならん」
彼女の驚愕発言に対する親父の応えは短いものだった。もっと何かあるだろ、という文句は言えなかった。俺にもあまり余裕がなかったから。
「コイツには才能がない。魔力量が平均以下しかない。これ以上成長するメドは一切ない」
ぐはぁっ! いや、きっつ!
さすがにそこまで言われると傷つくぞ親父。まあ自覚していることではあるけど。
彼女はうんうんと頷くと、右の人差し指をピッと立てて説明しだした。
「確かに彼にはこれといった才能はありません。しかし、彼にはそれに勝る経験があります。剣の腕も魔技の扱いも世界のトップレベルと遜色ないでしょう。育て方によっては面白い選手になると思います」
「だが、面白い選手止まりだ」
親父は彼女の説明を遮るように、もはや怒りの感情を隠そうともせずに話し出した。
「コイツが理想的な成長をしたとして、コイツの到達レベルはせいぜい全国大会二回戦止まりだ。運よくプロになれたとしても、一年も経たずに辞めることになるだろう」
親父の言うことは筋が通っていた。魔剣闘技のプロにはある制度がある。プロの選手は例外なくプロリーグの中でランク付けされており、そのランクによって年棒が決まるのだ。そして、百位以下のランクの者は引退を余儀なくされる。プロリーグ設立からあるその制度のおかげで、日本は世界から見てもトップレベルといっても良いものとなっている。
「さすがですね。私の見込みも大体同じ感じです」
だから、才能も努力も運も、一流でなければ生き残れない。
だから、俺には――、
「ですが」
そう前置きして、彼女は自信ありげに腰に手を当てた。
「彼でも勝ち続けられるような新戦術が現れたらどうでしょう?」
「――は?」
今度は俺の方が少し反射的に、いや、反発的になってしまった。そんなものがあったら当に見つかっているはずだ。そして、そんなものがあれば俺が一番最初に気づく。
「師匠、気休めならいらないですよ」
「はぁ? 何を言ってる。私は本気だ。そもそも、まだまだ魔剣闘技は発展途上のスポーツだ。新戦術くらい出てきてもおかしくないだろう?」
…………発展途上?
魔剣闘技は三十年以上続く歴史のあるスポーツだ。魔剣技も魔技も長年使われている型があり、それを扱う者がほとんどだ。ごく一部の上級者はオリジナルを開発していたりす
るが……、それは一属性に十の型を持つ魔技・魔剣技がある中で、五個しかない。それもオリジナルであるがゆえに当事者以外は使えない技だ。もはや伝説といっても差し支えない代物なのだ。
さらに、魔力量が少なければいくらオリジナルを創ろうとも意味はない。オリジナルの魔技や魔剣技が開発される理由。それは奥義である十の型を超える威力を持つ技を創ろうと欲するからだ。そもそも威力が足らない俺にオリジナルは意味がない。
「ふふ、何か勘違いをしているようだが……、私は特注の魔技や魔剣技のことを言っているわけではないぞ? これは、そんな概念すら吹き飛ばすような……、そんなやつだ」
ゾッとした。
彼女の口が異様に吊り上がったから。彼女が、試合の時だけ見せるような、そんな笑みを見てしまったから。
「これ以上は言えません。もし、不可能だとは思いますが万が一、彼が見様見真似でこれをマスターしてしまったらうちの学校の損害になりますから。……ああ、あと言い忘れていましたが、学費・生活費は全額免除です。ですから、費用の面ではご心配なさらずに。あとは、彼の意志と、彼の将来を見据えて、二人でお話ください」
そういって俺の前に立っていた彼女はすっと後ろに下がった。俺は戸惑いながら、親父の目を見た。親父は怒ったような、悲しいような、そんな目をしていた。
「ならんぞ」
「………………………………」
彼女の話は――、確かに甘すぎる話だと思う。現実味など何もない。
でも。
俺にこの衝動を止めろと言うのは、そちらの方があまりにも現実味がない話だ。
「親父……、聞いてほしい話があるんだ」
俺は彼女にしたように、いや、彼女に話した内容よりも、もっと濃ゆい話をした。小さい頃からの夢。それを諦められないこと。負けるのが嫌だってこと。
「……、親父。もし、何にもうまくいかなかったら、勉強した知識を生かして俺は魔剣闘技に関わる仕事をするよ。もうどうなっても、後悔だけはしないから」
俺は埃っぽい工房の地面に頭をつけた。土下座だ。
「俺に、闘王学院に行かせてください。お願いします」
筋は通さなかければならなかった。
「魔剣闘技は止めておけ」
親父の言葉にビクっと体が震える。
小さい頃からそう言われていた。俺はいつも話半分に聞いていたけど、今なら聞いてもいない親父の過去の片鱗が分かる気がする。
親父も、もしかしたら才能に悩む時期があったのかもしれない。ただの妄想でしかないが、その妄想は親父の動向をみる限り、すごく現実的なもののように感じた。
親父は止まってしまった。でも、それでも今、魔剣工房の仕事を誇りをもってやっている。多くの人から信頼を得ている。そう考えると、少しだけ希望が見えてきた気がする。俺の挫折も……、もし、俺が止まってしまったとしても、誰かにこの気持ちを託すことができるかもしれない。それならば、俺が挑戦することにだって意味があるのかもしれない。
挑戦する前から負けることを考えるなんて情けない。
それでも俺は今、すごく前向きな気持ちになれていた。
「ごめん親父……、これをやめるなんて……それだけは無理だ」
土下座をしながら、顔を上げて親父に俺は笑いかけた。親父が納得するまで、俺はここを離れないという強い意志を持って。
親父はしばらくそんな俺を見て、それから布団がある方の家に行ってしまった。これは駄目だったのか、と思ったが、そんなことはなかった。親父の手のひらには、苗字の彫られた朱肉のハンコが握られていた。
親父は書類にそれを打ち付けると、俺にその紙を押し付けて仕事用具を取り出した。
「俺は仕事に戻る。お前はもう寝なさい」
不器用な親父のそんな言葉に、俺は一筋の涙を流した。
書類に書くべきことを書き終えると、俺は師匠と親父に断って外に出た。そして抑えられない感情をむき出しにして走り出した。今日は二十キロでも三十キロでも走られそうな気分だ。
胸を打ち付ける鼓動と、熱が、やけに煩いから。