変な店。
逢辻さんは、よくモノをもらってくる。
歪んだ骨董品だったり、小学生でも描けそうな絵画だったり、木製の用途不明の器具だったり、薄汚れたガラス製品だったり。どこでもらってくるのか、拾ってくるのか、それは分からない。何度尋ねても「内緒」とにんまり笑うだけだ。
逢辻さんは、それらを販売する店を営んでいる。意外にも客層は広く、母の日のプレセントとして花瓶を買っていった小学生から風化しかけた日本画を買っていった資産家風な老人まで多様である。
店頭で、主人自らが書いた達筆なのか下手なのかよく分からない『逢辻屋』という暖簾が風に揺れる。七月上旬のまだ梅雨開け前だというのに、まるで湿気を感じない軽やかな風が、所狭しと商品の陳列する店内を抜け、頬を撫でる。
逢辻さんは、今ここにはいない。ほんの十数分前にいつものように商品をもらいに行った。不法投棄物でも許可なく持ち去り、商品にすれば罰せられたはず。しかし、そういったことがないのだから、きちんとしたルートで仕入れているのだろう。そうに違いない、と雇われの身である私は自身に言い聞かせる。
レジの椅子、通称『社長椅子』が私の特等席だ。ほんの少し体重をかけてのけぞると、小気味いいスプリングの感触と軋む音がする。元々、この社長椅子も商品だったのだが、私が購入し、バイト先であるここで使用している。家に置くには少々大きすぎたし、何よりも運ぶのが面倒というのが一番の理由だった。
上体をのけぞらせたまま壁に埋め込まれた本棚に手を伸ばす。これは逢辻さんの手作りであり、寸法のズレで一部曲がっている。ただ、それがいい味を出していると私は思う。収められているのは、純文学作品が三割、ゲームソフト二割、CD一割、マンガ四割だ。
私が手に取るのはマンガである。これはわざわざ実家から持ってきたもので、基本的に暇なバイト先での時間つぶしで重宝する。純文学作品を読んでいる方が絵にもなるし、教養にも良いのだろうが、おあいにくさま、活字は苦手なのだ。
時代遅れのラジカセから曲名も知らない、どこか古臭い曲が流れる。まるでタイムスリップしてしまったようだと、錯覚する。
昼過ぎの商店街、その裏通りに逢辻屋はある。そのせいか、行き交う人々の喧噪すら届かない。ぱらりという紙のこすれる音だけの静かで、穏やかな時間。
私は一人が好きだ。誰にも影響されず、自由気ままにのんべんだらりと過ごすのが大好きだ。昔からそうであるし、これからも変わらないような気がする。
Home and society Isolate KInd COmmunication Modern Reality Illness、頭文字をとって『HIKICOMORI』、家内兼社会孤立性コミュニケーション現代病と訳せばいいだろうか。または、慢性出不精症候群の方が分かりやすいか。
いずれにせよである。社会人としてはおろか、人間としてもかなり下等な存在であった私が、こうやって毎日外に出て働いている、それだけでも奇跡と呼べる。そんな奇跡を起こした逢辻さんと逢辻屋に、私は感謝していたりするのだ、決して口にはしないのだけれど。
じゃりっというタイヤとアスファルトとがこすれ合う音が聞こえた。店の裏にある駐車場に入る音だろう。どうやら主が帰ってきたようだ。とは言っても、だからといって何かが変わるわけでもない。私は普段からありのままだ。逢辻さんの前でも、お客さんが来ない限りはだらけたまま。
逢辻さんもメリハリさえつけていれば何でもいいというスタンスで、咎めることもない。何かとゆるい彼らしい。
裏口の開く音と、「ただいまー」という高くも低くもない、悪く言えばなんの特徴もない声が届く。おかえりなさい、と返すと、商品を運ぶのを手伝ってという声。
私は、のそりと重たい腰を社長椅子から上げて、読んでいたマンガをレジの脇に置く。
もう一凪、乾いた風が暖簾を揺らした。