第八話
ある日、シリウスとアリアはシグヌース教会に呼び出された。
名目はシグヌース教の祭典の一環とのことだったが、突然の要請にシリウスは訝しがっていた。
シグヌース教はアルデバランの国教であり、レダを崇拝し民衆の支持を得ている組織である。アルデバランが勃興した直後からその歴史が始まり、王家とは一線を画した権力を持っている。
護衛のものを連れてシグヌース教会に着くと、その場には何と他の4家系の当主が揃っていた。
清廉で美しい教会の壇上に、シグヌース教の最高司祭であるベラトリクスが座っている。70歳を迎える老齢のため皺だらけの顔に暗い目が覗いている。
「これは何事ですか、大司祭様」
シリウスが尋ねると、大司祭の代わりにお付の者が答えた。
「伝統あるアルデバラン国の王妃に異国の血を入れることを、大司祭様は憂慮しておられます。この国はレダ王妃とカストル国王によって建国され、何年もその血は途絶えておりませんでした。それは5つの家に分かれて血を守ってきた歴史に裏打ちされています。レダ王妃とカストル国王の子孫によって王族が成り立ってきたのに、その正室に異国のものを迎えようというのは本当ですか」
他の家系の当主やその家族達が嘲笑している。シリウスは眉根を寄せて冷静に返答した。
「いかにも、私はこのアリアを王妃として迎えるつもりです。今まで王族の血に異国のものが入ってきたことは何度もありました」
「しかし、王妃が異国の者だったことはありませんよ」
クラテール家のリヴァがちゃちゃを入れてきた。
「先例がないから許されないと仰りますか?元々は王妃レダも異国の出身だったはずです。法律にも王妃がこの国の出身でなければいけないというものはない」
「しかし、それでは国教であるシグヌース教の信仰者からの支持は得られませんよ」
お付の者がさらに食い下がった。
「それで私の支持が下がるのであれば、私がそこまでの器だったと言うこと。私はアリアを妻に娶ることは諦めません」
シリウスの言葉に観衆がざわつく。そこに、ベラトリクスが声を発した。
「あなたの意思は分かりました。良いでしょう、アリアを妻として娶りなさい」
「大司祭様!?」
さらに場が騒然とした。
「もとより、教会が王族の婚儀に口をだす資格は無い。それに、シリウス様は敬虔なシグヌース教徒だ。日頃から陛下のご温情には感謝痛み入るほどだ」
「しかし・・・」
「ですが、一つだけ確認しなければいけないことがあります」
シリウスは身構えた。何を言うつもりだ?
「王妃となるものは、シグヌース教会に何かしら貢献しなければいけないという仕来りをご存知でしょう。それはどんな形でも良いですが、王妃の私財から出るものでなければいけない。今までの王妃達は財産を教会に喜捨することで貢献してこられました。それが、アリア様にも出来ますか」
シリウスは手を握り締めた。アリアの私財で莫大な喜捨をしろというのは荒唐無稽だ。だが、シリウスの妻となっていない今は、シリウスが助けることは出来ない。
「シリウス、どういうこと?」
アリアが尋ねるとシリウスは苦々しげに説明した。アリアが王妃となるにはシグヌース教会に大いなる貢献をしないといけない、それはかなりの費用がかかり、王妃の私財で賄われなければいけない。
「そんなお金、どこから用意するのよ・・・」
アリアも呆れ果てている。
「アリアはアルデバランの出身ではない。そんな慣例には当てはめさせられない」
「いえ、どこの出身でもこの貢献に反することは許されません。この貢献が無い限り、シグヌース教会はその者を王妃として認めません」
大司祭はそういうと口を噤んだ。恐らく、アリアが一般庶民の出であることを分かった上でそんな無茶を言っているのであろう。誰かの入れ知恵か・・・シリウスが歯噛みする。
「一つ、良い解決方法がありますよ」
声を発したのはフォルナクス家の当主の娘、ラナだ。
「お金を払えないのであれば、労働で対価を払うべき。アリア様にシグヌース教会が運営する孤児院で無償で働いていただくのはいかがでしょう」
「それは良い考えですね。孤児院で働くのであれば、1年ほどでアリアを王妃とすることを認めましょう」
ベラトリクスはそう告げると満足そうに頷いた。
それが狙いか、とシリウスはフォルナクス家を睨んだ。フォルナクス家はシグヌース教会と非常に密接な関係を持っている。また、ラナはシリウスに執心していた。録に相手にしていなかったが、アリアを娶ると聞いてこの計画を立てたのだろう。
「さあ、どうします?それ以外の解決方法はありませんよ?」
ラナが嬉々として促す。恐らく、アリアが王妃となることを望んでいないことも承知なのだろう。1年間も劣悪な孤児院で働くような真似をしてまで、王妃となることをアリアが了承するものか。そんな思惑が透けて見える。
「フォルナクス家にしては、良い考えだ」
リヴァが見物しながらそう呟いた。
「だが、果たして思惑通りに行くかな・・・?」
リヴァはアリアを見やった。アリアはシリウスに状況を尋ねているようだ。シリウスから説明を受けたアリアは、見る見る嬉しそうな表情になっていった。
「良いの?」
え?とラナが聞き返すと、拙いアルデバラン語でアリアは「やります!」と返した。
「私、引き受けます!」
なんでそんなに嬉しそうなのだ?ラナは予想外の返答に困惑しているようだ。ベラトリクスと顔を見合わせている。
「やらせてください、私、頑張ります!」
アリア、とシリウスが彼女を引きとめようとするが、アリアは微笑んだまま首を振った。
「シリウス、私、やりたいの。あなたなら、賛成してくれると思っているわ」
「だめだ、危険すぎる」
「大丈夫よ、お願いシリウス、あなたはいつも私の意思を無視してことを進めてきたけど、今回は私のお願いを聞いて欲しいの。駄目なんて、言わせないわよ」
シリウスは言葉に詰まってしまった。側でリンクスが米神に手をあてている。
「あなただって、私を王妃としたいんでしょ?私が働くことに賛成よね?」
「君だって、なぜそんなにやりたいんだ?王妃になることなんて、本当は望んでいないんだろう」
アリアは、それはそうだけど、と言って反論した。
「私ね、自分でも馬鹿みたいだと思うけど、劇を見たり本を読んだり、貴族の女の子とお茶会したり・・・そんな毎日にもう飽き飽きなの。そりゃ楽しいことも多かったけど、だんだん虚しくなってきたわ。私は誰かの役に立ちたい、誰かのために働きたいってずっと思っていた。今までそんなに仕事を好きだと思っていなかったんだけど、あなたに仕事を取り上げられて、失って初めて分かったわ。私って働くのが好きなのね」
自分でも呆れたようにアリアはそう告げた。
「それにね、あなたはどうせ知っているでしょうけど、私も孤児だったの。里親に出されるまではずっと施設で育っていたわ。社会人になってからもボランティアをしていたから、上手くやれるはずよ」
確かに、アリアの経歴を調べ上げさせたが、彼女は孤児で施設で育ったことが報告されていた。その後老夫婦に引き取られて暮らしていたが、何年か前にどちらも亡くしている。
「素敵な提案をしてくれて、ありがとう!」
無邪気にそう返すアリアに、ラナはわなわなと怒りに震えていた。
側で控えていたイザールが、「どうせ途中で逃げ出しますよ。孤児院の中でも劣悪な環境を用意しましたから」と小声で囁いた。
それもそうね・・・とラナは呟き、泥に塗れて苦しんでいるところを見物に行くのが今から楽しみだわ、と吐き捨てた。
その様子をリヴァが、やはり楽しげに見つめていた。
「ねえ、なんでそんなに反対するのよ?私はやりがいのある仕事を出来るし、あなたは私を妻に娶る資格を得られるじゃない!」
シグヌース教会から帰っても、シリウスはアリアが働くことを渋りに渋っていた。
「理由は単純明快、君の身を案じているのさ」
リンクスが助け舟を出した。アリアがリンクスを見て、おや?っと思い出したような顔をした。
「俺はシリウスのボディガードをしているリンクス。君とは日本で会話を交わしているよ」
「あ、あの時の・・・」
ホテルの部屋の外で立っていたボディガードだ。
「君が想像しているより俺は敵が多い。・・・もし危険な目にあったとしたら・・・俺は後悔してもしきれないだろう」
「だ、大丈夫よ。身分を隠してやるんだから。それに外国人で庶民の私を、誰も王妃候補だなんて思わないわ」
「敵は王族の中にもいる。今回のことを知っている他の家が君を狙ってくるかもしれない」
「そんな・・・でも私やりたいの。毎日テレビを見ていたから、この国の人たちがどんな境遇にあるのか分かったわ。そしてあなたがそれを変えるためにどんな苦労をしているのかもよくわかった。あなたは本当に立派だわ」
アリアは両の手でシリウスの手を掴んだ。
「私も何か力になりたいの。国王のあなたでは庶民の末端まで手が回らないでしょ?私が実体験してきて、あなたの執政に少しでも役立てば良いじゃない。私もこの国のために何か出来ることがあるのならしたいわ」
「しかし・・・」
「お願い!」
アリアが強引にシリウスをやり込めようとしている。恋は盲目と言うが、あいつこんな簡単な手で丸め込まれないだろうな、とリンクスがひやひやしながら見ている。
アリアは業を煮やしたようにシリウスの首もとの服を掴むと自分に引き寄せた。シリウスの長身が前のめりになり、アリアがそこに口付けた。目がまん丸になっているシリウスを見て、リンクスはこりゃ駄目だなと確信した。
口を離すと上目遣いで、お願い・・・と駄目押しをするアリア。
シリウスのポーカーフェイスが崩れ視線があちこちにさ迷った後、がくりとうな垂れるように頷いた。喜びながらアリアがそれに抱きついている。
「君の熱意には参ったよ。でも、どこかでこれで良いと思っている俺もいるんだ」
顔を上げたシリウスは心なしか頬が赤い。微笑みながら溜息をついた。
「レダも公共福祉に熱心だった。困っている人が居ると放っておけなかった。自分のことなんて省みずに誰かのために動いていた。そういう、素敵な女性だったんだ」
そういうと、シリウスは首もとの長いチョーカーを外して、アリアの首にかけた。
「この国は少しずつ変わってきているとは言え、まだ人心は荒みきっている。誰かを騙してやろう、奪ってやろうという気持ちが渦巻いている。平和な国にいた君が傷つかないことを願っている」
そういうと、アリアの首にかけたチョーカーにキスをした。そのチョーカーは革の紐に通されて銀色の国章がついていた。
「何か困ったことがあればこれを使ってくれ。何かの役に立つかもしれない。それと、リンクス」
「・・・なんだ?」
「アリアが孤児院に行く時は彼女のボディガードをするように」
「・・・わかったよ」
リンクスはあきれ返った顔で返答した。
「それじゃ、あなたのボディガードがいなくなっちゃうじゃない」
「心配するな、ボディガードは他にもいる。腕はリンクスほどじゃないが、数を増やせば問題ないだろう。それにどんなに凄腕のボディガードがいても、危険を防げない時はどうしてもあるのだ」
「・・・ありがとう、シリウス」
アリアは週4回、送迎つきでリンクスがボディーガードとなることで孤児院のボランティアに従事することになった。シリウスは内密に、アリアが行く孤児院の周囲の警察・孤児院経営者にアリアに危害が加わらないよう注意すること、何か助けを求められたら力になるようにと、手配をさせた。しかしそれは、フォルナクス家により秘密裏に握りつぶされていた。