アンドロイドと私。
梅雨明けが近づき、蝉しぐれが騒がしくなってきた今日この頃、逢辻屋で働き始めて、半年。ついに、私に後輩ができた。ここに二人分の給料を払えるほどの儲けがあるのかは謎だが、その管理は逢辻さんに任せよう。
「ええっと」
しかし、どう対応すべきか、困る。そもそも私は学生時代から部活なんてものに参加したことはなく、大学時代でも後輩とのやり取りなど一度もなかった。しかもバイトも逢辻屋が初めてである。つまりこれが、人生初の先輩体験なのである。
どう振舞うか。ここは少し偉そうに、高圧気味にいって力関係を見せるべきだろうか。いや、そんなことをしたら嫌われるのは目に見えているし、何より、自分がされて嫌なことを他人にするなと親に言われてきたのだ。これは論外。
ではフレンドリーかつ積極的に行くべきか。うん、確かにこれはいいかもしれない。私ならそんな先輩は大歓迎だ。しかし、お生憎様。致命的なコミュニケーション障害を有している私にそんなことができるはずはない。
というかそもそも、この後輩、結構な難物だ。いや、性格がきついとか顔が怖いとかではない。それ以前の問題だ。
コミニュケーションをとる上で、重要視されるのは価値観だ。一方にとってどうでもいいことでも、もう片方にとっては重要なことだってある。そのズレが大きな問題となることは、容易に想像がつく。
そして、その価値観のズレを解消するための道具こそが、言語である。言語によって互を理解し合い、価値観を共有する。それによって距離というのは少しずつ近づいていくものだ。
「……でもなぁ」
店前の花壇に水をまきながら、レジに腰掛ける後輩を見る。入り込む陽光で、金色の髪は眩いほどに輝き、エメラルドの瞳が輝いている。いわゆるゴスロリと呼ばれる装飾過多の服装も、これ以上ないほど様になっている。
「どうかしたの?」
雑草をぶちぶちと抜きながら逢辻さんが問いかける。
「私、英語話せないんですけど」
そう、私の後輩、シャルロット・マクダウェルは名前と見た目の通り、外国人なのだ。外国人自体は大学時代によく見かけたものだが、話したことは一度たりともない。話そうと思ったこともない。そもそも英語なんて大嫌いだ。
「ああ、大丈夫。彼女、日本語話せるから」
「……先に言ってくれません?」
「言ってなかったっけ?」
言ってませんと返して、シャルロットに近づく。羽毛のようにふわふわとした前髪が初夏の風に揺れる。それだけでもう絵画の世界である。
「え、ええと、シャ、シャルロットちゃん?」
どもる。
ゆっくりと彼女がこちらに首を向ける。ただその動きに違和感がある。ぎこちない動き、どこか重たい、機械的で直線的なものに思えた。
「なんでしょう?」
桃色の形の良い唇から、澄んだ声が聞こえる。その声は、歌でも歌っているかのように耳に甘く響く。しかもなまりすらない完璧な日本語だ。
「今日から、その、なんていうか、ええっと」
よろしくという簡単な単語すら出ない。なんて情けない。
「はい、よろしくお願いします、先輩」
そうにこりと笑う。同性でも見惚れるくらい、きれいな笑顔。透明な笑顔というか、邪気が微塵も感じられない。そのせいか、透明すぎて感情が感じられない。人形やロボットと会話をしているようだ。
「う、うん、よろしくね」
逢辻さんが優しげかつ、楽しそうにこちらを見ていた。
「先輩、水撒きを済ませました」
「え、もう?」
私とシャルロットことシャルちゃんの仲は急接近していた。
「商品の陳列とほこり取りも済ませました」
「あ、うん」
御覧の通り、私と彼女は仲良しであり。
「先輩、値札の張替はしておきました」
「お、おう」
実に良好な関係ある。
「逢辻さん逢辻さん」
「ん? どうかした?」
店の裏で、さきほど引き取ってきた机を磨く逢辻さんに泣きつく。
「シャルちゃん、働き過ぎです……やることがなくなっちゃいます……」
彼女はよく働く。動きに無駄がなく、気が付いたら即行動する。日本人でも驚嘆する勤勉さである。
ただその分、私のやることがどんどんなくなっていく。最近、ただ立ち尽くしているかおろおろしているかの不毛な行動が増えた気がする。
「んー、働くよう無理強いはしてないんだけどね」
「それは分かってます」
そんなことを強いる人間でないことなど分かっている。
「ほら、あの娘、労働用アンドロイドらしいし、働きたいんじゃない?」
「は?」
今、なんと言っただろうか。私の耳はおかしくなったのだろうか。
「えっと、今なんて?」
「働きたがっているんじゃない? 彼女が」
「いえ、その前です」
「労働用アンドロイド?」
「それです」
労働用は置いておいて、アンドロイドだと。逢辻さんは何を言っているんだ。疲れているのだろうか。
「熱はないよ?」
「みたいですね」
逢辻さんの額に手を当てるが、平温であるようだ。
「彼女から聞いてない? 自分で私はアンドロイドだからと言っていたんだよ」
「聞いてないです……なので、ちょっと行ってきます」
いってらっしゃいと逢辻さんが手を振り送り出される。店内に戻ると、社長椅子にちょこんと腰掛けるシャルちゃん。本当にお人形さんのようだ。
「シャルちゃん」
「はい」
「シャルちゃんって、アンドロイドなの?」
口にするだけで、バカにされそうな質問である。
「はい。労働用アンドロイドで形式番号はSLV-1Aです。イギリスで開発されました」
機械風に、声の抑揚を抑え込んだような発音。なるほど、確かに人工音声っぽい。
「今まではどこにいたの?」
「日本の有機機械開発研究所にいました。しかし、新型機の開発が完了し処分されました」
ほうほう、有機機械とな。有機というのはあれだろう、炭素と水素がどうのこうのというあれ。理系ではない私の知識は中学生にも劣る。
「そして、ゴミ捨て場にいたところを逢辻様に拾っていただきました」
逢辻さんは、よくモノを拾ってくる。
「なるほどなるほど、うんうん、よくわかった」
「ご理解になられましたか」
「うん。ありがとね、シャルちゃん」
「どうしたしまして」
ぺこりとお辞儀をする彼女を残し、店の外で、しゃがみ込み頭を抱える。
「……痛い子だったとは」
念の為言っておくが、現代において、あんなアンドロイドを作れる技術はない。最近、思考制御できる義手が開発されたとテレビでやっていたが、あくまでそのレベル。アンドロイドやロボットなどはおろか、人型のものなど、ゆっくりのっそり動けるだけで、シャルちゃんのようにスムーズに動けるはずもない。
「なんてこった」
可愛い後輩かと思ったら、重篤な中二病患者ときた。しかも、聞いている限り、設定もしっかりしているようだ。一瞬、自身の黒歴史が思い出されるが、頭を強く振り打ち消す。
「何やってるの?」
「逢辻さん……」
シャルちゃんは言っていた。ゴミ捨て場で拾われたと。
「逢辻さん、人さらいは犯罪ですよ?」
「人聞きが悪いな。ちゃんと同意は得ているよ。それにあの子、成人済みらしいし」
「それ、一番驚きました」
「ボクも」
レジ打ちのロボ娘は、ピクリとも動かず読書に勤しんでいる。小柄な体躯と、大きな瞳のせいか、どうしても幼く見える。
お互いに苦笑。
「とりあえず、どうしましょう、あの娘」
「さあ。本人が何をしたいか決まるまでは、うちに置くつもりだよ。多分、家出か何かだろうし」
「ちょっと待ってください。うちに置く? ひょっとして、一緒に住んでるんですか?」
「言ってなかったっけ?」
この人のこれはもう口癖なのではないだろうか。
「初耳です。というか、え、一緒に住んでいるんですか!? 二十代の男女が、一緒に!?」
「ちょっと、聞こえ悪くない? 言っとくけど、何にもしてないからね?」
「だとは思います! 思いますけど……」
それでもちょっと、なんとなく、うっすらと、嫌な気分になる。
「というか、拾ってくるモノっても、物だけじゃなくて者もなんですね……」
「おっ、面白いこと言うねえ」
者は商品じゃないけどね、とへらへらと笑う。
「ああ、そうそう。今からちょっと荷物の受け取りに言ってくるから店番よろしくね」
「はぁ、また商品の回収ですか?」
「うん、隣街の中古おもちゃ屋が閉店するそうでね、売れ残りを貰ってくるのだ」
「わかりました。店番のほかにやっておくことはありますか?」
顎に手を置き、しばし考え込み、思いついたようにポンと手と手を打ち鳴らす。
「商品を陳列する棚を出しておいてくれるかな。いつもの倉庫にあるから」
「了解です。じゃあ、いってらっしゃい」
逢辻さんは白鴎号に乗り込み、去っていった。
「さて」
倉庫というのは、店の裏手、その最深部にある木造の建物だ。大きさはコンビニくらいで、中々の収納力をほこっている。逢辻屋は居住区と店舗が一体になっている。店を正面から見ると、狭く小さく見えるが、所有している敷地面積自体は広い。俗にいう鰻の寝床というものだろう。
「シャルちゃん、ちょっといい?」
ゆっくりとこちらに顔を向ける。
「なんでしょうか?」
「運び出しを手伝ってほしいんだけど、いいかな?」
「了解です」
ぱたんと本を閉じる。社長椅子から立ち上がり、歪な本棚、『ブッカー君』に本を入れる。直線的で動きは相変わらずである。
倉庫は頻繁に出入りしているが、やはりほこりっぽい。何度か逢辻さんと大掃除を試みたが、どこからともなく綿ぼこりや砂ぼこりは現れ、元に戻る。
入り口の右手にあるスイッチを入れると、裸電球が煌々と輝き、薄暗い内部を照らす。そこにあるのは、家具、本、食器、電子機器、工具や農具、自転車やバイクなど本当に何でもありそうな散らかり具合である。
逢辻さんは棚を出しておいてと言っていた。引き取ってくるものはおもちゃだろう。となると、商品を手に取るのは子供が多くなるだろうか。ならば、あまり高い陳列棚ではない方がいいはずだ。
目を付けたのは、金属製の陳列棚。全体を直径二ミリほどの鉄棒を組み合わせた構造をしており、一見華奢に見えるが、案外頑丈である。実際に触れ、少し強くゆすってみるが折れたり金具が外れたりすることもない。立派なものである。
「シャルちゃん、そっちもって」
「了解です」
タイミングを合わせ、持ち上げる。ずしりとした強い重みが伝わってくるが、ふらついたりするほどではない。
「じゃあ、シャルちゃん、下がって」
「はい」
もう一度タイミングに合わせ、一歩踏み出す。シャルちゃんは後ろ向きに進むしかないので、その動きはゆっくりとしている。
右足、左足、右足、ゆっくりと落とさないように、そして転ばないように進む。
そんな彼女に向かって飛んでいく影が目に付く。百円玉ほどの大きさの蛾だ。おそらく倉庫内にいたのだろう。急にドタバタしたせいで、慌てて飛び出したようだ。それがふらふらと蛇行しながら、シャルち
ゃんの目の前をよぎる。
「きゃっ!」
思わず、手を放すシャルちゃん。ドスンという棚の落ちる音。しかし、それよりも印象に残ったのはほかでもない。
「……きゃっ?」
随分と可愛らしい声が聞こえたような気がする。当然私の口から出るはずのない、甘く、脳をとろけさせるような声だった。
「…………」
手を離したと同時にしりもちを付いたようで、ぺたんと地面に座り込んでいる。
「…………」
お互いに、ちょっと気まずい沈黙。先に動いたのは。シャルちゃんであった。慌てたように非直線的な動きで起き上がり、白いゴスロリ服についた埃を払う。おほんと一度咳払いをし、こちらを見て一言。
「……何か?」
「……うん、そうだね、なんでもないかな」
キャラ作りしている人の素顔を見てしまうのは、気まずいものだ。ここで言及してしまうのも大人げない。何もなかったように振舞おうと思った。
気まずい沈黙のまま、棚を店内に運び入れる。愛用のほこり取りで乱暴にこすると、銀色の光沢が強くなる。所々にある傷さえなければ、新品と見紛うばかりだ。
「先輩、私は何をすればいいでしょうか?」
キャラを取り戻したシャルちゃんが雑巾を片手に近寄ってくる。美少女と雑巾の組み合わせのせいか、意地の悪い姉妹にこき使われるシンデレラを想像してしまった。
「じゃあ、所々に残った埃を拭きとってくれる?」
「承りました」
直線的な動きでしゃがみ込み、丁寧に磨き始める。
彼女を見置き、商品である古びたソファに腰掛ける。先日逢辻さんが譲り受けていたものであるため、名前はまだない。それとセットで並べられた長椅子の上には、レトロなラジオが置かれている。なんでも戦後まもなく作られたものであるらしく、確かにどことなく歴戦の猛者を思わせる雰囲気のあるラジオだ。
スイッチを入れると、雑音の後に飛び込んできた音声では、軽快な声色の男性パーソナリティが午後からの気象予報を挙げている。どうやらこの後、ゲリラ豪雨が発生するかもしれないらしい。逢辻屋の居住区に洗濯物が干されていたことを思い出す。あとで取り込んでおいてあげよう。
そして、おまけのように梅雨明けが告げられた。
ついに夏が来たのか。風抜けように開けられた小さな窓から、空を見上げる。入道雲の間から眩しいぐらいの青が顔をのぞかせていた。