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初恋と名前。

「逢辻さん逢辻さん」


「なんだい?」


 素麺をすすりながら、食欲を奪われそうな昼時のドロドロとしたドラマを見ている。

 質素なガラスコップの中で、荒々しく隆起した氷がカランと音を立てる。


「逢辻さんの初恋って、どんなのです?」


 テレビの中で、無駄に露出の多い派手な女性と清楚な幼馴染の女性が一人の男を取り合っている。お互いに主人公に想いを寄せいているようだが、派手なヒロインは幼馴染の妨害をしているシーンが多々見受けられる。描き方も露骨で、勧善懲悪モノの特撮作品のように裏表がはっきりとしている。


「初恋、ねえ」


 逢辻さんは勢いよく喉を鳴らしながら、烏龍茶を飲み干す。


「ちなみに私は、小学五年生の時の隣の席の男子です。名前は忘れましたが、活発でリーダー気質、スポーツ万能な感じの」


「ああ、小学生なら惹かれてしまうような子だね、それは」


 まさにその通りで、知り得る限りでは片手では数え切れない程の女子が彼に惚れていた。俗物な私もその中のひとりである。


「ええ。まあ、告白とかはしなかったんですけどね」


「どうして?」


「カーストの違いですかね。私は当時、ものすごく大人しくてろくに会話もできないような生徒だったんですよ」


 ああ、なるほどと逢辻さんはお茶を継ぎ足しながら呟く。りんと風鈴が鳴り響き、二人の女優の口論の音が遮られる


「ま、今思うと告白なんてしなくてよかったと思いますよ。間違いなく黒歴史になっていました」


 身分を無視した大恋愛なんて、美男美女が創作の中でやるものだ。現実でやろうものなら、悲劇にしかならない。


「後悔がないならそれでいいさ」


「ええ。それで、逢辻さんの初恋は?」


 むっと一瞬口ごもり、素麺をすする。咀嚼し、飲み込むと、照れくさそうに口を開いた。


「そうだね、あれは……小学校の三年生の時かな?」


「私より二年早いですね。同級生の子ですか?」


「いや……そのなんというか」


 珍しく歯切れが悪い。


「その……年上の、というか、随分と大人の女性でね」


 ああ、思わずにやける。


「随分とませていたんですね」


「笑わないでよ」


 逢辻さんが苦笑する。


「どんな人だったんですか?」


「昔うちに来た客でね、旅行中の女子大生かなぁ? 君くらいの年齢だったね」


 思っていたよりも年齢差が大きかった。逢辻さんは続ける。


「夏休みでね、一緒に街の探索をしたり、自由研究をしたんだ……もう、四十代位になっているのかなあ」


 遠い目で、夏空を見上げている。

 ドラマはクライマックスに向かい、ヒロインの下へと向かう主人公が映し出されている。


「再会の約束なんかは?」


「いや、急にいなくなっちゃってね、お別れもできなかったんだよ」


「それは……随分と身勝手な」


「まあ、彼女にも予定があったんだろうさ」


 表情に寂しげな色が混ざるが、それはすぐに消える。


「なんにせよ、どこかで幸せになってくれていたらいいさ」


 主人公が、ヒロインの家にたどり着く。しかしそこには誰もいない。あるのは一通の手紙。そこには、悪女として描かていたヒロインは実は未来の幼馴染であったこと、そして自分と共にいると主人公が不幸になる未来しか存在しないことが書かれていた。その手紙を握りながら、ただ立ち尽くす主人公を映し出し、ドラマは終わった。


「……なんだか、ひどいドラマでしたね」


「いきなりSF要素が出てきたよね。予想外っちゃ予想外だけど、いい意味でのどんでん返しではないなぁ」


 昼間から嫌なものを見た。これならばまだ拙いCGのB級映画でも見ていたほうが良かった。たしか裏番組で、羽の生えたサメの映画をやっていたはずだし。


「さて、洗うのはボクがやろう」


 逢辻さんは食器をまとめ、立ち上がる。

 作ったのは私だし、それが公平だろう。


「わかりました。じゃあ、お願いしますね」


「はいはい」


 逢辻さんは奥へと姿を消した。




 逢辻さんは、よくモノをもらってくる。

 そして、そのモノに名前を付ける。例えばこの社長椅子もそうだし、軽トラックの白鴎号もそうだ。店の入口右側に置いてある狸の置物は大五郎、左手の看板は誠治郎、双子という設定だそうだ。


「逢辻さん逢辻さん」


「ん?」


 店の西側の日の当たらない場所に並べられた布の端切れを整えながら、逢辻さんがこちらを見ることもなく返事をする。


「どうして商品に名前を付けるんですか?」


「ああ、その方が愛着が湧いて綺麗にしておきたくなるだろう?」


 それはそうかもしれない。しかし。


「でも、そうすると売る時に辛くなりません?」


 辺に物に感情移入すると、それを手放すときに辛くなる。野良犬なんかを餌付けてしまって、別れられなくなるようなものだ。

 逢辻さんは、ああ、と呟くと、しばし黙り込み、口を開く。


「それもあるかもね。でもほら、そこは商売だしね? それに」

「それに?」


 ぐるりと店内を見やる。


「もし、それが付喪神になったとき、名前が無いと困るでしょう?」


「つ、付喪神、ですか?」


「知らない?」


「いえ、知っていますけど」


 付喪神といえばあれだろう。百年だか二百年の間、大切にされた物が神様になって意思を持つというものだったはず。


「ここにあるものは、どれもこれも古いからね。きっともう少ししたら神様になるよ」


 丁寧に一枚一枚を折りたたみ、並べる。遠目に見ると一枚のモザイク画のようにも見える。たしかそれらは、明色系の端切れが桜子ちゃんシリーズと暗色系が百合子ちゃんシリーズだったはず。白い端切れは雪子ちゃん、黒は月子ちゃんである。


「こんなこと言うのもアレなんですけど、逢辻さんは宗教とかそういうのを信じているんですか?」


「ん? いーや、まったく」


「では、どうして付喪神なんてものを?」


「だってその方が面白いじゃない」


「面白い、ですか」


「うん。ボクは宗教やら科学やらに全く精通していないけど、いや、だからこそだね。付喪神とか幽霊とか未確認動物とか、そういうのは信じているんだ」


 よっこらせとわざわざ声に出し、西側中央に置かれた丸椅子、立花に腰を下ろす。


「広い広い世の中で、何から何まで人類が分かっているなんてことはないと思うんだよ。人類がわかっているのは、自分たちに関係の深い事象だけで、人類とは関係のないところには数え切れないくらい不可思議なことに満ちているんだ。さっきの付喪神も幽霊も未確認動物も、その中の一部なんだ。そう考えると、なんだか世の中がさらに広くなったようで面白いだろう?」


「なるほど、まぁ、そうかもしれませんね」


「だろう。つまりボクは、ある意味で人類の認知外に対する助長行為をしているんだ」


「ああ、つまり、名前を付けることで、物が付喪神になったときに自我を形成しやすくしている、みたいな」


「そうそう」


 意味が分からないわけではないが、変な考え方だなとは思う。逢辻さんについて、理解できているようで、そうではないのかもしれない。

 名前と言えば、とふと思う。

 私は、逢辻さんの名前を知らない。初めて会ったときフルネームで名乗られた気もするが、覚えていなかった。表札にも逢辻としか書かれていない。


「逢辻さん逢辻さん」


「ん?」


「逢辻さんの名前って、何なんですか?」


 口にしてみて、よろしくない質問だなと後悔する。半年以上も一緒に働いていて、名前すら覚えてないと知られるのは、互いによくなかったかもしれない。


「ああ、言ってなかったっけ? ボクは逢辻統一郎だよ」


 おおつじとういちろう、確認するように呟く。


「なんか、カッコいい名前ですね。時代劇の主人公みたい」


「そう? でもだとしたら名前負けしてるなぁ」


 はははと笑う。


「ついでに、逢辻さん。私の名前はご存知ですか?」


 ぴたりと動きが一瞬止まる。察する。ああ、これ覚えてないな。


「……さて、表の掃き掃除でもしようかな」


「分かりやすすぎるというか、露骨な逃げですな」


「…………ごめん! 名前覚えるの苦手なんだよ」


 責めてやりたい気持にもなるが、逢辻さんの名前を憶えていなかった私も偉そうなことを言えない。


「もうしょうがないですね、私の名前は――――」

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